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8.6 あの日、あの時、

2020-02-27 01:44:01 | 日記
今から書く日記は……私が小学生の頃祖母から何度となく
聞かせれた話です

不思議と
祖母に何時も訪ねていた様で、どのくらいだろう
1時間位はゆっくり何度となく
話してくれた、そんな記憶が
有ります。

今までは誰にも、祖母から
聞いたことを話す事もなく
私の心のなかで40年の歳月が
流れて……行ったのです。

色褪せた漆黒の闇が蓋をするかの様に……
広島の街は何事も無かったかの様な装いを現代の我々に見せてくれていたのです。


祖母は保父と靴屋さんを営み
長男の息子[私の父親]と
妹の四人家族
ありふれた普通の庶民生活を
おくっていた様です

広島の上天満町
現在の西区(小河内町)…辺りかな
爆心地から1.2キロ位の距離で
産業会館、相生橋まで、真っ直ぐ一本道、歩くとそんなには
遠くないと感じます。

祖母は当時リウマチで足が悪く
長男もまだ、中学生
祖父の負担も大きかった事と
思います。

そして、ある日の事

昭和19年、召集令状が祖父に
歓呼の声に送られて、家族から
見送られ呉の海軍へ入隊検査に

しかしながら、持病の痔が悪く結果…不採用
当時は、お国のため
不採用など
非国民扱いになる
その様なことを恐れ………

何日も玄関の扉を開けれなかったそうです

外で祖母の名を
か細い声で呼んで
情けない、申し訳ないと言いながら祖父は
家に入れて貰った……
その様に聞いています。

さて、それからは
地域の防災防空隊として、
責務に励んだそうです。

そして……

あの日……8月6日

朝7時
広島の街に
空襲警報が響きわたり
防空隊として祖父は
観音小学校に取り急ぎ集合した

慌ただしくなる広島の街

空には雲は有るものの
透き通る青空
夏の陽射しが照りつけて
今日も暑い日に……

通勤通学の準備や
何事もないかの様な日常の流れ
街中商いも始まり
路面電車もチンチンと音を立て
人々を街中に……

まさか、こんな日になるなんて
誰が思ったでしょうか……

そして……
ついに……
あの時が
動き始めたのでした。

昭和20年8月6日
午前7時過ぎ……
空襲警報は解除………され

皆は何事も無かった様に……
安心したと…


この続きは次回に

お読み頂きありがとうございました。m(_ _)m





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