『国会に重度障害者が入るということの意味』
ここ最近障害者に何が出来るんだ?
そんな心無い会話が聞こえてきます。
私が学生時代に施設の子供たち(大人もいます)を連れて海に行った時にも同じような事を言われました。
『なんで障害者が来るんだよ!
気持ち悪いから向こうにいけ!』てね。
海に来て楽しめるのか!
とか。
言わないまでも、
怪訝そうな顔をする方が沢山いたものです。私たちは慣れっこだったので、いえそんな事を気にする暇もなかったのが現実です。
今回国会に障害のある方が2名入りました。案の定心無い議員さんたちは後々の事を考えず目先の事だけで、何が出来るんだ!というのでしょう。今までなーにも考えていなかったのがここでわかってしまうのにね。
賛否両論はあると思いますが障害のある方と実際に触れ合い意見を交わしようやく一歩進める気がします。それをやってのけたのがれいわの山本代表。自分ごとに置き換えなければ障害のある方々が住みやすい日本にはならないのです。
いるだけで既に受け入れ変わっているということ-山本代表-
そう、今まで障害を持った方が住みよい社会を作るためにはどうしたらいいかという議論はされて来たのでしょう、ですが実際のところ障害をもった方々がどのように困っているのか生活しづらい点等々わからなかったのが現実。今回国会に入った事で国会という家族の一員になったわけですから、身内(国会議員たちは考えざるを得なくなった)議論するという事は受け入れたという事、そこで初めて本気で障害者とどう向き合っていくか考え始めたという事なのではないでしょうか。
ようやく少しづつですが日本は変わっていくような気がします。ふと新しい力が動くような何かを感じた朝です。
2020年はオリンピック。
オリンピックの成功はパラリンピックの会場を満員にする事だと思っております。
さて仕事仕事