中国といえばいろいろなものの伝達元、
みたいなイメージがありました。
儒教に道教、漢詩にお茶。
年下は年上を敬うすてきな国です。
……が。知るほどに納得できない気分でいました。
駅そばにとめてある自転車を見て、
「あんなにいっぱい捨ててあるから使えばいいです」
とか言ったり、
自販機やお店の陳列を見て、取ってくれと言っているようと
口にした人もいたりしたそうです。
その他も周りから聞こえてくる、
線路作るのに反対する家があったら
その家を陸の孤島にしたとか、
新幹線が事故起こしたら埋めて、文句が出たら掘り起こして
ごみにまわし、埋めた事実なんてなかったと言ったとか、
ガンダムを模造して黄色いニセガンダムを作って
オリジナルといったとか、
ニセキティの園があったとかのできごと。
……それらを思っても、わたしの知る中国ではありません。
なぜ今の中国は、あんなものなのかと不思議に思っていたのですが、
この前理由を知りました。
わたしが生まれる前に、中国では文化大革命というのが起こり、
完了していて、それが原因だったとか。
その革命で何をやったかといえば、孔子の抹殺。
仁義礼信智の、儒教の廃棄です。
礼を重んじることをやめ、正道を進むことをやめたと考えると、
まさに今の中国のそのままの姿です。
正直、わたしは儒教の文化こそ中国の中国らしい、
よいところだと思います。
それを捨てるって……一体なんなのでしょうか。
たとえば今の日本で、
「他人を敬うのをやめろ!」
「すべきことはやらず、利益だけを求めろ!」
「道徳は破棄しろ!」
「誠実であるなかれ!」
「学問を捨てよ!」
「それが文化の大革命だ!」
なんて謳っていたら、正気を疑います。
まあそれはさておいて、そこで思い出したのがノーベル平和賞です。
中国はノーベル平和賞を模造した賞を2010年に作りました。
名前は、孔子平和賞。
今までは、「また模造か」としか思いませんでしたけど、
文化大革命を知った後では、変な笑いが漏れてきます。
文化大革命の大きな目標が孔子を観念的に殺すことだったのに、
なぜ文化大革命後の賞で、『孔子』平和賞なのでしょうか。
自分たちで殺した相手の首を掲げて正道気取りなんて
侮辱にもほどがあります。
知れば知るほど、悲しくてしかたありません。
……日本の政治屋も、日本を売ろう、日本をつぶそうと
考えている外道ばかりに見えるので
外国のこと以上に悲しいですけど。
わたしには想像もつきませんが、真に民のことを思う人物が
国の政を行えるような仕組みができて欲しいと思ってやみません。