そういえばこどもの頃には嫌なことがいろいろあったなあと
考えていたら、浮かんできたのがふたつ。
ひとつは、
何一つ興味のない映画に連れて行かれそうになって、
どんなに嫌だと言ってもだめだったので
靴下のまま外に飛び出して隠れたものの、
結局見つかって文句を言われながら引きずられて
電車に乗せられて映画を見させられたこと。
もうひとつは、
かぜをひいて寒気とめまいでまともに歩けないくらいなのに
寝込むなら塾に行ってからにしろと家を追い出され、
塾では先生も周りも帰って寝たほうがいいと言うけれど
帰ったら怒られるから終わりまでいないといけないと答えて、
塾が終わるまでがまんしたこと。
それを思い出して感じるのは、
わたしにはずっと、何かをしたいと言うことも
何かをしたくないと言うことも
ほとんど許されていなかったんだということです。
家では何かにつけて侮辱され、気のむくままに習い事をやらされ、
拒むこともできず、声を上げても却下されて、
その中でわたしは知らず知らずのうちに
いろいろなものをあきらめていったのでしょう。
他人に何を言っても無駄だと、何かを言うのをあきらめ。
他人は何もしてくれないと、期待することをあきらめ。
自分は何をしても尊重されないと、自分の価値をあきらめ。
考えても感じても無駄だと、考え感じるのをあきらめて。
きっと、わたしが他人の顔の見分けがほぼできず、
名前も覚えることができなくなってしまったのは、
わたしにとっての他人なんてほとんど同じだと
染み込みきってしまったときでしょう。
おいしいとかおいしくないとか、
誰かを嫌いだとか好きだとか、楽しいとかつまらないとか。
そんな普通の人なら簡単にわかる感情や情動が
わたしは自分ではほとんど理解できなかったのも、
根っこは同じところにある気がします。
どんなに嫌いなものでも出されたら食べるしかなく、
どんなに嫌なものでも言われたらやるしかなく、
どんなに好きなものでもやめろと言われたらやめるしかないので、
それを毎回感じていたら苦痛だけが増えていきます。
だからわたしは、『肉体が感じるもの』と
『感じたものを理解する魂』をいつしか切り離したように思います。
どんなに嫌なものでも、嫌だと自分が感じていることが
わからなければ、苦痛を覚えずに済みます。
どんなにまずいものでも、まずいと思わなければ食べていられます。
感情も情動も理解できず、言われたことをやるような存在……と
考えると、教育実習のとき、生徒に言われた、
「先生、ロボットみたい」
という言葉の意味がようやく理解できます。
そこだけ見れば、わたしのあり方はほんとうにロボットのようです。
客観的に見られるからこそ、わたしやわたしの近しい人は気がつかない
わたしの本質を見抜けたのかもしれません。
昔、親にひどく怒られるとき、
きょうだいは痙攣して震えるのにわたしは震えもしないし
反省が足りないというようなことを言われましたが、
わたしは早々に自分の気持ちを切り離していたので
どんなに怒られても芯まで響かなかったのかもしれません。
また、何かやって学校でしかられるときも、
自分でやったことなのにまるで他人事みたいにしているとか
反省しているようには見えないとかも言われました。
これも今思えば、自分を切り離した結果なのかもしれません。
それから思い出したのは、誕生会のお呼ばれ。
小学生あたりまで、誕生会に呼ばれてプレゼントを買って
相手の家に向かうというのがぼちぼちありましたが、
わたしはあれがかなり嫌でした。
周りと比べて低いおこづかいの中でプレゼントを買っても、
帰ってくるものはありません。
「やるときは呼んでね」なんて言われますが、
わたしの誕生日はまず間違いなく人を呼べない時期です。
プレゼントをあげるだけというのも嫌でしたし、
そんな打算で考えてしまうこと自体も嫌でした。
社交辞令で終わる言葉も嫌でしたし、
他人の言葉や他人自体を信じられる気分も
ここらへんからもなくなっていったように思います。
わたしにとってはそんな他人ですが、
わたし以外のほとんどの人が、
誰か他人を好きになり、それを自分で気がついて、
さらにそれを追い続けられるというのは、
ものすごいことだし、とても羨ましいと思います。
わたしなら他人を好きになっても、
たぶん周りに言われるまで気づきません。
もし何かの弾みで気づけても、
どうせ他人はわたしを好きにならないし、
どうせ他人はわたしを尊重することもないし、
どうせわたしの言葉は他人に届かないし、と、
すぐに諦めシークエンスに入ってしまうことでしょう。
わたしも一度でいいからちゃんとリアルタイムで
誰かを愛してみたいし、
相手からきちんと愛されてみたいものです。
そういえば、昔はことあるごとに、
おまえはきっと早死にする早死にすると
言われ続けました。
死ぬのは怖いけれど、人間に死ぬこと自体は止められません。
そこで小学校低学年あたりで行き着いたのが
『小説家になること』でした。
自分が死んでも、場合によっては書いたものが残り続けることがあります。
せめてそういう風になりたいと思ったのが
文章を書くきっかけだったかもしれません。
そういうのもあって、ギネスブックに載れたらと
ショートショートを大量に書き、
一応申請してみましたが、結局載れずじまいでした。
とても無駄な時間と労力を使いました。
いま思うと、この『早死にする』という言葉は
わたしの中の結構深いところまで
呪いとしてしみこんでいたように思います。
わたしが未来の予定を立てたくないのも、
未来について何の希望も持っていないのも、
何かにあまり執着できないのも、
何かにつけてあきらめるのが得意なのも、
もしかしたらこの、『早死にする』という言葉の
呪いなのかもしれません。
何かをやろうとしても、どうせ死んでしまったら
なんにもなりませんからねえ。
それはさておき。
わたしはなるべく苦痛を感じないように、
いろいろなものをあきらめ、感じる魂さえ切り離してきたようですが、
魂に届かなかっただけで、苦痛は体にたまっていたようです。
わたしは自分の根本は、憤りや憎しみ、怒りといった
炎のようなものだと思っていましたが、
今回のことから考えると、それはわたしが受け続けた苦痛が
形を変えただけのもののように思えます。
本来のわたしの本質はなんなのか、
壊れずに生きてこられたらどんなだったのか、知りたいものです。
別にわたしが悪いわけでもないのに、親の因果を身に受けた結果が
誰を愛することも知らずに一人死んで、
腐って床の染みになっての終わりだとしたら、なんて惨めな人生でしょう。