昨日からなんとなく現役の頃のことを思い出しています。
日本&ブラジル交流高校野球
まだまだ一杯
お話していない
お話できない?
いろんな経験や思い出があります。
そもそもなぜ?スチュワーデスという職業を選んだのか・・・・・・
それは
とっても単純
小学生の時にたまたま偶然に見たドラマに影響されたんです。
そのドラマとは
「アテンションプリーズ」
夢中になってみてました。
それまでそんな職業があることも知らなかったし
国際線で世界中を飛び回る仕事にびっくり!
そして
アテンションプリーズに憧れて
もう本当に憧れて
主人公のスチュワーデスになりたくて
でも現実は
新潟の田舎育ちで飛行機に乗ったことも見たこともなかった。
そんな私は
無理無理
努力しても無理
と
いつの間にか、スチュワーデスになるなんて無理に決まってると自分に思いこませていました。
高校の時
やはり夢を捨てることができない!
いつも土壇場になって決心するという悪い性格が表れ
突然大学の志望校を理数系から文科系に変更しました。
でも準備が間に合わず受験に失敗し予備校生活を送ることに
本当に両親には迷惑をかけました
その予備校で知り合った友人
その人もJALに入りたかった人
その友人が
五月の連休明けにスチュワーデスの採用試験があると教えてくれて
採用条件は短大卒と同等の学歴があることで高卒でも受験できるから受けてみない?
と
話が弾み、友人達数名で受けることにしました。
絶対無理
と思っていたのに一次試験にパスし
二次試験の英語と日本語の面接にバスし
三次試験の身体検査と体力測定にバスしちゃいました。
自信があったのは体力測定だけだったのですが~
嬉しさと
この後の訓練の不安に
どっきどきだったことをはっきりと覚えています。
当時は飛行機はビジネス客中心でツアーや観光の方はほとんどなく
直行便はロサンゼルスが一番遠く
ヨーロッパ各都市とニューヨークはアンカレッジ経由の北回り。
バンコク・中近東経由アテネやローマを往復する南回り。
モスクワ経由のヨーロッパ
ロサンゼルス経由リオデジャネイロの南米線など長いパターンばかり。
一番長いパターンは南回りの21日間でした。
チェックアウトして
(チェックアウトとは訓練をすべて終え、フライトでの見習い乗務もパスし、見習い客室乗務員のバッジも取れ、一人前の乗務員になった時のことを言います。このあと6 months checkという6ヶ月後にもう一度正式な乗務員になれるかのフライト時のチェックがあります)
二年後くらいの頃でした。
スタンバイの前日にスケジューラーから電話で
「明日のスタンバイにフライトが入りました。メモをお願いします。
バンコク・カラチ・アテネ・カラチ・バンコク・成田の19日間で機種はDC10です。」
と事務的な口調で一気に言われました。
スケジューラーも突然こんなフライトが入って気の毒に思ったから
感情のこもらない言い方をしたのだと思います。
逆に私たちが喜びそうなフライト
例えばホノルルチャーター便で行も帰りも同じ旅客
なんていうゴールデンパターンを告げる時は、スケジューラーもラッキーだねって感じの口調だから。
しかし
突然の南回り
電話を切った後
あまりに長いフライトに茫然自失
南回りは一、二年に一度位の割合でアサインされますが
スタンバイで入るなんて聞いたこともなく
全く心の準備がないまま、サムソナイトに荷物を詰め
食料品やお菓子の買い出しに出かけ、
友人や家族と連絡をとり、
なんだかんだでほとんど一睡もせずに、
不安なまま会社に、
ショーアップすることとなりました。
ところが
行ってみると
何人かが私と同じスタンバイ呼び出しで、初顔合わせの人ばかり。
かえって和気あいあいで仕事をすることが出来、
楽しい南回りが始まりました。
カラチでは大使館員のホームパーティーに招かれ、
私たちが得意の料理の腕前を披露する場面もあり、
楽しい時を過ごし
またカラチの絨毯屋さんでは、
大好きなチキンテッカをはじめ、美味しい料理とお酒でもてなされ、
なんとか絨毯は帰りに買うかも
と言ってごまかし、
長いカラチの日々があっという間に過ぎてゆき、いよいよアテネへとむかいます。
引き継ぎの乗務員のインフォメーションでは
私が担当するファーストクラスはガラガラで、
というか
お客様は一名だけでした。
そのお客様は俳優さんです。
有名な超大物俳優です。
あの頃、地球発24時という人気番組をお持ちで、その番組の取材のためにアテネで撮影するのだそうです。
いろいろお話を伺ってみると
なんと
アテネからの帰りのフライトもご一緒だとわかり
(私たち乗務員はカラチで交替し、次の飛行機が来るまでカラチに滞在します。)
「バスをロケハン用にチャーターしているから、よかったら撮影を見学しませんか?」と気さくに誘ってくださいました。
もちろん乗務員全員、大喜び
アクロポリスのパルテノン神殿など、素晴らしい名所旧跡をめぐるロケハンバスの中で、セリフを練習しているお姿には感激しました。
彼曰く
事前に覚えるより、ロケハンのバスの移動中に集中して頭に叩き込むのが秘訣だそうです。
ものすごく長いセリフなのに、
それを一瞬で覚える姿を目の当たりにして、
プロ意識の高さを痛感いたしました。
いまでもその時の写真を大切にしています。
その後
マネジャーの方からもたくさんの写真を送っていただき感激しました。
どうなるかと不安な19日間の南回りが
最高の思い出のフライトとなりました。
あ~あ~ なつかしいなぁ~
日本&ブラジル交流高校野球
まだまだ一杯
お話していない
お話できない?
いろんな経験や思い出があります。
そもそもなぜ?スチュワーデスという職業を選んだのか・・・・・・
それは
とっても単純
小学生の時にたまたま偶然に見たドラマに影響されたんです。
そのドラマとは
「アテンションプリーズ」
夢中になってみてました。
それまでそんな職業があることも知らなかったし
国際線で世界中を飛び回る仕事にびっくり!
そして
アテンションプリーズに憧れて
もう本当に憧れて
主人公のスチュワーデスになりたくて
でも現実は
新潟の田舎育ちで飛行機に乗ったことも見たこともなかった。
そんな私は
無理無理
努力しても無理
と
いつの間にか、スチュワーデスになるなんて無理に決まってると自分に思いこませていました。
高校の時
やはり夢を捨てることができない!
いつも土壇場になって決心するという悪い性格が表れ
突然大学の志望校を理数系から文科系に変更しました。
でも準備が間に合わず受験に失敗し予備校生活を送ることに
本当に両親には迷惑をかけました
その予備校で知り合った友人
その人もJALに入りたかった人
その友人が
五月の連休明けにスチュワーデスの採用試験があると教えてくれて
採用条件は短大卒と同等の学歴があることで高卒でも受験できるから受けてみない?
と
話が弾み、友人達数名で受けることにしました。
絶対無理
と思っていたのに一次試験にパスし
二次試験の英語と日本語の面接にバスし
三次試験の身体検査と体力測定にバスしちゃいました。
自信があったのは体力測定だけだったのですが~
嬉しさと
この後の訓練の不安に
どっきどきだったことをはっきりと覚えています。
当時は飛行機はビジネス客中心でツアーや観光の方はほとんどなく
直行便はロサンゼルスが一番遠く
ヨーロッパ各都市とニューヨークはアンカレッジ経由の北回り。
バンコク・中近東経由アテネやローマを往復する南回り。
モスクワ経由のヨーロッパ
ロサンゼルス経由リオデジャネイロの南米線など長いパターンばかり。
一番長いパターンは南回りの21日間でした。
チェックアウトして
(チェックアウトとは訓練をすべて終え、フライトでの見習い乗務もパスし、見習い客室乗務員のバッジも取れ、一人前の乗務員になった時のことを言います。このあと6 months checkという6ヶ月後にもう一度正式な乗務員になれるかのフライト時のチェックがあります)
二年後くらいの頃でした。
スタンバイの前日にスケジューラーから電話で
「明日のスタンバイにフライトが入りました。メモをお願いします。
バンコク・カラチ・アテネ・カラチ・バンコク・成田の19日間で機種はDC10です。」
と事務的な口調で一気に言われました。
スケジューラーも突然こんなフライトが入って気の毒に思ったから
感情のこもらない言い方をしたのだと思います。
逆に私たちが喜びそうなフライト
例えばホノルルチャーター便で行も帰りも同じ旅客
なんていうゴールデンパターンを告げる時は、スケジューラーもラッキーだねって感じの口調だから。
しかし
突然の南回り
電話を切った後
あまりに長いフライトに茫然自失
南回りは一、二年に一度位の割合でアサインされますが
スタンバイで入るなんて聞いたこともなく
全く心の準備がないまま、サムソナイトに荷物を詰め
食料品やお菓子の買い出しに出かけ、
友人や家族と連絡をとり、
なんだかんだでほとんど一睡もせずに、
不安なまま会社に、
ショーアップすることとなりました。
ところが
行ってみると
何人かが私と同じスタンバイ呼び出しで、初顔合わせの人ばかり。
かえって和気あいあいで仕事をすることが出来、
楽しい南回りが始まりました。
カラチでは大使館員のホームパーティーに招かれ、
私たちが得意の料理の腕前を披露する場面もあり、
楽しい時を過ごし
またカラチの絨毯屋さんでは、
大好きなチキンテッカをはじめ、美味しい料理とお酒でもてなされ、
なんとか絨毯は帰りに買うかも
と言ってごまかし、
長いカラチの日々があっという間に過ぎてゆき、いよいよアテネへとむかいます。
引き継ぎの乗務員のインフォメーションでは
私が担当するファーストクラスはガラガラで、
というか
お客様は一名だけでした。
そのお客様は俳優さんです。
有名な超大物俳優です。
あの頃、地球発24時という人気番組をお持ちで、その番組の取材のためにアテネで撮影するのだそうです。
いろいろお話を伺ってみると
なんと
アテネからの帰りのフライトもご一緒だとわかり
(私たち乗務員はカラチで交替し、次の飛行機が来るまでカラチに滞在します。)
「バスをロケハン用にチャーターしているから、よかったら撮影を見学しませんか?」と気さくに誘ってくださいました。
もちろん乗務員全員、大喜び
アクロポリスのパルテノン神殿など、素晴らしい名所旧跡をめぐるロケハンバスの中で、セリフを練習しているお姿には感激しました。
彼曰く
事前に覚えるより、ロケハンのバスの移動中に集中して頭に叩き込むのが秘訣だそうです。
ものすごく長いセリフなのに、
それを一瞬で覚える姿を目の当たりにして、
プロ意識の高さを痛感いたしました。
いまでもその時の写真を大切にしています。
その後
マネジャーの方からもたくさんの写真を送っていただき感激しました。
どうなるかと不安な19日間の南回りが
最高の思い出のフライトとなりました。
あ~あ~ なつかしいなぁ~