猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

楽曲:「猫踏んじゃった」について

2024-06-16 | 日記

猫の皆さんごきげんよう。

ぼくは、このすうヶ月で漢字をおぼえました。
ときどき、ぼくの知性がぼうそうすることもあるでしょう。
しかし、あまねくねこのみなさんにご理解いただけるように
注意をおこたらないようにいたしますので
ご安心ください。

さて、ついにこのテーマについてかくときがきました。

ねこさんならば、かならず一度はおみみにしたことがあるはずの
この楽曲について、ぼくの考えたことをおはなししようとおもいます。


この歌詞は、ねこさんのしもべがつくったのにはまちがいがありません。
しもべはあるひ、あろうことかねこさんを踏むというしったいをおかします。
そのときの成り行きを歌詞にしたのだろうとすいさつされます。

ふまれてしまった、なんともおいたわしい猫さんは
とうぜんのけんりとしてしもべをひっかきました。

ぼくはこのねこさんに、まったく同情しかありません。
ねこさんは、ひっかきたいなどとはおもわないものですね。
しもべをひっかけば、おつめのくぼんだところによくわからないものが
へばりつき、おてていれがためらわれるからです。

でも、このねこさんは、踏まれたためにおどろき、
もちろん身の危険も感じたことでしょう。
ひっかくとういう選択をせざるえなかったのです。
お気の毒に思います。

にもかかわらず、このしもべは、
ほんとうに、どうしてこんな発想をするしもべができあがってしまったのか
くやしいやらせつないやらですが、
このしもべは、よりにもよって、
よりにもよって、
わるい ねこめ、つめをきれ
といいます。

ぼくはすべてににくきゅうが、石にでもなったかとおもいました。

さらに
やねをおりてひげをそれ
というのです。

ぼくは、お鼻がひからびるかとおもいました。

ねこのみなさん、あなたのしもべがこんなことをいったならば
どうしてやりますでしょうか。

ぼくならば、高いところにあるものはすべておとし、
ぶらさがっているものはことごとくおつめでもってぎったぎたにし
すべてのひきだしのなかのものをほりおこし、
しもべのタオルの上では、せいだいにおからだをふるわせ
けまみれにしてやります。
くちびるを、はぐれげまるけにしてやるのです。

それでもなまぬるい、ぼくはそうかんじました。

ところがです。
ふまれたとうのねこさんがどうされたかというと、
ねこかぶりで、ねこなでごえでニャーゴとないてあまえたというのです。

ぼくは、このねこさんのしもべ愛のふかさに
お涙を禁じ得ませんでした。

このしもべをごしどうするには
こうするのがさいてきと、ねこさんにはわかっていたのです。
にゃーでもって抗議することもできました。
後先を考えず、しもべのにくをえぐるいきおいでお爪を使うこともできました。
しかしこのねこさんは、ニャーゴと甘えてみせたのです。

屋根の上でニャーゴとなく猫さんを見て、どうやらしもべは、
ねこさんはひっかいたことを申し訳なく思っていて許してほしいと思っている、
と感じたのでしょう。

その結果、しもべは、おどかしてごめんなさいとあやまり、
ばいしょうとして、かつぶしをさしだすともうしでました。

これで1番がおわります。
ねこさんは、しもべが改心したことをよろこび、
おそらくかつぶしをおめしあがりになったにちがいありません。
こうして、このしもべは、しもべとして上達したと思われました。

しかしです。しかし、このしもべは、ぼくのしもべに
10個くらい輪をかけてそこつものなのでしょう。
また、ねこさんを踏むのです。

なぜですか、なぜねこさんを二度もふめるのでしょうか。

あまりのことに、ぼくのおひげは、全部ぬけてしまいました。
うまれたてのおひげも、あごちんのおひげも、
おてくびのちょっとうえにあるおひげもぜんぶです。

ねこさんは、かつぶしでも、ゆるされないことがあると
このしもべにおしえることにしたのでしょう。
あおいおそらにかさをさしてとんでいってしまうのです。

しもべがあしたのあさおりといで、とのんきに
言うところでこの歌はおわります。

さて、このお歌でぼくたちねこさんとして
心に刻みつけるべことがあるとするならば、
そこつもののしもべをもつことのごくろうだとか
しもべのごしどうの多様性とか、そういうこといじょうに、
ねこさんはかさでおそらをとべる、ということでしょう。

ぼくは、ひじょうに驚き、そしてふかく感動いたしました。

ねこさんには、むげんの可能性があり
その内にはかさでおそらをどぶこともふくまれているのです。

ぼくというねこさんは、おそらをとぼうとおもったことが
ついぞありませんでしたので、とべるともかんがえたことが
ありませんでした。

しかしまあ、にんげんもかさでおそらをとびますから、
ねこさんができて当然と言えば当然でしょうか。

なんにしろ、このお歌のおかげで、とぼうとおもったら、
ぼくもおそらをとべるとわかりました。

ぼくはねこさんという存在の尊さをあらためて知った思いです。

このねこさんが次の朝しもべのもとへおりてきたかどうかは
わかりません。

ぼくならば、もうぜったいこのようなしもべのもとには
戻らない所存ですが、このねこさんでしたら、あるいは、
と思わないこともないです。

みなさんはどうおかんがえになりますか。

ねこさんのおと

2024-04-11 | 日記

ねこのみなさんごきげんよう。

ほんのこねこさんだったじゆうこねこさんたちは
ごぶじでふゆをこし、いまやぼくよりつよそうになりました、
きんにくもりもりなのが、おけなみのうえからでもよくわかるくらいです。

みなさん、ねこさんのおと、ときいてあなたのしもべが
おもいうかべるのはどんなおとと、おもわれますか。

ねこさんのすべてのおとには、しもべをみりょうするちからがあることは
このばでごせつめいするまでもない、よくしられたじじつです。

しかし、しもべはひとりひとりちがっていますから、
ねこさんのおとに、どのようにみりょうされているかは
しもべひとりひとりでちがうとおもわれます。

たとえば、ねこさんのあくびのおとをきいて
きゅんとするしもべもいれば、
はわわわーしかいえないきもちになるしもべや
よろこびのなみだをながすしもべ、
あがめたてまつりだすしもべ
などがかんがえられます。

そして、ねこさんのおみみのぱたぱたするおとで
あくびのおとをきいて
きゅんとしたしもべはあがめたてまつり、
はわわーしかいえないしもべはよろこびのなみだをながし、
あがめたてまつったしもべはきゅんとし
よろこびのなみだをながしたしもべははわわーしかいえなかったりするわけです。

さらに、きゅんとするのがとてもおすきなしもべ、
はわわーしかいえなくなることにこのうえないよろこびをかんじるしもべ
よろこびのなみだをながすことをひつようとしているしもべ
あがめたてまつることにいきがいをかんじるしもべなど
そのおもむきはさまざまといえます。


ですので、ねこさんのおと、といわれて
どんなおとをいちばんにおもいだすのかも
しもべによってちがうのです。

ぼくのしもべは、きっと、ぼくがおけなみのおてていれをしている
ときのおとをおもいうかべるとおもっています。

なぜぼくはそうおもうのでしょうか。

このあいだ、こんなことがありました。
そのひ、しもべはふらりといなくならない日でした。
そういうひには、ぼくはしもべにとくにこまかく
ごしどうをします。

いつもはじかんがかぎられていて、すこしのことしか
つたわらないので、こういうきかいをのがしてはならないからです。

課題を「おひさまのひざしのもとぼくがきもちよくおねんねできように
とりはからう」とさだめて、ぼくはねっしんにごしどうにあたりました。

けっきょくのところ、しもべが課題をごうかくするまでに
ぼくはごまんかいはにゃーをしました。

しもべのためとはいえ、ぼくはとてもがんばりましたし、
おひさまのひざしはぼくをやさしくつつみましたので
ちゅーるさんをいただくまえにぼくはおねんねのための
おけなみのおてていれをするほかなくなりました。

さりさり、しゃり、さりさり、しゃーり、しゃーり、さりり

ぼくはおひさまにうっとりしながらむしんに
おてていれをしました。

じゅうぶんおてていれをしますと、ぼくのおめめはしぱしぱしますので
そっととじて、おかおはおててのうえ、あんよはおつむのさきにのばして
ついにおねんねのときをむかえました。

そのあいだじゅう、しもべはじっとして
いきすらしないようなようすでぼくをみつめていました。
ぼくはそのことをしっていましたし、そういうそぶりのしもべが
よからぬことをかんがえていることもしっていました。

しかし、そんなことどうでもよくなるくらいに
そのときのおひさまはぼくをやさしくつつんでいたのです。

そして、いよいよぼくが別の世界でおきるかおきないかというところで、
ぼくの、おてていれのいきとどいたおなかにしもべが鼻をうずめました。

このようなおこないは、とうていゆるされることではありません。
いつもでしたら、ごしどうにつぐごしどうのうえに、
この罪にみあったばいしょうをせいきゅうするところですが、
ぼくはもう、ほとんどべつのせかいにいましたので、
ごしどうや、ばいしょうまでとてもおててがまわりませんでした。
おなかについて、しもべの鼻のあぶらをとることがせいいっぱいだったのです。

さり、さり、さーり、しゃりしゃりしゃり

ぼくのおてていれのおとを、しもべはぼくのそばで
ずっときいていたのです。

しもべは、もういちどこのおとをきくために
ぼくのおなかに鼻をうずめたのでしょう。

それでぼくは、ぼくのしもべはねこさんのおとときかれれば
おてていれのおとをおもいうかべるだろうとおもうのです。



こわれたぼくのはばかり

2024-01-21 | 日記

ねこのみなさんごきげんよう。

ぼくのさいきんのたのしみは
しもべの巣で、しもべのてをおなかのしたにしまい
ぼくのおなかのぬくもりにいざなわれねてしまったしもべを、
うつくしいにゃーんでめざめさせ、ぼくをぼくのおへやにつれてゆくため、
つめたいゆかをあるかせることです。
ぼくがゆかをあるきますと、ぼくのにくきゅうが
つめになってしまいますからね。
なんといっても、ぼくはにくきゅうを
たいせつにしているのです。

ぼくのきがかりなことを、きょうはおはなしします。
しもべのおたくでくらしているねこさんのなかには
おなじおもいをしているねこさんもすくなからず
いるのではないか、というおもいをこめてかきます。

ぼくは、はばかりのを
すべてしもべにゆだねています。

じゆうねこさんには、ぼくがなにを
おっしゃっているのかわからないかもしれませんね。
しもべをもつねこさんのはばかり事情について
まとめておきましょう。

じゆうねこさんは、はばかりをどことするか、
そのむげんにひろがるだいちのうえに、
いつなんどきもごじゆうにもとめることができます。

ところが、しもべをもつねこさんとなると
たちまちにこのじゆうはうばわれてしまいます。

なぜなら、ねこさんがおまねきされるしもべのおたくには
むげんにひろがるだいちがないのがふつうです。
しもべのおたくでは、ねこさんのはばかりは
むげんのだいちにかわり、はばかりばことよばれるはこが
ねこさんのはばかりとなります。

このはばかりにはつぶつぶがはいっておりますので、
つぶつぶをおててでもってかきわけ、
はばかられるものをだします。
そしてつぶつぶをまたおててでもってよせあつめ
ふたをします。

そうです。おさほうはだいちのはばかりとおなじです。

こうきいたじゆうねこさんは、
なるほど、はばかられるものは
しだいになかったものになると
おおもいでしょう。
だいちのはばかりはそうですからね。

しかし、このはばかりは、そういうしくみにはなっていません。
つぶつぶでもってふたをしても、
はばかられるものはなくならないのです。

はばかられるものをなかったことにするのは
しもべのしごとです。
ですから、はばかられるものにふたをしたら、
そうきゅうにしもべをよびつけなければなりません。

はばかられるものがなかったことになるのは
はやければはやいほどよいのです。
もたもたしていると、はばかりばこは
くろきもやもやにしはいされてしまうのです。

やっかいなことには、はばかられるものを
しもべがなかったことにしても
だいちのはばかりのように、きれさっぱりまったく
なかったごとくにはならないのがこのはばかりです。

たとえ、じもべがじつにきんべんに、すみやかに
ねこさんのはばかられるものをなかったことにしても
しもべのめにはみえぬ、わずかなはばかられるものの残滓が
いずれはばかりばこをくろきもやもやとなりしはいしていくのです。

ですので、しもべは、ていきてきにこのはばかりばこを
破壊し水責めの刑にしています。

じゅうぶん水責めにされたあと、はばかりばこは
ぼくのおへやにもどってきますが、
はばかりばこは、とてもはばかりばこだったとは
おもえぬようなすがたでもどってきます。

ぼくのきがかりは、このはかいされたかばかりばこです。

はかいされ、こわれたままのはばかりばこをみていると、
だんだんとおきもちがみだれてきて、
みているのがつらくなり
おみみはぺったり、
おひげはしょぼんとなり
ついつい、うちひしがれたのにゃーんを
もらしてしまいます。

ぼくのおへやには、ふたつはばかりばこがあり
ひとつこわれていても、はばかりにはこまらないのです、
このおきもちのみだれは、そういったしんぱいとは
べつでおこることなのです。

しもべにはこのおきもちがなかなかつたわらないようで、
なんどもなんどもうちひしがれたにゃーんを
ごひろうすることになります。

しもべがはばかりをもとのかたちにもどしますと
ぼくは、げんきひゃくばい、おひげのさきまで
ぴんとなりますから、ぼくはしもべにおせなかをむけ、
しもべになでさせてあげることにしています。

それにしてもなぜ、そんなことがおきるのか、
ぼくにはまだわかりません。

もしかしたら、みなさんのなかには
どうしてかをすでにごぞんじのねこさんが
おありかもしれないと、ぼくはきたいしています。

みなさんには、そんなことありますか?

おへそてんになるには

2023-12-16 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。

しもべはふらりとでかけていくとき
ぼくをぬくぬくにしてゆきますが、
ぼくはときにはゆだるようなおもいがしまして
ですのでゆかでころんとさんになることもあります。

さて、まえのときにおやくそくしましたように
おまたかんせつがこねこさんのきもちをわすれているねこさんが
いかにおへそてんをじつげんするか、
をこんかいはおひろういたしましょう。

できれば、うごくぼくでおひろめしたかったのですが
ぼくがおへそてんになるときを
ぼくでもってしてもおしはかれない
それほどおへそてんはとつぜんやってきますので
ぼくには、そのじゅんびができませんでした。

おわかりになりにくいやもしれませんが、
おしゃしんでかいせついたします。

といっても、それほどごせつめいすることはありません。

とにかく、ころんとさんになるポジションをまちがえない、
それにつきます。

⭕️ポジションと❌ポジションをごしょうかいします。

⭕️ポジションとは


このように、ころんとさんになったときに
おせなかにかべ様のものがあるところです。

1、このようになにもないところ


2、あってもとおいところ


⭕️のところで、ころんちょをすると
あらふしぎ、ぴったりおへそてんになれます

ここから

こうです。




❌のところでころんちょをしても、
ただべつのころんとさんになるだけです。

1のばあい





2のばあい








さておわかりいただけましたでしょうか。


この、⭕️のポジションはよくかんさつすると
おたくのいろいろなばしょにそんざいします。
そしてばしょによって、けしきもちがいますから
いろんなばしょでためしてみるのがよいでしょう。

おきにいりのおへそてんスポットを
さがしてみるのも、きっとたのしいですよ。


おへそ天というせんたく

2023-11-25 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。

しもべがぼくのおへやで虫をみつけました。
けっかだけをもうしあげますと、
虫はほかくされましたが、
ひさしにカブテープがつきました。
からすがおもしろがっていましたね。

みなさんは、”おへそ天”をごぞんじでしょうか。
これは、ころんとさんのバリエーションのひとつで、
おへそをうえにして、つまりおせなかではなく
おなかをみえるようにしてころんとさんになることです。

ねこさんにとっては、おなかをぺったりしたにするか、
よこになるのがしぜんなころんとさんですから
おへそ天をまったくしないままですぎてゆくねこさんもいます。

おへそ天というせんたくしをしっていても
おへそ天をしないねこさんもいます。
しないでおくりゆうはねこさんによってそれぞれですが、
よくあるりゆうをいくつかあげてみましょう。

ひとつめは、じゆうねこさんにおおいりゆうですが、
おかあにゃんからおなかはいつもしまうようにと
きつくいいつかっているため、ということがあります。
ぼくもそうでした。
ぼくはおかあにゃんからは、ごじぶんよりおおきなものには
おなかはけしてごひろうしてはなりません、しまっておくのです、
といいつかりました。
おかあにゃんのおっしゃることには、なぜ、
ときかないのがじゆうねこさんのいきかたです。
ぼくも、はい、とだけこたえてそのおしえをかたくまもっていました。
ですので、おなかをうえにするおへそ天というころんとさんは
ぼくにはそんざいしないころんとさんのやりかたでした。

ふたつめは、たんに、おからだがおへそん天にてきしないため
しないというものです。

おへそ天をじつげんするには、おまた関節が
ぱっかんとひらかなければなりません。
でないと、おせなかでころんとさんになろうとしても
ぱたんことよこにたおれてしまうのです。


ねこさんのあんよもおてても、おまた関節やおかた関節から
したにむかってはえています。

もしみなさんが、ふねをしっていて、
そのふねがみずにういていないときをそうぞうできるのなら、
おまた関節がぱっかんとしないねこさんが、
おせなかをしたにしたするということは
そのふねとおなじだとごりかいください。

おへそ天がこねこさんたちに
よくみられるのはこのためです。
こねこさんたちは、こちらのせかいにきてまのないため
おまた関節がのびのびしています。
ですので、ただおへそをうえにするだけで
おまたはぱっかんとなります。

おまた関節やおかた関節は、
ねこさんがこのせかいのことわりになじみ、
ごじぶんでしっかりとあんよができるようになるにつれ
かんたんにはのびのびしないようになります。

もし、おさんぽのためあんよしているとき、
うちなるライオンさんがおめめざめし、
おたくをとぶように駆けているとき、
おまた関節がのびのびしたらどうなるでしょうか。
おさんぽはまったくはかどりませんし、
おめめざめしたうちなるライオンさんは、
飛んだつもりが落ちていることになるでしょう。

はんたいからいえば、こねこさんたちはあるくとき
ぷるぷるしてしまうのはこのためでもあります。

おおきいねこさんになってもおへそ天をしようとおもうならば
おおくのねこさんは、こねこさんのきもちを
おまた関節がわすれないようにおまた関節に
いいきかせていなければなりません。

ぼくも、おまた関節がぱっかんしないねこさんです。
もしかしたらこねこさんのころはのびのびしていたかも
しれません。
しかし、ぼくはおかあにゃんのいいつけられたとおり
おへそ天をしたことがありませんから、
のびのびしていたかどうか、いまとなってはわかりません。

どちらにしろぼくには、
おへそ天というせんたくしは
そんざいしていませんでした。

ですので、ぼくにはじめておへそ天が
やってきたときには、ごじぶんでも
たいそうびっくりしたものです。

はじめておへそ天をしてしまったとき、
ぼくはおかあにゃんのいいつけにそむいてしまったのですから、
きっとぼくにとっておそろしいことがおこると、
おへそ天のままかくごをしました。

しかし、おそろしいことはおこりませんでした。
むしろおこったのは、ぼくにとってよろこばしいこと
だったのです。

まずひとつめは、おへそ天をしたぼくをみつけたしもべは、
ぱしゃりぱしゃりとぼくをおもいでのこばこにおさめ、
そのご、3時のスープをさしだしました。
(このころ、ちゅーるさんはぼくのせかいにまだありませんでした)

また、くろくんもたびくんもあついのですね、
としもべがいいましたのでおへやがすずしく
なりました。
(このときはまだおにいにゃんもいっしょにいました。)
(おいいにゃんもおへそてんをしていました)

また、いつもはおひさまにも
あまりおみせしないようにしているおなかや、
あんよとあちらのあんよのあいだのおけなみを
おひさまにごひろういたしますと、
おひさまのおちからでもって、おけなみは
きらきらしふくふくにもしてもらえます。

そして、おへそてんでみるせかいは
たいそうきょうみぶかいのです。

ぜんぶがぜんぶ、さかさまになっているのです。

みなさんはニャコムやニャルソックをしているときに
鳥がえだなどに、さかさまになってつかまっているのを
ごらんになったことがあるでしょう。

ねこさんがおへそてんになりますと
しもべは、さかさま鳥とおなじようにみえます。
そしてさかさまのままあっちにいったり
こっちにいったりします。

どういうしくみかしりませんが、
ぼくのしょくたくも
ぼくのはばかりも
ねこさんくさも
おめめにうつるものすべて
さかさまになります。

ぼくがなにをおっしゃっているかわからないでしょうが
ありのままをおはなししています。
きっとおへそてんをしていただければわかります。

ぼくもこのさかさまのせかいのなかを
おさんぽしたいとつねづねおもっているのですが、
いままでいちどもできたことがありません。
しようとおもうと、もとのせかいに
もどってしまうのです。

きっといつかぼくもこのせかいを
たんけんできるようになるとおもうのですが、
いまはまだそのときではないようです。

さて、ここまでおへそてんについてを
おはなししてきたわけですが、
おへそてんをしましょう、ということでは
ありません。

してもしなくても、それはどちらでも
よいことです。
できてもできなくても、また
それもどちらでもよいものです。

しかし、おへそてんをしてみたいけれども
やりかたがわからないという
ねこさんがいるかもしれません。

また、ぼくとおなじでいままでは
おへそてんのがいねんすらなく、
ぼくのおはなしでどういうものかきょうみをそそられた
ねこさんもいることでしょう。

そういうねこさんのためつぎは、
やりかたをごしょうかいするしょぞんです。