大学生の論文コピーどころか小学生の読書感想文などでも
ネット文の盗用がはびこっているらしいですねえ。
でも、まあ、やりたくなる気持ちは理解できます。
わたしは文章を書くのが好きですが、
それは心動いたものに対するその心の動きを
意識化するという行為です。
何か思うことを文にするのは、時間がかかったとしても
大して難しいことではありません。
でも。心動かなかったら。そんなもの、なにも書けません。
残念なことに、読書感想文における課題図書というのは、
えてしてそういうものが多いです。
たとえば自分の好きそうな本を読んで、
その感想を書けというのなら、まだ話はわかります。
でも、自分の苦手なものでも無理やり読んで、
感想を書けというのは拷問に近いと思います。
特にわたしは、好みの範囲がわりとせまいです。
嫌いなものはかなり耐えられません。
たとえばお店に入って、店内放送が歌で、
その歌がわたしの嫌いなものだったりした場合、
わたしは耐えられずにお店から出ます。
歌でさえそうなのですから、もろに作者の思想や嗜好が表れる、
文章なんてたまりません。
自分が嫌いで、見たくも無いものを見せられて
それについて感想を書け、なんてどうすればいいのでしょうか。
最近読書感想文なんて書いたことはないので、例としては
映画感想文です。
見た映画をとりあえず思い出せるように、
感想を書いています。
そんな映画の中には、ほんとうにわたしにあわず、
どうしても見られずに途中で消してしまうものもあります。
どうにか見られるものの中には、ほとんど何の感想も
もてないものもあります。
たとえば、延々2時間、誰かがお吸い物を飲みつづけるような
映画があったとしましょう。
その感想は、『つまらなかった』『意味がわからなかった』
『アングルが決まっていて映像としても見所が無かった』
など、その程度にしかなりません。
でも、これが読書感想文なら、そんな感想しかもてないものに対し、
800字使え、といった無茶な要求をしてきます。
今であれば、そんなものに対しても、
『2時間という長さの中に延々と飲みつづけるシーンを
写しつづけるというのは、まるで映像自体がお吸い物のように思える。
この時間の中で見ている人間の意識が、
まるでお吸い物を2時間置いていたように、
重い部分が下にたまり、上はうわずみになるような気分になる。
これが監督が意識していたものなのかはわからないが、
見ているうちに自分がお吸い物、それもそのうわずみになっていきつつ、
飲んでいる本人にもなっていくような不思議な感覚を覚えた』
などの、まったく意味の無い言葉遊びでごまかすことはできます。
でもそれを、こどもにまで求めるのは酷だと思います。
正直なところ、問題は、ネットから盗用してしまう
こどもの精神性はもちろんそうですが、
それをさせてしまうような不適切な課題設定にもあるのではないかと
思えてなりません。
あんなよくわからないものを書かされるくらいなら、
『ゲームでも小説でも映画でもお菓子でも、
あなたの好きなものを思わず他人が興味を持つくらい、
楽しく魅了できるような文で書いてみましょう』
と言われたほうが、よっぽど明るくて気持ちのいい文章が
できてくる気がします。
でも、こういう話を聞くと、なんだか世の中の流れを感じます。
仕方がないと言えば仕方のない話なのでしょうけど、
ネットゲームをやっていても、小中学生の行動は
目に余るものがあると感じます。
国民総ID管理はいやだとしても、
大人とこどもでアクセスできるレイヤーを分けるとかなんとかで
分離はして欲しいと、個人的には思います。