「今日のまるこ」おかわり。もう一回。

父の命日。

今日は父の命日。
4年前の今頃はちょうど病院に運ばれて、みんな挿管された父を囲み祈っていた。
母も弟も「頑張って!お父さん!!」と口にしていたが、徐々に下がる血圧のモニターを見ながら私は「お父さん。もう良いから!楽になって良いよ…」なんて思っていた事を思い出す。

父は朝リハビリに行く前トイレに行こうとして倒れた。
母は驚いて119番したが、救急隊が来た時は心肺停止だった。
蘇生しながら病院へ運ばれた父。
父は長年パーキンソン病を患っていた。
倒れる前も数ヶ月入院治療したいた。肺が真っ白。誤嚥性肺炎だった。
機械に繋がれたら父。母と毎日付き添いをした。母に駅まで迎えに来てもらい、私が大宮から高崎まで電車で通う毎日。時々意識が戻り「これを取ってくれ!!」と顔を顰める父を宥めのが大変だった。
が、その甲斐あって父は退院。倒れるまでの一か月、父は毎日仲間とのラジオ体操へ行き、家庭菜園で野菜を作り、食べたいものを食べたいだけ食べて、眠くなったら寝る…そんな生活を謳歌していた。倒れる前の晩も大好物の「おっ切り込み」を食べて、焼き芋食べて。満腹満腹と言っていたそうだ。

紆余曲折あった父の人生。
でも娘の私から見るととても幸せな人生だったと思う。
無念なのは孫のボートレーサー養成所の卒業レースにを見に九州へ行く!と言っていた事が叶わなかった事だろう。ただちゃっかり者の父は遺影になって弟に抱かれ誰より前で孫の卒業レースを見れた…。笑。

父の位牌は母のホームの部屋の仏壇にある。
我が家には愛犬の遺骨の隣に遺影を飾って毎日お水やお線香を欠かさない。
遺影の父は母と私と3人で大好きなバリ島へ行った時、ホテルの部屋で撮った写真。
とびっきりの笑顔で笑っている。




母が家を空ける時は必ず私が実家へ帰り、父と一緒に過ごしていた。
これは遺伝だろうが父もかなりのおしゃべり。私に昔の思い出話しや母との出会いなどなど諸々の話をしてくれた。母も聞いた事が無いような話を娘相手にベラベラ喋って懐かしんでいた。そんな濃密な時間を過ごせて私は嬉しかった。

父が亡くなって10日後父の兄が亡くなった。
まさか?仲の良い兄弟の叔父を父は連れて行ったのか?
馬に人生を賭けた父。
競輪選手として体を張って来た叔父。
あちらで相変わらずそんな話をしているのかもしれない。

お父さん…
お母さんはなんとか頑張っているよ。
孫は立派なレースしているよ。
息子も頑張って馬やっている。
2人の孫は結婚して、先日赤ちゃんが産まれたんだよ。
じいじいちゃんになったね。
私は相変わらずだけど、それなりの頑張っているよ。

なんて言わなくても…きっと見ているよね。

あれから4年…
年の差があった母だけど、そのうち父に追いついちゃうな。
父に出来なかった米寿の祝い。
母にしてあげれるように…なんてぼんやり思っている。

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