さて、今日は(愛)について私の思ったことを綴ってみたいです。毎土曜日の朝は自転車を(名古屋はケッタと言います)😆こぎながら、道端の花や木々を写メしたり、空を見上げています。林部さんの歌で[晴れた日に空を見上げて]って曲がありますが、何げない一日の始まりに空を見上げるとイエスさまの笑顔に包まれているようで安心です😊さて、愛について〜今日の内容はケッタを漕いでいる時に浮かびました。
アガぺの愛・エロスの愛・など、哲学的な難しい事はさっぱりわかりませんが〜
70年、人生を歩ませて頂いて感じる世界があります。私達は生まれて先ず、親からの愛によって子女としての愛を得ます。私は母を知らないのですが、それでも祖父母の愛に育まれて育って来ました。その愛の証拠はたくさん心に残っています。そして小学校〜高校、大学と進む中で友との友愛(男女問わず)を経験します。その友愛は70歳になった今でも続いています。その間に淡い初恋もありましたが、それは自分の頭や心の中での思い出の一コマであって相手にどうのこうのと言う世界ではないので、これで終了でした😆そして、出会う人の中で恋焦がれた恋愛がありますね。残念ながら若い頃、あまりこの愛に対しては気づきませんでした。
そして、主人とお見合い結婚をして、夫婦として子どもを育てた時の夫婦の愛と子どもへの親の愛がありますね〜主人はとても良い方で彼の自由な精神が大好きでした。なので、夫婦の愛は、結構嬉しく楽しく与えていただきました。子どもは3人いますが、3人共、まったく違うタイプで大変でした。私達夫婦は平等に愛する難しさに悩みました。その時に主、イエスさまを知りました。人間を平等に愛する主の姿に私達の愛の弱さを教えていただきました。
さて、最後に通過しなかった恋愛ですが〜東北大震災の時にひとりの男性を通して連絡が取れなくなり、もう亡くなったかと思った時に、胸が張り裂けそうになりました。何度も電話をかけて〜最後に繋がった時[生きているよ]ー声を聞いた時、私の中に彼への感情が蘇りました。今思えば、その思いは恋愛に等しいものでした。人は生まれて、子女の愛・友愛・恋愛・夫婦の愛・親の愛・そして人類への愛を体験してきますよねーどの愛が最も尊いとかは考えられないですね。なぜって⁉️全ての愛が神さまから始まった愛だからです。
そして今ちょっぴりですが、男性、女性、親、子ども問わず、魂の交わりの中で、その中心に主がおられ、平安と何とも言えない温かさを感じる時があります。ほんの少しですが〜これが究極の愛かもって思っています。この愛が天の御国では永遠に続いていくのかなぁーもう、嬉しくて、嬉しくて、他に何もいりません。今の地上世界にいる時も御国の幸せを味わ得るなんて‼️言葉になりません‼️
長くなりました。心の思いつくままに書いてしまいました。文章、散乱していたらごめんなさい🙏
POEM
魂と魂との会話ー
これが地上に生まれてきて
なすべきことだと思う
そこにこそ
神を見いだすことが出来ると思う
友とたわいもない話しを
しています
その奥で
魂と魂の会話が始まっています
その声が確かに聞こえて来ます
魂が喜んでる
生活がしたいです