「今日のまるこ」おかわり。もう一回。

父の命日。




今日3月19日は私の父の命日。
もうまる3年経った…。
急な別れだった…。

救急車で運ばれた時は既に心肺停止。
延命治療は希望しないと言っていた父だが、動転した母は、せめて子供達が来るまでは…と
人工呼吸器の装着を願い出た。
そのお陰で私も弟もまだ温かい父との対面が出来た。
が、その日の午後6時半。父は永眠した。

それから本当に色々なことがあった3年。

今日母は病院へ行く日。
生憎私も通院日だった。
折しもまだ埼玉が緊急自体宣言下にあるので、県境を跨いで高崎へ行く事も憚られた。
それに夫も仕事だ。

菩提寺の境内は玉砂利が敷き詰められている。
なので私一人の力では、母を乗せた車椅子を押すことが出来ない。
22日には夫が公休なので、母を連れてお墓まいりに行こうと計画していた。

が、母からLINEが…

なんと、実家近く親交のある「お兄ちゃん」が父の命日にお墓まいりに行ってくれたと。
墓前にお花が手向けられ、お線香の煙が上がる父の墓の写真が添付されていた。

なんと有り難い事か…。
まさに「遠くの親戚より近くの他人様」だ。

父もさぞかし喜んでいるだろう…。

私はそのご近所さんご兄弟にはめちゃくちゃお世話になっている。
困っていれば直ぐに力を貸してくれる。
心根の優しい、人徳のあるご兄弟だ。
私もそんな大人になりたい。

コメント一覧

naomaru0624
@asai0088yo 先生をコメントをお寄せ頂きありがとうございます。
亡くなられた先生のご両親は大変な苦労をなさったのですね。そんな時代だったからと言ってしまえば身も蓋もないですが、お母様はどんなにご苦労しても無償の愛情を惜しみなく先生に注いで下さる立派なお母様だったのですね。頭が下がります。
そんな慈悲深いご両親、お母様から受けた大切なものを、先生はお子様方に渡していないと思うとおっしゃいますが、先生は別の形でお子様方にお渡ししているとおもいますよ。先生が育った時代とお母様方が育った時代はあまりにも違います。先生にはお母様の時代とはまた違ったご苦労があったと思います。何より命のバトンをお子様方に繋いで立派に育てあげた事は誇らしい事だと私は思います。先生のご両親お母様から頂いた大切はものは形を変えてお子様方に引き継がれていると思います。
そして何より尊い事は先生がご両親お母様から頂いた大切なものを、今もずっと抱いていらっしゃる事です。
私もそうですが子供は子供なりに親の背中を見て育って行きます。お子様方もきっと同様に先生や奥様の愛情に感謝していると思います。長々すみません。まるこ。
asai0088yo
 亡くなった 父母を 思い出すと 自分は 自分の息子や娘に
自分が受けた 世話の 何分の1も 渡してあげれて無いな 
と思います

 子供の頃 お金がなくて お数を買うお金がなくて
家族4人に お櫃に 生卵を1つだけ 割って 入れて
醤油をかけて 「今日は 此れだけだよ 」と 言って 笑った顔の
下の 引きつった 母の苦労ほど 大事な物は無いとおもいます
 僕は息子や 娘に この大事な事を 伝えて無い 気がします
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