ねこのみなさんごきげんよう。
ぼくのさいきんのたのしみは
しもべの巣で、しもべのてをおなかのしたにしまい
ぼくのおなかのぬくもりにいざなわれねてしまったしもべを、
うつくしいにゃーんでめざめさせ、ぼくをぼくのおへやにつれてゆくため、
つめたいゆかをあるかせることです。
ぼくがゆかをあるきますと、ぼくのにくきゅうが
つめになってしまいますからね。
なんといっても、ぼくはにくきゅうを
たいせつにしているのです。
ぼくのきがかりなことを、きょうはおはなしします。
しもべのおたくでくらしているねこさんのなかには
おなじおもいをしているねこさんもすくなからず
いるのではないか、というおもいをこめてかきます。
ぼくは、はばかりのを
すべてしもべにゆだねています。
じゆうねこさんには、ぼくがなにを
おっしゃっているのかわからないかもしれませんね。
しもべをもつねこさんのはばかり事情について
まとめておきましょう。
じゆうねこさんは、はばかりをどことするか、
そのむげんにひろがるだいちのうえに、
いつなんどきもごじゆうにもとめることができます。
ところが、しもべをもつねこさんとなると
たちまちにこのじゆうはうばわれてしまいます。
なぜなら、ねこさんがおまねきされるしもべのおたくには
むげんにひろがるだいちがないのがふつうです。
しもべのおたくでは、ねこさんのはばかりは
むげんのだいちにかわり、はばかりばことよばれるはこが
ねこさんのはばかりとなります。
このはばかりにはつぶつぶがはいっておりますので、
つぶつぶをおててでもってかきわけ、
はばかられるものをだします。
そしてつぶつぶをまたおててでもってよせあつめ
ふたをします。
そうです。おさほうはだいちのはばかりとおなじです。
こうきいたじゆうねこさんは、
なるほど、はばかられるものは
しだいになかったものになると
おおもいでしょう。
だいちのはばかりはそうですからね。
しかし、このはばかりは、そういうしくみにはなっていません。
つぶつぶでもってふたをしても、
はばかられるものはなくならないのです。
はばかられるものをなかったことにするのは
しもべのしごとです。
ですから、はばかられるものにふたをしたら、
そうきゅうにしもべをよびつけなければなりません。
はばかられるものがなかったことになるのは
はやければはやいほどよいのです。
もたもたしていると、はばかりばこは
くろきもやもやにしはいされてしまうのです。
やっかいなことには、はばかられるものを
しもべがなかったことにしても
だいちのはばかりのように、きれさっぱりまったく
なかったごとくにはならないのがこのはばかりです。
たとえ、じもべがじつにきんべんに、すみやかに
ねこさんのはばかられるものをなかったことにしても
しもべのめにはみえぬ、わずかなはばかられるものの残滓が
いずれはばかりばこをくろきもやもやとなりしはいしていくのです。
ですので、しもべは、ていきてきにこのはばかりばこを
破壊し水責めの刑にしています。
じゅうぶん水責めにされたあと、はばかりばこは
ぼくのおへやにもどってきますが、
はばかりばこは、とてもはばかりばこだったとは
おもえぬようなすがたでもどってきます。
ぼくのきがかりは、このはかいされたかばかりばこです。
はかいされ、こわれたままのはばかりばこをみていると、
だんだんとおきもちがみだれてきて、
みているのがつらくなり
おみみはぺったり、
おひげはしょぼんとなり
ついつい、うちひしがれたのにゃーんを
もらしてしまいます。
ぼくのおへやには、ふたつはばかりばこがあり
ひとつこわれていても、はばかりにはこまらないのです、
このおきもちのみだれは、そういったしんぱいとは
べつでおこることなのです。
しもべにはこのおきもちがなかなかつたわらないようで、
なんどもなんどもうちひしがれたにゃーんを
ごひろうすることになります。
しもべがはばかりをもとのかたちにもどしますと
ぼくは、げんきひゃくばい、おひげのさきまで
ぴんとなりますから、ぼくはしもべにおせなかをむけ、
しもべになでさせてあげることにしています。
それにしてもなぜ、そんなことがおきるのか、
ぼくにはまだわかりません。
もしかしたら、みなさんのなかには
どうしてかをすでにごぞんじのねこさんが
おありかもしれないと、ぼくはきたいしています。
みなさんには、そんなことありますか?
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