8月6日広島市……晴れ☀️
空襲警報解除……朝7時の事
リウマチを患っていた祖母は
まだ、幼い我が子と祖父の帰りを待っていた。
しばらくして祖父は息も荒く
米をもって帰ってきた。
当時飯盒でご飯を焚き出し
ささやかな朝食を家族四人で
お粥にして食べたそうで
朝から笑顔の耐えない家族だったそうです。
長男(私の父親)は、
暑かろう夏の日照り
井戸水を浴びるため外に、
長女(妹)は一階の居間に祖母と
外出するため支度をしていたそうです
祖父は、片付けや昼から町内の
集まりに行くためバタバタしていたとのことでした。
8時10分……井戸で水浴びをしていた長男が、空に光る飛行機と
飛行機雲を見つけ
祖母に訪ねたそうで
[お母さん、飛行機が飛んでる
呉の海軍じゃ~]と言って
大きな声で呼んでたそうです
広島は都会の様に
無差別爆撃は受けておらず
ボーイングB-29など
見るよしも無かったはず
子供心に夏の陽射しに眼を細め
見ていたのであろう。
そして、再び水浴びを……
その頃祖父は町内の集まりに出掛け、祖母は痛む足を長女に
マッサージして貰っていた……
8時14分……
祖母が痛い足を、茶舞台の下に
伸ばした瞬間………
8時15分
B29 通称―「エノラゲイ」
核爆弾 「リトルボーイ」
人類史上初の核爆弾が広島の空で炸裂したのでした。
パッピカ-っと真っ白な……
太陽が落ちて来たとも思えるほどの閃光が……
祖母は、当時の事をこの様な表現で言葉にして
祖母の証言
[外がピカッと光って、シャシャシャシャ―っと音がしたかと思うと、窓ガラスがガシャ―ンと
割れて家が地鳴りを立てながら
傾き、突風とホコリが家の中を通り過ぎて行ったんよ、
「ありゃ―っ!」
「いびぜ~の~!」
その時の事は、それ以外は
後は覚えてないの~]……と
「気が付いたときは、家の下敷きになっとったんじゃ~」
「這いずりながら外に出れたんよの~、あな~○○、○○○~
何処におるんじゃ~っ」て、か細い声で我が子を探したそうです
しばらくして、祖父は町内の人を助けながら帰ってきたそうで
長男も、井戸の下に隠れて難を逃れ、祖母と合流して安否を確認したそうです
「○○○がおらんのよ~」
それは長女の事で、祖父も長男も
倒れた家の下を懸命に探したそうで、しばらくすると
「おかぁちゃ~ん!」
声がする
倒壊した家の下敷きに
祖父が見つけ出し
長男と救出するが、重たい柱に挟まれ、上半身は出たが足が挟まれどうにもならず
何とかして、引っ張り出した
助かった❗
家族四人、生きていた。
爆心地から1.2キロほどの
上天満町、生きているのが
奇跡だろうか?
最後に引きずり出された
長女のふくらはぎは釘で引き裂かれ肉片がパカパカして
酷かったそうです。
辺りは見るも原形を留めない
下町の姿、あちらこちらで
煙と火が上がり、時折逃げ惑う
人間とも思えない姿
地獄絵図とは正にこの事だったと、祖母は唇を震わせ涙ぐんでいました。……
幼い私には理解できない
想像も出来ない
そんな現実だったこと、聞く程に胸が苦しなるのでした。
今日はこの辺りで終わります
また、続きを発信して行きますので、宜しくお願いします。
お読み頂きありがとうございました。m(_ _)m
落ちてきたのをみたのですか?
リトルボーイと言う名の原子爆弾は、相生橋の上空800メートル付近で炸裂した様です。
祖父の家族は見ていませんが
落下傘で投下されタイマーで
セットされた核爆弾でした。
詳しくは原爆資料館で拝見出来ます。m(_ _)m
しつれいしましたhttps://ameblo.jp/jam512412/entry-12165305366.html