虹パパの日記〜「きれいなおじさんは好きですか?」〜

【日月神示】第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻)〜極悪だと見えても、排すでないぞ!〜


第三十帖
表ばかり見てゐるから判らんのぢゃ。水晶の心なれば三千里先のこともありやか。人民と云ふものは奇跡見ても、病気になっても、中々改心出来んものぢゃ。死後の生活がハッキリ判っても、未だ改心出来んのぢゃ。それは外からのものであるからぢゃ。まことの改心は、中の中ののキいただいて、ほっこんの改心出来ねばならん。死後の生活知らすことはよいなれど、それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。今迄のやうな宗教は亡びると申してあらうが。亡びる宗教に致して下さるなよ。(一月二十二日

第三十一帖
中の自分と外の自分と和せよ。それが改心の第一歩。聞かせてきくならば、実地はカタのカタ位ですむなれど。慾入ると邪気湧く、邪気湧くと邪霊集まるぞ。肉体人に神は直接分らんものぞ。神は能(ハタラ)き、神の働きの影しか判らんものぞ。神の姿、見たと申すのは、神の姿の影を自分の心に描き出したまでであるぞ。心に判っても肉体に判るものでないぞ。肉を魂とせよ。魂を魂の魂と向上させよ。ひらけ来るぞ。何事もとがむでないぞ。とがむ心、天狗ぞ。神の前にへり下り、へり下っても尚過ぎると云ふことないのぢゃ。人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ。今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。他を排すでないぞ。一月二十二日

(感想)

黒鉄の巻は、

昭和25年1月22日ー10月18日

に降ろされた神示のようです。

2025年1月22日ー10月18日

と勝手に解釈しております、笑

私の空想世界では、

これがリアルです(=゚ω゚)ノ

という空想世界に「も」住まわせていただいておりまして、
とっても楽しいです^^

3次元現実娑婆世界「も」住まわせていただいておりますが、
そっちの世界では、至極まともな、いたって真面目なおじさんに見えているはずです(`・ω・´)



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