末端の形が積み重なってより大きな形をつくっている姿、
なんというのか忘れたので同形多重構造とでも言っておきましょう。
この世の形は中心のものの周りを、
中心でないものがぐるぐる回ることで成り立っています。
たとえば原子核と電子しかり、太陽と惑星しかり。
宇宙にも宇宙を形作る上位存在があり、
それもまた宇宙自体を含んで回っていることでしょう。
人はそんな中の偶然のような位置で生まれ、
ほんのちょっとだけ生きて死んでいきます。
存在が変わったとしても、また生まれたとしても
同じ場所、同じ関係にはなれないのに、
そのほんのすこしで争うなんてとてもおろかしいと思います。
でも、そうは言ってもどうしようもない人間がいるのも確かです。
いるだけで周りに不幸をまきちらし、周りを汚す人間。
あれはなんなのでしょうか。
人は愛によって人になり、愛されること、愛することを学ぶために
いわゆる『この世』に来るようです。
それをしっかりと学び、きちんと寿命で死ねれば輪廻は終了。
上の世界か上位存在とひとつになるのだとか。
目があうと目をそらしたり、敵意だと思ったりする人間は、
愛されたサルあたりが人間になったものでしょうか。
現世でちやほやされる人間は、
前世で恵まれず、愛されたいとだけ強く願った人かもしれません。
そのために愛されることだけにおぼれ、愛することを学べず、
あの世で反省してまたやってくるのでしょう。
次は愛することだけをしようとして、
「あの人はわたしに暴力さえ振るわなければ……」
「あの人はギャンブルさえしなければ……」
などと、『虐げられても誰かを愛する自分』に酔いしれて、
正しく愛することも正しく愛されることも放棄して死ぬのです。
いま生きている、なんの変哲もないけれど、
誰かを愛し、誰かに愛され、穏やかに人生を過ごしている人は、
きっといくつもの命を回って、ゴールにたどりつく間際なのでしょう。
世界の一瞬一瞬は奇跡のようなものなのに、
どうしてもその意味を忘れてしまいます。