浜松市立南小学校36期生同窓会

24年振りの開催です

輝いていた昭和のあの頃

2020-08-14 | 日記
生まれたのは浜松市海老塚町です。
家の横を市バス東循環が走り、通り沿いには八百屋・魚屋・薬屋・床屋・自転車屋・酒屋・駄菓子屋・金魚屋・銭湯など何でもありました。少し歩けば砂山銀座があり、豆腐、うなぎ、イチゴなどの行商人がきていました。銭湯の帰りには街中でホタルが見えました。織物工場など職住近接していて世帯数も多く、良いコミュニティが形成されていました。
隣家は蹄鉄屋で、荷馬車が列を作り順番待ちです。道には馬糞が落ちています。蹄鉄は鉄板を熱して蹄の形に造り押し当てますから、馬は暴れます。皮膚が焼ける匂いもしてきます。半世紀以上前の話です。
これらは車社会の出現に伴い姿を消しました。車庫のある家を求めて郊外へと広がっていき、広い道路は車が通り過ぎるだけの空虚な街になってしまった。当時の標語に「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」というのがありました。ウイヅコロナの時代もう一度見直したいところです。

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