映画板 ~ 東京オリンピック(1964年)
ー ※内容含み
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1965年 市川崑監督作品 169分
2021年開催の方も映画化されているようですが、今回は1964年の方です。。
-- ※先生作 ※先生作
ーーーーーーーーーーーー M:【東京オリンピック (映画) 】 とは
『東京オリンピック』(とうきょうオリンピック、Tokyo Olympiad)は、1964年の東京オリンピックの公式記録映画。
1965年3月20日公開。上映時間169分。市川崑が総監督を務めた。
1965年7月10日に大会組織員会が再編集した海外版(英語ナレーション、130分)が東宝洋画系で上映。2004年6月25日に市川崑が再編集したディレクターズ・カット版(147分)がオリジナル版DVDセットに収録。
オリンピックの公式記録映画一覧 > 1964年「東京オリンピック」
東京オリンピック Tokyo Olympiad
※記録映画を撮影する車
監督 市川崑
渋谷昶子(バレーボール)
安岡章太郎(体操)
細江英公
脚本 市川崑
和田夏十
白坂依志夫
谷川俊太郎
製作 田口助太郎
製作総指揮 市川崑
音楽 黛敏郎
撮影 宮川一夫
林田重男
中村謹司
田中正
編集 江原義夫
配給 東宝
公開 日本1965年3月20日
上映時間 169分
製作国 日本
言語 日本語
製作費 3億5360万円
配給収入 12億2321万円
製作話として、最初に話を受けたのは映画監督の★黒澤明で、開催の4年前からローマオリンピックを下見する等、準備を進めていた。
しかし、ニュース映画協会に加盟しているニュース専門会社7社と軋轢を起こすなど、組織員会での★内部対立が起こり、黒澤が希望した予算5億2千万円に対して、約半分の2億4千万円しか提示されないことが決定的となって降板した。
その後、今井正、今村昌平、渋谷実、新藤兼人ら複数の監督に話が流れ、最終的に市川に話が回ってくる。
当時、大映と契約し、勝新太郎初の現代劇である『ど根性物語 銭の踊り』を製作していた市川は、大映社長だった永田雅一から電話連絡を受けて、本作のプロデューサーであった読売新聞社長の田口助太郎と面会、本作の総監督を打診されたが、★五輪に関心がなく、スポーツ全般にも疎かった市川は返答を保留し、帰宅後、妻で脚本家だった和田夏十とも相談して、永田に判断を白紙委任する旨を返答した。
すると2、3日後に永田から、大映との契約を度外視しても良いので引き受けてくれと電話連絡があり、市川は総監督へ就任する事になった。
1964年の4月末に、大映での映画製作を終えた市川は、当時★銀座2丁目にあった帽子屋「トラヤ」の2階に間借りしていたオリンピック映画協会の事務所を初めて訪れたが、そこには田口と事務員、会計係の3人しか居らず、10月開催の予定時点で全く何も進んでいない、従来の映画作りより短い期間で製作しなければならない異常な状況だった。
「いったいこれから何をすればいいんですか」と尋ねた市川に、田口は「組織委員会の仮承諾を得るために、シナリオを作って欲しい」と要望する。
記録映画について予備知識がなく、素人同然の市川だったが、黒澤と対立したニュース専門会社からスタッフを集め、1963年に開催された東京国際スポーツ大会の記録フィルムを鑑賞するなどして、記録映画に関する勉強と人集め、そして組織作りを進めて行った。
記録映画について予備知識がなく、素人同然の市川だったが、黒澤と対立したニュース専門会社からスタッフを集め、1963年に開催された東京国際スポーツ大会の記録フィルムを鑑賞するなどして、記録映画に関する勉強と人集め、そして組織作りを進めて行った。
一方、田口から要望されたシナリオ作りには、和田夏十や脚本家の白坂依志夫、そして、当時映画作りに関心を持っていた詩人の★谷川俊太郎が参加した。
この時、脚本家の菊島隆三にも参加を打診したが、別件とバッティングしたため不参加に終わった。
シナリオに於いて市川は、上映時間を①3時間以内に収め、 ②全種目の決勝場面を必ず挿入するということを留意点に、執筆作業を進めた。 しかし3時間内に全種目を上映する事はすぐに不可能と判明し、全競技種目を★ABCの3ランクに分類して、撮影の優先度を選別し、全体の流れを聖火リレーから始めて、選手入場→開会式→2週間の競技実施→閉会式、と大まかな段取りをつけた上で、データ収集と意見集約を行い、シナリオに活かした。
また作業を進める内に、競技前後のドラマ性に興味を持ち、③競技中以外の場面も率先して撮るよう、アイディアとしてシナリオに取り入れた。 さらには、出場選手のみならず、➃準備スタッフや観客もオリンピックの参加者だと捉え、撮影班を競技班と雑感班に分けて、それぞれの役割を分担させた。
そして、自身がスポーツに疎いからこそ、スポーツファンだけの映画にしない事をスタッフ全員に徹底させることとした。
スタッフの人選は全て市川が行い、美術顧問に亀倉雄策、監督に小説家の★安岡章太郎、写真家の細江英公や東松照明などの顔ぶれが集まった。
スタッフの人選は全て市川が行い、美術顧問に亀倉雄策、監督に小説家の★安岡章太郎、写真家の細江英公や東松照明などの顔ぶれが集まった。
肩書はプロデューサー補であるが、市川と同じ東宝出身のベテラン監督である谷口仟吉も加わっている。
これ以外は、映画作りについて主要メンバーが素人同然であるため、客観的な意見が必要と考え、監修として映画評論家の南部圭之助を起用した。
また予算に関しては、圧倒的に撮影用のフィルムが不足すると考えた市川は、プロデューサーの田口と共に、★国会の予算委員会へ赴いて、予算の増額を要望し、2億4千万円から★3億9千万円に増額されたものの、それでも足りないと考えて★企業タイアップを考案、国策映画であるため資金提供は不可という制約上、★コカ・コーラ社やオリベッティなど各社から撮影フィルムを無償提供して貰うことで、その★謝礼として、劇中に選手がコーラを飲む場面や、オリベッティ製のタイプライターを映すといった、コマーシャル場面を挿入する演出を付け加えることにした。
さらに国立競技場でロケハンをした際、作業員が観客席から豆粒サイズに見えたことに★望遠レンズの必要性を感じて、日本中の望遠レンズをかき集め、一部は高額の外国製を取り寄せるなど撮影環境の充実を図った。
撮影については、市川がすべての競技の撮影に参加する事は不可能であったため、監督部を設けた上で、前述の担当者たちを各競技会場に配置し、市川自身は、★砲丸投げ、槍投げ、走り幅跳び、バレーボールと数競技に立ち会うのみに留まり、これ以外は★本部の置かれた赤坂離宮で待機する事になった。
その際、監督たちとスタッフたちの間の意識統一を図るため、打ち合わせを毎日、各部局ごとにリモート方式で行うことを常とした。
市川は、この毎日の打ち合わせこそが、本作の演出の肝になると考え、★毎日、自身が描いた絵コンテをカメラマンたちに配るなど、打ち合わせに心血を注いだ。
赤坂離宮の本部には、★100台ほどカメラやレンズなど機材が集められ、スタッフは毎朝集合してロケ撮影に出発し、★大会終了後はアオイスタジオが全提供したワンフロアに、編集室と映写室が作られて仕上げ作業が行われた。
本作は★五輪初のカラーワイド作品となり、テクニスコープが採用された。
撮影フィルムは★イーストマン、フジ、さくらの三種類が用いられたが、技術監督の碧川道夫の判断で、さくらやフジフィルムは当時、技術的な問題でハイスピード撮影に使用できず、ラッシュ用ポジや公開用プリントなどの一部に使用されるに留まり、★大部分はイーストマンカラーで撮影された。
五輪が始まる以前から、市川は、本作の★主役は東京という都市であると考え、毎日の打ち合わせが終わるとすぐにカメラマンと外出し、五輪によって激しく変わる東京の街を撮り続けた。
五輪が始まる以前から、市川は、本作の★主役は東京という都市であると考え、毎日の打ち合わせが終わるとすぐにカメラマンと外出し、五輪によって激しく変わる東京の街を撮り続けた。
これは市川が参考にしたレニ・リーフェンシュタール監督の『★民族の祭典』を別視点で表現するという演出を試みたからである。
また『民族の祭典』では、作品として本番で撮れなかった不足分を補う、後撮りが多く散見することを参考試写で発見し、「作り物」を堂々と見せることも記録映画としての演出と判断し、★聖火ランナーの場面などの一部を後撮りで行った。
市川は★『民族の祭典』を韻文に例えるなら、本作は散文であると考え、➃単なる記録としてのニュース映画に終わらせず、様々な雑感を撮る映画であることを心がけた。
ギリシャでの聖火点火の撮影には★不参加だったが、聖火ランナーが通る広島市の撮影には参加している。
10月10日の開会式当日は、前日が嵐だった事もあり、開催が危ぶまれた。 市川は事務総長の与謝野秀に問い合わせ、「明日も嵐なら中止、順延はない。天皇陛下が傘を差してスタンドの玉席に立っていられる程度の雨ならやる」との回答に気を揉んだが、当日は一転して日本晴れとなり、「天皇陛下はついておられるなあ」とつぶやいたという。
10月10日の開会式当日は、前日が嵐だった事もあり、開催が危ぶまれた。 市川は事務総長の与謝野秀に問い合わせ、「明日も嵐なら中止、順延はない。天皇陛下が傘を差してスタンドの玉席に立っていられる程度の雨ならやる」との回答に気を揉んだが、当日は一転して日本晴れとなり、「天皇陛下はついておられるなあ」とつぶやいたという。
大会中、★撮影用の伴走車は一台のみが許可されており、ハイスピードカメラ2台、ノーマルカメラ2台の計4台を駆使して、主に★マラソン競技で使用された。
市川自身が撮影に立ち会った女子バレーボール競技では、屋内競技のため、★望遠レンズが光量不足で使用できず、広角レンズで撮影された。 また、撮影を巡って団体側と技術部が揉める一幕もあったが、協議の結果、★決勝戦では約30台のカメラが配置された。
本作では、製作時に市川が用意した★1600ミリの望遠レンズが多用されているが、一部の競技では、許可された競技場内に約9尺ほどの櫓を組んでの撮影も行われている。
さらに、各競技の担当者と打ち合わせた上で、走り幅跳びは接近撮影した映像、砲丸投げは許可された背後からの撮影した映像を使用している。
閉会式は、当初の予定にはない★ハプニング形式で幕を閉じ、前々からの撮影プランが全て吹っ飛んだ市川は不安になり、スタジアム中を駆け回って撮影状況を確認し、後日のラッシュを見て安堵したという。
ポスト・プロダクション
エンディングのクレジットタイトルは、市川の提案で、全スタッフがアルファベット順・肩書なしで表示される方式を採ったが、組織委員会から、責任者である総監督である市川とプロデューサーの田口だけは別表記するよう横槍が入り、中途半端な演出となっている。
エンディングのクレジットタイトルは、市川の提案で、全スタッフがアルファベット順・肩書なしで表示される方式を採ったが、組織委員会から、責任者である総監督である市川とプロデューサーの田口だけは別表記するよう横槍が入り、中途半端な演出となっている。
撮影されたフィルムはカラーネガで撮影され、★総延長40万フィート、約70時間分にも及んでいたが、★カラーで焼く予算がなかったため、全て★モノクロ状態で焼き付けされた。そのため、その日撮ったフィルムをチェックする際は、当日中に東洋現像所(現イマジカ)へ渡し、翌日の夕方にラッシュ状態になったものを、本部のある赤坂離宮の地下室にて、携帯用映写機でモノクロ状態を確認するという状況だった。
編集は、全フィルムのラッシュを確認した市川が、その中の★4分の一をカラーで焼き直し、そのカラーラッシュを、さらに3時間に編集するという作業工程を経て完成した。
ちなみに、劇中内の★ボクシング競技場面のみモノクロ状態なのは、「ボクシングは格闘技で平和の祭典であるオリンピックにはふさわしくない」と監督部から異論が出て、撮影中止が叫ばれたため、市川が「生々しく撮らず、米国の拳闘映画のように撮ろう」と説得した結果、カラー化されなかったためである。
ナレーションは、「語り口に知性があり、尚且つ柔和、あまり叫ばないのが良い」という理由で、前々から市川がファンでもあった三國一朗が起用された。
ナレーションは、「語り口に知性があり、尚且つ柔和、あまり叫ばないのが良い」という理由で、前々から市川がファンでもあった三國一朗が起用された。
また音楽監督は、当初武満徹が予定されていたが、別作品の制作スケジュールと重なったため降板し、黛敏郎が、本人の快諾もあって急遽起用された。
メインテーマは、★福島県に伝わる子守歌をアレンジしたもので、どうしても子守唄を使いたい市川の要望に応えて制作された。
本作は、当時の日本映画としては珍しく、★ステレオ録音されている。 ただステレオ設備のある映画館は限られており、その館数分に間に合うよう、磁気3本トラックの貼り付け方式である。
そのためサウンドトラックに光学録音で焼きこまれておらず、磁気テープそのものをフィルム横に3本貼りつけただけで、地方館上映用にモノラル版が新たに作り直された。
現在上映されているバージョンは★全てモノラル版である。 音響に関しても、鉄棒に掌が擦れる音や、自転車の銀輪の音など、凝った素材が用いられたが、集められた録音スタッフは大橋鉄矢以下、ドキュメンタリー畑の人間が多く、効果音を大量に注文する市川の方針に戸惑ったものの、直ぐに演出意図を理解して、率先して効果音の制作を行った。
公開
封切日や試写会の日程が次々と決まっていく中、市川はアオイスタジオにて編集作業に明け暮れ、当初は、仕上げに4か月のスケジュールが組まれたことに喜ぶも、直ぐに編集時間が足りないと判明して、★正月を返上して自宅に編集機材を持ち込み、妻の和田夏十や子供まで動員してのフィルム作業に追われた。
封切日や試写会の日程が次々と決まっていく中、市川はアオイスタジオにて編集作業に明け暮れ、当初は、仕上げに4か月のスケジュールが組まれたことに喜ぶも、直ぐに編集時間が足りないと判明して、★正月を返上して自宅に編集機材を持ち込み、妻の和田夏十や子供まで動員してのフィルム作業に追われた。
フィルム探しに4時間をかけることも日常だったという。
本作は1965年3月20日に東宝配給で全国公開された。
公開前は、オリンピック映画に懐疑的な世論の声もあったが、配給する東宝が公開を3月下旬と定めた頃から徐々に盛り上がりを見せ、★一種の社会現象の様相を呈するようになる。
この様子の変化を市川は、「なんだオリンピックだなんて」と思っていた人が「いいもんだなあ、やって良かったなあ」と思い直した人が随分いて、その人たちが映画に少し期待し始めたから、と後年評している。
3月8日に日比谷の有楽座で第1回目の試写会が行われ、後日、東宝劇場にて昭和天皇出席の天覧試写が行われた。 ただ、その間にも市川の編集作業は続けられ、★試写の度に異なるバージョンが作られた。
受賞は以下の通りである。
キネマ旬報ベストテン第2位
毎日映画コンクール監督特別賞、音楽賞、ベストテン入選
日本映画記者会賞、ベストファイブ第3位
映画の日特別功労賞
NHK映画賞特別賞
カンヌ国際映画祭批評家賞
青少年向最優秀映画賞
モスクワ国際映画祭スポーツ連盟賞
総監督を務めることになった市川崑は、自身とその妻で脚本家の和田夏十の名コンビに加え、新鋭脚本家の白坂依志夫と詩人の谷川俊太郎という布陣で、そもそも筋書きなどはないはずのオリンピックのためにまず緻密な脚本を書き、これをもとに壮大なドラマである『東京オリンピック』を撮るという制作手法をとった。
キネマ旬報ベストテン第2位
毎日映画コンクール監督特別賞、音楽賞、ベストテン入選
日本映画記者会賞、ベストファイブ第3位
映画の日特別功労賞
NHK映画賞特別賞
カンヌ国際映画祭批評家賞
青少年向最優秀映画賞
モスクワ国際映画祭スポーツ連盟賞
総監督を務めることになった市川崑は、自身とその妻で脚本家の和田夏十の名コンビに加え、新鋭脚本家の白坂依志夫と詩人の谷川俊太郎という布陣で、そもそも筋書きなどはないはずのオリンピックのためにまず緻密な脚本を書き、これをもとに壮大なドラマである『東京オリンピック』を撮るという制作手法をとった。
日本を代表するカメラマンとして世界的にも名を知られた宮川一夫が主導した撮影にも、アスリートの心情の表現を重視した演出や、超望遠レンズをはじめとする複数のカメラを使った多角的な描写などを駆使し、従来の「記録映画」とは全く性質の異なる極めて芸術性の高い作品に仕上げた。
しかしそれは、1936年のベルリンオリンピックを記録したレニ・リーフェンシュタール監督の『民族の祭典』と並んで、「芸術か記録か」という★大論争を引き起こすことになった。
完成披露試写の2日前(1965年3月8日)に日比谷の有楽座で行われた関係者のみの試写会で本作を鑑たオリンピック担当大臣の★河野一郎は、「俺にはちっともわからん」「記録性をまったく無視したひどい映画」とコメントし、「記録性を重視した映画をもう一本作る」とも述べた。
完成披露試写の2日前(1965年3月8日)に日比谷の有楽座で行われた関係者のみの試写会で本作を鑑たオリンピック担当大臣の★河野一郎は、「俺にはちっともわからん」「記録性をまったく無視したひどい映画」とコメントし、「記録性を重視した映画をもう一本作る」とも述べた。
文部大臣の愛知揆一も「文部省として、この映画を記録映画としては推薦できない」という声明を3月16日に出した。 教育界も混乱し、推薦を取りやめる団体と、構わず子供への視聴を続けた団体と、真っ二つに分かれることになった。
この騒動を受けて、河野の元部下で、本作のプロデューサーでもあり、東京オリンピック映画協会会長だった読売新聞社長の田口助太郎は、河野の紙面上での発言に影響され、市川と対峙する事になる。 また東宝は市川に映画の修正を求め、市川は試写版に★日本人金メダリストやオリンピック建造物の映像を追加して公開版を作成した。
この状況で、女優の高峰秀子は3月18日付の東京新聞に「市川作品はオリンピックの汚点だなどと乱暴なことばをはくなんて、少なくとも国務相と名のつく人物のすることではない」と市川を擁護する意見を投稿した。 高峰はさらに単身河野に面会し、映画と市川の優れた点を訴えるとともに、河野が市川と面談するように求めた。
この状況で、女優の高峰秀子は3月18日付の東京新聞に「市川作品はオリンピックの汚点だなどと乱暴なことばをはくなんて、少なくとも国務相と名のつく人物のすることではない」と市川を擁護する意見を投稿した。 高峰はさらに単身河野に面会し、映画と市川の優れた点を訴えるとともに、河野が市川と面談するように求めた。
このあと河野は3度にわたって市川と面談する機会を持った(うち2回は高峰も同席)。 河野自身、ここまで騒動になるとは考えておらず、発言も、自身が期待した競技が入っていなかったことに、「芸術かもしれないが記録じゃない」と臨席した東京都知事に主観的に話した感想を、新聞記者が紙面で取り上げた結果だと述べ、市川は、予算状況や撮影日程の都合など、現実的な事情を説明して理解を求めた。
最終的に河野は市川と円満に握手をした上で、市川ら関係者の努力を認めて「できあがりに百パーセント満足したわけではないが、自由にやらせてやれ」と、プロデューサーの田口に電話をして、矛を収めることとなった。
市川は後に、「あの混迷から脱出できたのは、デコちゃん(高峰)の仲介のおかげですよ」と述べている。
この時の騒動について市川は映画の完成から20年後に「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。
この時の騒動について市川は映画の完成から20年後に「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。
作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」とインタビューで語っている。
英語版では大会組織委員会が再編集を施し、上映時間が日本語版より40分短い作品に仕上げている。
英語版では大会組織委員会が再編集を施し、上映時間が日本語版より40分短い作品に仕上げている。
一方市川自身も、2004年(平成16年)にオリンピック開催40周年を記念して発売されたDVDでは、本人が再編集したディレクターズカットを公開版と併せ収録している。
このディレクターズカット版も、公開当時に全体のバランスから入れざるを得なかった競技や、やや★創作に偏り過ぎたというチャド共和国の陸上アスリート、アフメド・イサ(英語版)のエピソードがカットされたため、公開版より22分短い。
さまざまな波紋を広げながらも、『東京オリンピック』は日本国内で12億2321万円の配給収入を記録(配収12億円は★1972年公開の『ゴッドファーザー』に抜かれるまで日本記録)。
さまざまな波紋を広げながらも、『東京オリンピック』は日本国内で12億2321万円の配給収入を記録(配収12億円は★1972年公開の『ゴッドファーザー』に抜かれるまで日本記録)。
同年度のカンヌ国際映画祭では国際批評家賞、英国アカデミー賞ドキュメンタリー賞を受賞した。
また映画館の他にも日本各地の学校や公民館で上映会が開かれたことから、その観客動員数は一般観客★750万人、学校動員★1600万人の合計2350万人で、事実上日本映画史上最多であるといわれている。
この映画のタイトルは一般公募され4万7千通もの応募があり、その中から総監督の市川が選ぶというかたちを取ったが、市川は結局のところ「いちばん簡潔なものを」ということでタイトルは『東京オリンピック』に決まった。
映画の製作はオリンピック開催の4か月以上も前の5月28日、オリンピック会場の建設現場でそれまで建っていた建物が壊されるシーンの撮影からクランクインした 。
この映画のタイトルは一般公募され4万7千通もの応募があり、その中から総監督の市川が選ぶというかたちを取ったが、市川は結局のところ「いちばん簡潔なものを」ということでタイトルは『東京オリンピック』に決まった。
映画の製作はオリンピック開催の4か月以上も前の5月28日、オリンピック会場の建設現場でそれまで建っていた建物が壊されるシーンの撮影からクランクインした 。
使用されたカメラは★103台、レンズは★232本、撮影したフィルムの長さは40万フィート、録音テープの長さは★6万5千メートル、携わったスタッフは総勢★556名にも及び撮影と編集には莫大な労力を費やした。
★効果音はほとんどが後付けであり、★富士山をバックに聖火ランナーが走るシーンなども別撮りである。
撮影を進めるうえで「実際に競技している音を望遠マイクで拾うために1700万円」、「競技場の臨場感を再現するステレオ録音にするため680万円」、「閉会式など夜間の明かりが暗い場所で撮影するためF値の明るい超望遠レンズの調達に780万円」、等々と経費が次々とかさみ、★最終的な制作費は3億5360万円まで膨れ上がった。
撮影スタッフの一人に★山本晋也がおり、市川に「選手の癖を撮れ」と言われ、非常に困ったと後に話している。
市川は★1972年ミュンヘンオリンピックの記録映画『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』において、オムニバス形式のパートの一つ(100メートル競走を題材にした"The Fastest")を担当し、再度オリンピック映画を手がけている。
本作で美術顧問を務めた亀倉雄策の友人にグラフィックデザイナーのソール・バスがおり、彼が担当した『グラン・プリ』の冒頭シーンは、本作の影響を受けて作られた。
撮影を進めるうえで「実際に競技している音を望遠マイクで拾うために1700万円」、「競技場の臨場感を再現するステレオ録音にするため680万円」、「閉会式など夜間の明かりが暗い場所で撮影するためF値の明るい超望遠レンズの調達に780万円」、等々と経費が次々とかさみ、★最終的な制作費は3億5360万円まで膨れ上がった。
撮影スタッフの一人に★山本晋也がおり、市川に「選手の癖を撮れ」と言われ、非常に困ったと後に話している。
市川は★1972年ミュンヘンオリンピックの記録映画『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』において、オムニバス形式のパートの一つ(100メートル競走を題材にした"The Fastest")を担当し、再度オリンピック映画を手がけている。
本作で美術顧問を務めた亀倉雄策の友人にグラフィックデザイナーのソール・バスがおり、彼が担当した『グラン・プリ』の冒頭シーンは、本作の影響を受けて作られた。
スタッフは以下の通り。
企画・監修:オリンピック東京大会組織員会
オリンピック記録映画委員会:青木半治、市川崑、今日出海、碧川道夫、南部圭之助、田畑政治、竹田恒徳、田口助太郎、与謝野秀
製作本部委員会:遠山孝(委員長)、釜原武(副委員長)、江原義夫、冨藤本修一郎、清遠純、内藤公融、土屋太郎、脇田善司
プロデューサー:田口助太郎
プロデューサー補:清遠純、熊田朝男、谷口千吉
総監督:市川崑
製作本部長:対馬好武、徳永三千男(代理)、熊田朝男(次長)、清遠純(次長)
編成部長:釜原武
宣伝部長:土屋太郎
編集部長:江原義夫
製作デスク:宮子勝治、大岡弘光
撮影デスク:潮田三代治
機材デスク:松永喜雄
フィルムデスク:滝質
監督部:渋谷昶子(バレーボール)、安岡章太郎(体操)、細江英公、石井敏明、亀田左、日下部水棹、前田博、三松利美、中村倍也、錦織周二、岡田喜一郎、奥山長春、大森勝美、志羽一馬、柴田伸一、杉原文治、須斎安正、鈴木勝利、富岡務、富沢幸男、和田夏十、脇野国広、山岸達児、吉田功(東松照明)
撮影部チーフ:林田重男、宮川一夫、中村謹司、田中正
撮影部:秋本賢治、荒牧早苗、荒井伸太郎、嵐口謙一、浅川敬三、土橋孝始、荏原宗、江口昭秀、古田誠広、後藤満喜男、浜名敏和、羽田栄治、橋本実、林和郎、樋口幹夫、本間輝久、星野厳、池田正男、諌山雄幸、伊藤義一、伊藤正治、井藤守貴男、梶田良治、亀井まゆみ、加茂実、粕谷行夫、菊地徳博、岸本政由、近藤良治郎、栗林剛三、黒川真澄、黒沢勇、正木凌、松石武美、松井公一、松井辰政、松岡洋、三林明喜、三輪正、溝渕文雄、水上正夫、森末良二、長野重一、長瀬要助、中原聡、中村誠二、中尾省吾、中島雄二、西田博幸、野島末幸、農本行輔、野見山務、小川浩、小川信一、大野克己、齋田昭彦、佐々木達春、瀬川浩、鹿野賢三、白井寿、白井康博、袖山登好、杉本哲男、鈴木博、鈴木淑郎、高橋千代、高橋鍈二、高橋宣雄、高宮時夫、竹内功、竹内一昭、竹内輝男、竹下公二、立石潔、富山薫、土屋武彦、角田忠、鶴岡秀夫、宇田川泰三、上野俊郎、角地久雄、牛島武彦、渡辺修、渡辺嬢介、山口益夫、山崎敏正、米山勝彦
撮影部(ノンクレジット):片岡真、妹尾良昭、高橋政治
照明部:江波戸史好、日達論一、北林邦太郎、小林信一、三宅誠三、村瀬栄一、中村栄志、佐沢二郎、関根憲安、嶋昌彦、高宮丈夫、渡辺候二
照明部(ノンクレジット):安西光男、青木弘、広吉誠、磯貝誠、岩田進、金子春一、片岡詔一郎、川又靖雄、児島東晤、小山武久、松田建二、宮沢文男、宮沢登始夫、中山敬一、西片操、西川光平、沼田豊、仙田実、柴崎賢司、柴崎武比古、島百味、曾根田竹司、高橋銀二郎、戸松秀五郎、鰐渕英之、渡辺輝雄、湯本若秋
録音部:長谷川良雄、橋本國雄、星正輝、石野昭光、加川友男、神口章、黒須昭、水口保美、御園一男、宮本隆、直井郁夫、坂田徹、竹上隆夫、田中安治、田中雄二、田代正喜、土屋勝彦、山崎芳彦
録音部(ノンクレジット):藤木昭、星一郎、市川文武、伊藤直三、加来将昭、柏原満、水巻厳、森田一也、中道援久、太田千里、大内貞人、瀬川徹夫、関野任郎、田中義造、佃光男、山口満則、山本義光、山崎秀和、四家秀次郎
編集部:林昭則、石川英夫、小泉貞雄、松村清四郎、中井妙子(記録)、中静達治、並木美稔子、佐々木喜美子、瀬戸口葉子、篠塚清、高橋房子、高橋春子、田中陽造、田中好美、辻香里
編集部(ノンクレジット):前田八重子、山田喜一
進行部:秋元正志、市川一久、加藤友久、小浜二男、松川清次郎、松元順造、大塚高志、園八雲、杉田盛茂、渡辺潤、小永井孝(ノンクレジット)
自動車部:関準治、金子賢三、鈴木務(ノンクレジット)
渉外:安部信一、ロイ・ジェームス(ノンクレジット)
脚本:市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎
顧問:亀倉雄策(美術)、川本信正、三堀家義
音楽監督:黛敏郎、※開会式冒頭のテープ音楽『オリンピック・カンパノロジー』も作曲担当
演奏:読売日本交響楽団
指揮(ノンクレジット):飯守泰次郎、森田吾一
録音監督:井上俊彦、大橋鉄矢
音響効果:杉崎友治郎、坂井三郎(日活効果)
技術監督:碧川道夫
ナレーター:三國一朗
参加:日本大学芸術学部映画学科、早稲田大学(ノンクレジット)
機材整備:ナック・カメラ・サービス
録音:アオイスタジオ
現像:東洋現像所
協力:防衛庁、警視庁、東京消防庁、NHK
職分不明:大源寺喜作、福田晴之、平林信彦、飯塚一七郎、古南晴三、田口佳史、積田定雄、上野匡矢
(出展; /Wiki)
企画・監修:オリンピック東京大会組織員会
オリンピック記録映画委員会:青木半治、市川崑、今日出海、碧川道夫、南部圭之助、田畑政治、竹田恒徳、田口助太郎、与謝野秀
製作本部委員会:遠山孝(委員長)、釜原武(副委員長)、江原義夫、冨藤本修一郎、清遠純、内藤公融、土屋太郎、脇田善司
プロデューサー:田口助太郎
プロデューサー補:清遠純、熊田朝男、谷口千吉
総監督:市川崑
製作本部長:対馬好武、徳永三千男(代理)、熊田朝男(次長)、清遠純(次長)
編成部長:釜原武
宣伝部長:土屋太郎
編集部長:江原義夫
製作デスク:宮子勝治、大岡弘光
撮影デスク:潮田三代治
機材デスク:松永喜雄
フィルムデスク:滝質
監督部:渋谷昶子(バレーボール)、安岡章太郎(体操)、細江英公、石井敏明、亀田左、日下部水棹、前田博、三松利美、中村倍也、錦織周二、岡田喜一郎、奥山長春、大森勝美、志羽一馬、柴田伸一、杉原文治、須斎安正、鈴木勝利、富岡務、富沢幸男、和田夏十、脇野国広、山岸達児、吉田功(東松照明)
撮影部チーフ:林田重男、宮川一夫、中村謹司、田中正
撮影部:秋本賢治、荒牧早苗、荒井伸太郎、嵐口謙一、浅川敬三、土橋孝始、荏原宗、江口昭秀、古田誠広、後藤満喜男、浜名敏和、羽田栄治、橋本実、林和郎、樋口幹夫、本間輝久、星野厳、池田正男、諌山雄幸、伊藤義一、伊藤正治、井藤守貴男、梶田良治、亀井まゆみ、加茂実、粕谷行夫、菊地徳博、岸本政由、近藤良治郎、栗林剛三、黒川真澄、黒沢勇、正木凌、松石武美、松井公一、松井辰政、松岡洋、三林明喜、三輪正、溝渕文雄、水上正夫、森末良二、長野重一、長瀬要助、中原聡、中村誠二、中尾省吾、中島雄二、西田博幸、野島末幸、農本行輔、野見山務、小川浩、小川信一、大野克己、齋田昭彦、佐々木達春、瀬川浩、鹿野賢三、白井寿、白井康博、袖山登好、杉本哲男、鈴木博、鈴木淑郎、高橋千代、高橋鍈二、高橋宣雄、高宮時夫、竹内功、竹内一昭、竹内輝男、竹下公二、立石潔、富山薫、土屋武彦、角田忠、鶴岡秀夫、宇田川泰三、上野俊郎、角地久雄、牛島武彦、渡辺修、渡辺嬢介、山口益夫、山崎敏正、米山勝彦
撮影部(ノンクレジット):片岡真、妹尾良昭、高橋政治
照明部:江波戸史好、日達論一、北林邦太郎、小林信一、三宅誠三、村瀬栄一、中村栄志、佐沢二郎、関根憲安、嶋昌彦、高宮丈夫、渡辺候二
照明部(ノンクレジット):安西光男、青木弘、広吉誠、磯貝誠、岩田進、金子春一、片岡詔一郎、川又靖雄、児島東晤、小山武久、松田建二、宮沢文男、宮沢登始夫、中山敬一、西片操、西川光平、沼田豊、仙田実、柴崎賢司、柴崎武比古、島百味、曾根田竹司、高橋銀二郎、戸松秀五郎、鰐渕英之、渡辺輝雄、湯本若秋
録音部:長谷川良雄、橋本國雄、星正輝、石野昭光、加川友男、神口章、黒須昭、水口保美、御園一男、宮本隆、直井郁夫、坂田徹、竹上隆夫、田中安治、田中雄二、田代正喜、土屋勝彦、山崎芳彦
録音部(ノンクレジット):藤木昭、星一郎、市川文武、伊藤直三、加来将昭、柏原満、水巻厳、森田一也、中道援久、太田千里、大内貞人、瀬川徹夫、関野任郎、田中義造、佃光男、山口満則、山本義光、山崎秀和、四家秀次郎
編集部:林昭則、石川英夫、小泉貞雄、松村清四郎、中井妙子(記録)、中静達治、並木美稔子、佐々木喜美子、瀬戸口葉子、篠塚清、高橋房子、高橋春子、田中陽造、田中好美、辻香里
編集部(ノンクレジット):前田八重子、山田喜一
進行部:秋元正志、市川一久、加藤友久、小浜二男、松川清次郎、松元順造、大塚高志、園八雲、杉田盛茂、渡辺潤、小永井孝(ノンクレジット)
自動車部:関準治、金子賢三、鈴木務(ノンクレジット)
渉外:安部信一、ロイ・ジェームス(ノンクレジット)
脚本:市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎
顧問:亀倉雄策(美術)、川本信正、三堀家義
音楽監督:黛敏郎、※開会式冒頭のテープ音楽『オリンピック・カンパノロジー』も作曲担当
演奏:読売日本交響楽団
指揮(ノンクレジット):飯守泰次郎、森田吾一
録音監督:井上俊彦、大橋鉄矢
音響効果:杉崎友治郎、坂井三郎(日活効果)
技術監督:碧川道夫
ナレーター:三國一朗
参加:日本大学芸術学部映画学科、早稲田大学(ノンクレジット)
機材整備:ナック・カメラ・サービス
録音:アオイスタジオ
現像:東洋現像所
協力:防衛庁、警視庁、東京消防庁、NHK
職分不明:大源寺喜作、福田晴之、平林信彦、飯塚一七郎、古南晴三、田口佳史、積田定雄、上野匡矢
(出展; /Wiki)
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ーーー 初版20240726 昨日の東京都心大手町最低気温27.0℃ 最高気温34.8℃、、 全国では 大分日田の39.0℃が最高気温、以下熊本甲佐38.8℃ 同八代38.6℃ 福岡久留米・同太宰府38.4℃ 群馬桐生38.3℃ 長崎島原38.1℃ 熊本同市・佐賀同市38.0℃ 熊本宇城三角37.8℃ 真夏日527猛暑日102全国地点(24水)
ー時節項追記前日深夜未明迄 ※25木の内容が中心 ① ▷東北広範囲 深夜も大雨 警戒 木 ▷山形県 大雨警報に 切り替え 20:25 ▷東北-西日本 26金にかけ 災害警戒 18:52 ▷山形の大雨 河川の水位 上昇 14:44 ▷秋田・山形 安全確保を呼びかけ 気象庁 14:22 ▷不調きたす人も 玄関前線 とは 12:11 > 暑い屋外から冷えた室内へ 自律神経の乱れに注意とも、、 ▷山形新幹線 山形ー新庄間 運休 14:08 ▷土砂崩れ 1人行方不明 秋田 12:08 ▷山形に線状降水帯 大雨特別警報 気象庁 13:12 【震災関連】▷ ➊ ▶台風3号 台湾通過 3人死亡で進路の中国も恐恐 木 ▶カナダ西部 山火事広がる 避難地域拡大で石油生産に影響懸念も 14:06 ② ▷ふるさと納税 初 1兆円超 19:03 ▷ミサイル発射場 南鳥島に 整備へ 20:16 ➋ ▶北 露の子供たちのサマーキャンプ 受け入れへ 木 > ものすごい立派な合宿所で。 金日成、正日の銅像磨きが日課とか、、貧食で体重減とかもかつての参加者が云っていたと報じられていましたが何処まで正しい事なのやら、、 ▶ト氏 ハリス氏を 徹底攻撃 19:35 ▶銃撃容疑者 ケネディ氏暗殺を 検索 8:22 ▶ハリス氏の 候補指名 前倒し決定 10:28 ▶イスラエル首相 ト氏を 称賛 9:27 ▶バ氏演説 撤退「最善の道」10:20 ③ ◭▷日産の営業利益 99%減 4‐6月期 18:22 > コレは幾ら何でもマズイのでは? ◭▷東証終値 1285円安 今年最大下げ幅 16:09 ▷郵便事業の赤字 896億円 日本郵政 20:30 ▷置き配 ポイント還元 10月から 18:20 ◮▷いよいよ本格的に円高? 一時152年だに上昇 日経平均は下げ幅1100円超 12:41 > 当しから思惑様々とも、、 ▷東証 株取引のルール変更 検討 0:37 ◮▷円高進む 一時1ドル@152円台に 10:14 ▷日経平均 大幅下落 利上げ意識か 13:18 ➌ ▶ハワイ日報 112年の歴史 突然の倒産 14:15 ▶◭販売苦戦 ホンダ中国 生産力削減 11:17 ④ ▷コロナ治療薬「高い」 治療諦めた 患者 14:53 ▷飲む中絶薬 重い後遺症なし 国調査 18:05 ▷コロナ 11波へ 感染者急増 19:09 > オミクロン株からの変異種、KP.3が猛威、、 ▷東京ドクターヘリ 異常なキャンセル率 都担当者反論「人命を切り捨てて良い訳がない」11:01 ▷エアコン カビ風で疾患も 対策 11:34 ▷コロナ感染後 11歳死亡 親の後悔 11:01 ➍▶ ⑤ ▷全国中学生大会 縮小へ 動揺する生徒 17:52 > 何処の馬鹿が子供たちの夢を取り上げようとしているんだ!(超呆 ◮▷元代表DF酒井宏樹 豪1部 移籍へ 9:16 ➎ ◭▶GK小久保 ラフプレーに 苦言呈す 12:24水 ➎【パリ五輪2024関連】 ▶パリ市内 意外にも観光客減 テロ警戒で入国規制が背景 木 ▶◭7人制ラグビー予選 日本 苦しい連敗スタート 水 ▶「マットレスは?」 選手村で再び採用の段ボールベッドに シビアな意見 16:00 > 米パラ陸上選手「寝心地は悪い」とキッパリ > 日本は寝具会社がタイアップで3つの部分に分けた固さを選べるマットレスを無償提供とも、、 ▶パリ五輪 北が過去金5銀8銅5と得意の重量挙げ競技 参加せず 木 > ドーピング疑惑が理由とか。。 東京五輪をコロナ蔓延危惧でボイコット。IOCから2022年迄の参加資格をはく奪されていたため北京冬季五輪には出れず今回が復帰戦となる。 ◭テニス錦織 ダブルス2種目 出場へ 6:19 ▶サッカー、イスラエル戦 警備 1000人態勢 9:43 ▶◭五輪サッカー 日本 大勝 9:31 ▶パリ五輪大会3日前 開会式演者らストライキ 待遇巡り 水 ▶五輪スタッフ 身元調べ 5000人除外 11:57 ⑥ ▷雨竜川氾濫で水田水没 集荷雨量落ちるのは間違いない 稲倒れゴミ流木が流入を復興作業~北海道深川市 12:31 ▷◮シカへの 危害警戒 DJポリス出勤~奈良公園 13:02 ➏ ▶メキシコ テキーラ蒸留所が爆発炎上 6人死亡2人負傷 14:40 ▶移民船転覆 15人死亡 150人超不明~アフリカ西部沖 8:43 ⑦▷➐▶ ⑧ ▷アマチュア発見 化石 恐竜新種~兵庫丹波 19:00 > 丹波竜に次ぐ2例目。10年以上前に見つかっていたものが「ヒプノヴェナトル・マツバラエトオオエ」という鳥への進化へと辿ったグループの新種だったとの事。。 ▷2分で体温下がった 好評 枚方寝屋川消防がアイスバス導入 17:53 > コレ、緊急の熱中症対策に常設しては? ▷国立公園の山林 無数のニョキニョキ 杉の苗木をシカから守るエコなシェルター 13:34 ▷プール中止理由 平成と令和 対比話題 8:29 ➑ ◭▶「インサイトヘッド2」 興収 アナ雪超え 18:08 ⑨ ▷動くなら「3球団※」 ヌート苦戦続けばNPB入り可能性高まる? 18:02 ※SB、オリ、巨人だとか ▷神 3年目豊田を登録抹消 11試合打率.211 16:55 ▷中日立浪監 投手コーチ配置転換に ファン賛否 12:56 > 先発陣の立て直しが急務、理解できないとの声、、 ▷18歳の1軍デビューの可能性 SBD1前田悠伍 一軍練習で潜在能力証明 14:24 > 首脳陣はローテの一角に と期待とも。。 ▷得点圏打率.364の 撃てる投手 巨・山崎伊織「飛距離より確実性求めて」15:00 > 巧打の原点は8年前の左方向への低い打球の打撃練習だった、、とも ▷エスコバー DeNA復帰断念「貢献できる場所はない」 メキシコ入りを日本語で異例報告 10:49 ▷球宴で歴史的 打ち合い 両軍で26点 水 ⑨【ペナント結果】 《セ》▷神広De巨ヤ中 《パ》▷オソ西ロハ楽 ※移動日。26金にペナント再開 ⑨【順位表👇;出展:スポナビ】※21日の前節終了時点のもの ⑨【高校野球2024👇関連】 ▷「暑さ指数」何のため? 高校野球半数が「運動は原則禁止」で実施 埼玉 17:46 ▷大阪桐蔭4強 プロ注内野手・ラマル 代打で2ラン 14:21 ▷高校野球動画の投稿 禁止 プレー批判や中小SNS相次ぎ「選手を守る措置」15:01 ▷近江 まさかの敗退 2‐9綾羽に7回コールド負け 6大会連続優勝ならず 14:10 ▷群馬大会 前橋育英 準決勝敗退 12:36 > 選抜優勝の健大高崎に延長で敗れる、、 ➒ ▶ド軍 内野手がヤバイ 二塁手走塁中途中交代、試合前は遊撃手が故障DL入り 13:55 ▶首位打者 ランキングから姿消し 大谷首位に 13:38 ➒【MLB試合結果】 《A》▶Ast8-1Ath ▶A2-1マリナ ▶T1-2Ga ▶Ray3-6BJ ▶WS2-10TxR 《N》▶Red9-4ブレ ▶Kaj0-5P▷ヌート8LF 3-1 .237 ▶ブリ3-2Cub▷鈴木3RF 4-2 1点 本1 .264 ▶Red[中止]ブレ ▶Pd12-3Nat▷松井7裏12-3勝ちシチュ2番手1I 11球1安打 1K無失点付かず 通算3勝2敗8H 防3.53 ▶G8-3D▷大谷1DH 4-0 .310 《I》▶Ph4-5Tw ▶RS7-20Roc ▶Ori3-6マーリ ▶Met12-3NY ▶DB8-6Roy ⑩ ▷プロゴルファーで作家、コメンテイター、漫画原作者の坂田信弘さんが22月に死去。76歳。17:23 > ご家族のご意向で死因などは明らかにされていない。 同氏は1993年に坂田塾を主催し、上田桃子、古閑美保ら一流プレイヤーを数々輩出。韓国ゴルファーが大勢日本に席巻する以前に特に女子プロの世界に一時代を形成した。 一般のアマチュア向けにも「ゴルフ進化論」などを執筆し、タイパタヤのバンプラGCでの合宿などを実施、、漫画「風の大地」の原作も務めていた。 とても参考になる斬新なことを幾つもいろいろな媒体で教えて頂いたような気がします。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌 ➓▶ ⑪【旧J等性被害・/芸能関連N全般】 ▷プロゴルファー杉山知晴容疑者 不同意性交容疑 逮捕 11:49
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⑨👉 NPB順位《セ》7/22月 0:02 第17週後半3戦終了時 1△巨 46勝38敗5分① ー 次戦26金 De 横浜➌ 2▼広 43勝37敗4分⑥ 1 次戦26金 ヤ 神宮➌ 3 De45勝42敗1分② 1.5 4 神 43勝42敗5分 1 次戦26金 中 甲子園➌ 5 中 38勝46敗6分 4.5 6 ヤ 36勝47敗4分③ 1.5
👉NPB順位《パ》 セパ共30カード目。 21日20:34更新 1 ソ55勝29敗3分① ー 次戦26金 オ みPayD➌ 2 ロ44勝38敗6分 10 次戦26金 楽 楽モバ➌ 3 ハ43勝39敗5分① 1 次戦26金 西 エスコンF➌ 4 楽43勝41敗2分② 1 5 オ40勝45敗2分① 3.5 6 西27勝59敗1分① 13.5 ※ 「勝敗分」後ろの丸数字①~は、雨天中止・移動日などで 未消化数。 付いてない球団が最も消化数が多い。丸数字はそことの消化試合数の差。 ※ 次戦は翌日日程。そうでない場合は日付表記。※👇 ※ 👉次戦後ろの➋➌は初日からこのカードの試合数。 ①②は中数日や移動日含みの2戦等地方球場遠征や、消化試合などの変則日程。 ※ 揺れご容赦 <()>
ー
⑨👉 【甲子園高校野球2024 代表校決定都道府県】
※丸数字は出場回数 ➊は初出場
※日付は決定予定日 🔻昨日出場決定
※第106回全国高等学校野球選手権大会 8/7(水)ー24(土)(雨天順延、3回戦2日目、準々決勝、準決勝翌日の休養日を含む)の17日間開催予定
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北北海道 白樺学園➃ 9年振り
南北海道 札幌日大➊ 過去3度敗退、創部38年目の悲願達成
青森 青森山田⑫ 7年振り
岩手 🔻花巻東⑫ 2年連続
秋田 金足農業⑦ 6年振り
山形 26金
宮城 聖和学園➊ 創部20年目の節目の年に
福島 28日
茨城 27土
栃木 28日
群馬 27土
埼玉 28日
千葉 27土
東東京 29月
西東京 28日
神奈川 東海大相模⑫ 5年振り 横浜2年連続決勝敗退
新潟 🔻25木[試合中止26金に順延]
長野 27土
山梨 日本航空⑦ 3年振り
静岡 29月
愛知 28日
岐阜 27土
三重 28日
富山 27土
石川 27土
福井 27土
滋賀 27土
京都 28日
大阪 28日
兵庫 28日
奈良 28日
和歌山 29月
岡山 29月
広島 27土
鳥取 🔻鳥取城北⑥ 6度目
島根 27土
山口 28日
香川 27土
徳島 29月
愛媛 30火
高知 27土
福岡 西日本短大付⑦ 3年振り
佐賀 有田工③ 2年振り
長崎 29月
熊本 🔻熊本工②③ 3年振り ※現在、最多出場校
大分 27土
宮崎 26金
鹿児島 27土
沖縄 興南⑭ 2年振り
ー (画像・ 1) /mif design
(画像・ 2) /
(画像・ 3) / (画像・ )/ (画像・)/
ー ※以下は時節項画像👇
👉(画像・ ) /(画像・)/
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