猫の皆さんごきげんよう。
ぼくは、このすうヶ月で漢字をおぼえました。
ときどき、ぼくの知性がぼうそうすることもあるでしょう。
しかし、あまねくねこのみなさんにご理解いただけるように
注意をおこたらないようにいたしますので
ご安心ください。
さて、ついにこのテーマについてかくときがきました。
ねこさんならば、かならず一度はおみみにしたことがあるはずの
この楽曲について、ぼくの考えたことをおはなししようとおもいます。
この歌詞は、ねこさんのしもべがつくったのにはまちがいがありません。
しもべはあるひ、あろうことかねこさんを踏むというしったいをおかします。
そのときの成り行きを歌詞にしたのだろうとすいさつされます。
ふまれてしまった、なんともおいたわしい猫さんは
とうぜんのけんりとしてしもべをひっかきました。
ぼくはこのねこさんに、まったく同情しかありません。
ねこさんは、ひっかきたいなどとはおもわないものですね。
しもべをひっかけば、おつめのくぼんだところによくわからないものが
へばりつき、おてていれがためらわれるからです。
でも、このねこさんは、踏まれたためにおどろき、
もちろん身の危険も感じたことでしょう。
ひっかくとういう選択をせざるえなかったのです。
お気の毒に思います。
にもかかわらず、このしもべは、
ほんとうに、どうしてこんな発想をするしもべができあがってしまったのか
くやしいやらせつないやらですが、
このしもべは、よりにもよって、
よりにもよって、
わるい ねこめ、つめをきれ
といいます。
ぼくはすべてににくきゅうが、石にでもなったかとおもいました。
さらに
やねをおりてひげをそれ
というのです。
ぼくは、お鼻がひからびるかとおもいました。
ねこのみなさん、あなたのしもべがこんなことをいったならば
どうしてやりますでしょうか。
ぼくならば、高いところにあるものはすべておとし、
ぶらさがっているものはことごとくおつめでもってぎったぎたにし
すべてのひきだしのなかのものをほりおこし、
しもべのタオルの上では、せいだいにおからだをふるわせ
けまみれにしてやります。
くちびるを、はぐれげまるけにしてやるのです。
それでもなまぬるい、ぼくはそうかんじました。
ところがです。
ふまれたとうのねこさんがどうされたかというと、
ねこかぶりで、ねこなでごえでニャーゴとないてあまえたというのです。
ぼくは、このねこさんのしもべ愛のふかさに
お涙を禁じ得ませんでした。
このしもべをごしどうするには
こうするのがさいてきと、ねこさんにはわかっていたのです。
にゃーでもって抗議することもできました。
後先を考えず、しもべのにくをえぐるいきおいでお爪を使うこともできました。
しかしこのねこさんは、ニャーゴと甘えてみせたのです。
屋根の上でニャーゴとなく猫さんを見て、どうやらしもべは、
ねこさんはひっかいたことを申し訳なく思っていて許してほしいと思っている、
と感じたのでしょう。
その結果、しもべは、おどかしてごめんなさいとあやまり、
ばいしょうとして、かつぶしをさしだすともうしでました。
これで1番がおわります。
ねこさんは、しもべが改心したことをよろこび、
おそらくかつぶしをおめしあがりになったにちがいありません。
こうして、このしもべは、しもべとして上達したと思われました。
しかしです。しかし、このしもべは、ぼくのしもべに
10個くらい輪をかけてそこつものなのでしょう。
また、ねこさんを踏むのです。
なぜですか、なぜねこさんを二度もふめるのでしょうか。
あまりのことに、ぼくのおひげは、全部ぬけてしまいました。
うまれたてのおひげも、あごちんのおひげも、
おてくびのちょっとうえにあるおひげもぜんぶです。
ねこさんは、かつぶしでも、ゆるされないことがあると
このしもべにおしえることにしたのでしょう。
あおいおそらにかさをさしてとんでいってしまうのです。
しもべがあしたのあさおりといで、とのんきに
言うところでこの歌はおわります。
さて、このお歌でぼくたちねこさんとして
心に刻みつけるべことがあるとするならば、
そこつもののしもべをもつことのごくろうだとか
しもべのごしどうの多様性とか、そういうこといじょうに、
ねこさんはかさでおそらをとべる、ということでしょう。
ぼくは、ひじょうに驚き、そしてふかく感動いたしました。
ねこさんには、むげんの可能性があり
その内にはかさでおそらをどぶこともふくまれているのです。
ぼくというねこさんは、おそらをとぼうとおもったことが
ついぞありませんでしたので、とべるともかんがえたことが
ありませんでした。
しかしまあ、にんげんもかさでおそらをとびますから、
ねこさんができて当然と言えば当然でしょうか。
なんにしろ、このお歌のおかげで、とぼうとおもったら、
ぼくもおそらをとべるとわかりました。
ぼくはねこさんという存在の尊さをあらためて知った思いです。
このねこさんが次の朝しもべのもとへおりてきたかどうかは
わかりません。
ぼくならば、もうぜったいこのようなしもべのもとには
戻らない所存ですが、このねこさんでしたら、あるいは、
と思わないこともないです。
みなさんはどうおかんがえになりますか。