最近ふりかえると、わたしは案外自分がどうでもよく
生きてきたんだなあと思います。
友達とお店に行って、友達の欲しい服がサイズ違いでなかった場合、
友達は諦めて帰ろうとしますが、
そういう場合、違うサイズはないのかと
わたしが店員に声をかけに行きます。
でも自分のものを見ているとき、欲しいものが棚になければ
わたしはわざわざ訊いたりせずに帰ります。
なぜかと言えば、どうでもいいからです。
そういえば、と思い出したのは、観光地を自分だけで歩いたこと。
札幌や小樽などはそれなりに知っているので
友達と一緒に行ったら案内します。
それは自分でも普通に楽しいことでした。
でもあるとき、ふと一人で歩いてみたら、
まったく楽しくなくて驚きました。
その場所にわたしがいて、それを見ていることになんの意味があるのだろうと
すごく乾いた気分で思いました。
その場所にいてもいなくてもどうでもいいし、
家にいるのと変わらないとすら感じます。
「おごるからちょっとおいしいとこ飲みに行こうよ」
とか言われても、それもどうでもいいです。
食べるならわたしはコンビニでおにぎり2個と飲み物で
350円くらいあれば充分。
それ以上の、めずらしさとかおいしさとかでお高くなるものなんて
そこに意味はないし、どうでもいいです。
むしろ無駄に感じます。
楽しいと評判、またはおいしいと評判で、
列を作って何十分も待つものも、
そんな時間待つくらいならどうでもいいです。
あらためて思い返すと、わたしはあまりに多くのものを
どうでもいいいと思っていて愕然とします。
ほかの人はなぜ何かに執着できるのでしょうか。
なにか欲しいものがあって、お金やなにかが足りないとしたら、
それを手に入れるためにお金をためるなり何か不足分を補って
がんばれるというのもわかりません。
どうせ手に入らないものだったとあきらめるほうが
手っ取り早くて確実なのに。
他人に執着して自分のものにしたいという気持ちもわかりません。
他人はどうせ他人だし どうでもいい、と思わずに、
いろんなことをして結婚し、結婚状態を維持しつづけられるなんて、
なんて強い意志の力でしょうか。
がんばって努力したら、事が叶うような人生を送ってきたら
そんな風になれるのでしょうか。
何かに対するたびに、まっさきに「どうでもいい」が上がってきて
だいたいすべてが空しく辛いです。
……まあ、どうにもならないし、どうでもいいとは思いたくありませんが
どうでもいいと思うしかないというところもありますけれど。