タイ語板  5枚目~!!  

続きです  ※時節項は此処です

成績
競走成績

下記の内容は、netkeiba.comおよび『中央競馬全重賞競走成績 GI編』(1996年)の情報に基づく。
競走日 競馬場 競走名 格 頭数 枠番 馬番 人気 オッズ 着順 距離(馬場) タイム (上り3F) 騎手 1着馬(2着馬) 馬体重[kg]
1987. 5. 19 笠松 3歳新馬 10 5 5 2人 2着 ダ800m(良) 0:50.1 青木達彦 マーチトウショウ 452
6. 2 笠松 3歳イ 7 1 1 1人 1.1 1着 ダ800m(良) 0:51.1 高橋一成 (ノースヒーロー) 450
6. 15 笠松 3歳イ 9 8 8 1人 1着 ダ800m(重) 0:49.8 青木達彦 (フェートチャールス) 456
7. 26 笠松 3歳イ 7 7 7 1人 2着 ダ800m(良) 0:50.3 高橋一成 マーチトウショウ 470
8. 12 笠松 3歳イ 8 7 7 1人 2.4 1着 ダ800m(良) 0:49.7 高橋一成 (マーチトウショウ) 470
8. 30 笠松 秋風ジュニア 10 5 5 1人 1着 ダ1400m(良) 1:30.3 安藤勝己 (マーチトウショウ) 476
10. 4 笠松 ジュニアクラウン 重賞 9 5 5 1人 1着 ダ1400m(良) 1:29.4 安藤勝己 (マーチトウショウ) 472
10. 14 中京 中京盃 重賞 12 3 3 1人 1.5 1着 芝1200m(良) 1:10.8 安藤勝己 (アーデントラブ) 470
11. 4 名古屋 中日スポーツ杯 重賞 12 4 4 1人 1.2 1着 ダ1400m(良) 1:29.8 安藤勝己 (ハロープリンセス) 476
12. 7 笠松 師走特別 10 8 9 1人 1.7 1着 ダ1600m(良) 1:44.4 (39.9) 安藤勝己 (ヤングオージャ) 482
12. 29 笠松 ジュニアグランプリ 重賞 9 5 5 1人 1着 ダ1600m(良) 1:45.0 安藤勝己 (トウカイシャーク) 482
1988. 1. 10 笠松 ゴールドジュニア 重賞 10 6 6 1人 1.1 1着 ダ1600m(不) 1:41.8 (37.0) 安藤勝己 (マーチトウショウ) 486
3. 6 阪神 ペガサスS GIII 10 4 4 2人 3.8 1着 芝1600m(良) 1:35.6 (35.9) 河内洋 (ラガーブラック) 482
3. 27 阪神 毎日杯 GIII 10 8 10 1人 2.2 1着 芝2000m(重) 2:04.8 (38.3) 河内洋 (ファンドリデクター) 476
5. 8 京都 京都4歳特別 GIII 15 8 15 1人 1.3 1着 芝2000m(稍) 2:03.6 (37.1) 南井克巳 (コウエイスパート) 480
6. 5 東京 NZT4歳S GII 13 7 11 1人 1.2 1着 芝1600m(良) R1:34.0 (35.5) 河内洋 (リンドホシ) 480
7. 10 中京 高松宮杯 GII 8 2 2 1人 1.2 1着 芝2000m(良) R1:59.0 (34.5) 河内洋 (ランドヒリュウ) 478
10. 9 東京 毎日王冠 GII 11 6 8 1人 1.7 1着 芝1800m(稍) 1:49.2 (35.5) 河内洋 (シリウスシンボリ) 494
10. 30 東京 天皇賞(秋) GI 13 1 1 1人 2.1 2着 芝2000m(良) 1:59.0 (34.8) 河内洋 タマモクロス 492
11. 27 東京 ジャパンC GI 14 4 8 3人 6.9 3着 芝2400m(良) 2:25.8 (35.7) 河内洋 ペイザバトラー 494
12. 25 中山 有馬記念 GI 13 6 10 2人 3.7 1着 芝2500m(良) 2:33.9 (35.6) 岡部幸雄 (タマモクロス) 492
1989. 9. 17 中山 オールカマー GIII 13 7 11 1人 1.4 1着 芝2200m(良) R2:12.4 (34.7) 南井克巳 (オールダッシュ) 490
10. 8 東京 毎日王冠 GII 8 6 6 1人 1.4 1着 芝1800m(稍) 1:46.7 (34.8) 南井克巳 (イナリワン) 498
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 14 3 4 1人 1.9 2着 芝2000m(良) 1:59.1 (34.4) 南井克巳 スーパークリーク 496
11. 19 京都 マイルCS GI 17 1 1 1人 1.3 1着 芝1600m(良) 1:34.6 (35.7) 南井克巳 (バンブーメモリー) 496
11. 26 東京 ジャパンC GI 15 2 3 2人 5.3 2着 芝2400m(良) 2:22.2 (35.9) 南井克巳 ホーリックス 496
12. 24 中山 有馬記念 GI 16 1 1 1人 1.8 5着 芝2500m(良) 2:32.5 (37.4) 南井克巳 イナリワン 496
1990. 5. 13 東京 安田記念 GI 16 5 9 1人 1.4 1着 芝1600m(良) R1:32.4 (35.0) 武豊 (ヤエノムテキ) 496
6. 10 阪神 宝塚記念 GI 10 6 6 1人 1.2 2着 芝2200m(良) 2:14.6 (37.5) 岡潤一郎 オサイチジョージ 500
10. 28 東京 天皇賞(秋) GI 18 6 12 1人 2.0 6着 芝2000m(良) 1:58.9 (36.6) 増沢末夫 ヤエノムテキ 500
11. 25 東京 ジャパンC GI 15 4 7 4人 7.3 11着 芝2400m(良) 2:24.1 (35.4) 増沢末夫 ベタールースンアップ 496
12. 23 中山 有馬記念 GI 16 4 8 4人 5.5 1着 芝2500m(良) 2:34.2 (35.2) 武豊 (メジロライアン) 494

タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
枠番・馬番の太字は単枠指定を示す。

 種牡馬成績
産駒は1994年にデビューし、初年度産駒のオグリワン、アラマサキャップが中央競馬の重賞で2着し期待されたが、中央競馬の重賞優勝馬を出すことはできず、リーディングサイアーでは最高成績が105位(中央競馬と地方競馬の総合)、血統登録された産駒は342頭であった。

 主な産駒
フルミネート - サラブレッド系3歳優駿。後に馬術競技馬「ワダルコ」となる。
アラマサキャップ - クイーンステークス2着。孫にアイビスサマーダッシュの勝ち馬ラインミーティアがいる。
オグリワン - ききょうステークス、小倉3歳ステークス2着。
ノーザンキャップ - 中央競馬3勝、種牡馬。産駒のクレイドルサイアーが種牡馬登録されている。
オグリエンゼル - 地方競馬27勝、如月賞
アンドレアシェニエ - 地方競馬14勝、オグリキャップ産駒最後の現役競走馬。2012年7月死亡。
ミンナノアイドル - オグリキャップ最後の産駒。母グレイスクイン。馬主はローレルクラブ。
Rocks Rule - 母のワカシラユキがアイルランドで出産。2010年3月9日、イギリスニューカッスル競馬場の障害馬用の平地競走で初出走初勝利。

 子孫
唯一の後継種牡馬★ノーザンキャップの産駒である「クレイドルサイアー」が2013年に種牡馬登録されており、父系としてはかろうじて存続している。
ノーザンキャップはクレイドルファームで種牡馬入りしたが生涯の種付け頭数は★わずか2頭のみであり、そのうち1頭は不受胎となったため、クレイドルサイアーが唯一の産駒である。

クレイドルサイアーは2戦してどちらも大敗、そのまま引退となったがその10年後となる2013年に突如種牡馬登録され、生まれ故郷のクレイドルファームに繋養された。
クレイドルサイアーは2019年に5頭に種付けをしており、そのうちの1頭であるフォルキャップが2022年6月2日に門別競馬場でデビュー(4着)。
同年9月29日には同競馬場で初勝利を挙げた。

繁殖入りした牝馬も少なく、34頭しかいない。
2017年にラインミーティア(父メイショウボーラー、母の母の父がオグリキャップ)がアイビスサマーダッシュを勝利し、オグリキャップの血を引く馬としては初めて重賞を制覇した。
しかし、34頭のうち産駒が繁殖牝馬となった馬もほとんどおらず、オグリキャップの血を引く繁殖牝馬は急激に減少している。

2020年10月にホワイトシスネ(母キョウワスピカ、母父オグリキャップ)がホッカイドウ競馬を登録抹消となり一旦はオグリキャップの孫世代の現役競走馬がいなくなった。
その後、2021年4月にミンナノアイドルの産駒であるミンナノヒーロー(父ゴールドアリュール、母父オグリキャップ)が岩手競馬でデビュー。
2021年5月に初勝利し、その後通算3勝目を挙げたが、同年7月20日の盛岡競馬第8競走で故障し、左第1指関節開放脱臼のため予後不良となり死亡した。

2021年6月19日、ミンナノアイドルの産駒であるレディアイコ(父モーリス、母父オグリキャップ)がJRAでデビューした(16着)。
その後、岩手競馬を経て笠松競馬へ移籍したが調教中に骨折をして引退。
身体が小さく繁殖入りも難しいということでヴェルサイユリゾートファームで功労馬として繋養されることになった。

 特徴・評価
 知能・精神面に関する特徴・評価
ダンシングキャップ産駒の多くは気性が荒いことで知られていたが、オグリキャップは現3歳時に調教のために騎乗した河内洋と岡部幸雄が共に古馬のように落ち着いていると評するなど、落ち着いた性格の持ち主であった。
オグリキャップの落ち着きは競馬場でも発揮され、パドックで観客の歓声を浴びても動じることがなく、ゲートでは落ち着き過ぎてスタートが遅れることがあるほどであった。

岡部幸雄は1988年の有馬記念のレース後に「素晴らしい精神力だね。この馬は耳を立てて走るんだ。レースを楽しんでいるのかもしれない」と語り、1990年の有馬記念でスローペースの中で忍耐強く折り合いを保ち続けて勝利したことについて、「類稀なる精神力が生んだ勝利だ」と評したが、オグリキャップと対戦した競走馬の関係者からもオグリキャップの精神面を評価する声が多く挙がっている。
オグリキャップに携わった者からは学習能力の高さなど、賢さ・利口さを指摘する声も多い。

 身体面に関する特徴・評価
オグリキャップはパドックで人を引く力が強く、中央競馬時代は全レースで厩務員の池江と調教助手の辻本が2人で手綱を持って周回していた。
さらに力が強いことに加えて★柔軟性も備えており、「普通の馬なら絶対に届かない場所」で尻尾の毛をブラッシングしていた厩務員の池江に噛みついたことがある。
南井克巳と武豊は共に、オグリキャップの特徴として柔軟性を挙げている。

笠松在籍時の厩務員の塚本勝男は3歳時のオグリキャップを初めて見たとき、★腿の内側に力があり下半身が馬車馬のようにガッシリしているという印象を受けたと述べている。
最も河内洋によると、中央移籍当初のオグリキャップは前脚はしっかりしていたというものの、後脚がしっかりとしていなかった。
河内はその点を考慮して後脚に負担をかけることを避けるためにゆっくりとスタートする方針をもって騎乗したため、後方からレースを進めることが多かったが、ニュージーランドT4歳Sに出走した際には後脚がかなりしっかりとしていたという。
河内は後に「小さな競馬場でしか走ることを知らなかったオグリに、★中央の広いコースで走ることを教え込んだのはワシや」と述べている。

オグリキャップの体力面について、競馬関係者からは★故障しにくい点や故障から立ち直るタフさを評価する声が挙がっている。
輸送時に★体重が減りにくい体質でもあり、通常の競走馬が二時間程度の輸送で6キロから8キロ体重が減少するのに対し、1988年の有馬記念の前に美浦トレーニングセンターと中山競馬場を往復した上に同競馬場で調教を行った際に2キロしか体重が減少しなかった。

オグリキャップは心臓や消化器官をはじめとする★内臓も強く、普通の馬であればエンバクが未消化のまま糞として排出されることが多いものの、オグリキャップはエンバクの殻まで隈なく消化されていた。
安藤勝己は、オグリキャップのタフさは★心臓の強さからくるものだと述べている。
獣医師の吉村秀之は、オグリキャップは中央競馬へ移籍してきた当初からスポーツ心臓を持っていたと証言している。

 走行・レースぶりに関する特徴・評価
オグリキャップは走行時に馬場を掻き込む力が強く、その強さは調教中に馬場の地面にかかとをこすって出血したり、★蹄鉄の磨滅が激しく頻繁に打ち替えられたために蹄が穴だらけになったことがあったほどであった。
なお、栗東トレーニングセンター競走馬診療所の獣医師松本実は、5歳時に発症した★右前脚の繋靭帯炎の原因を、生まれつき外向していた右脚で強く地面を掻き込むことを繰り返したことにあると分析している。

笠松在籍時の調教師鷲見昌勇は、調教のためにオグリキャップに騎乗した経験がある。
その時の印象について鷲見は「筋肉が非常に柔らかく、フットワークにも無駄がなかった。 車に例えるなら、スピードを上げれば重心が低くなる高級外車みたいな感じだよ」と感想を述べている。
乗り味についても「他馬が軽トラックなら、(オグリキャップは)高級乗用車だ」と評し、「オグリキャップは全身がバネ。キャップが走ったらレースにならんて」と発言したこともある。

笠松時代のオグリキャップに騎乗した青木達彦は、「オグリキャップが走った四脚の★足跡は一直線だった。 軽いキャンターからスピードに乗るとき、ギアチェンジする瞬間の衝撃がすごかった」と述べている。
オグリキャップは肢のキック力が強く、瞬発力の強さは★一回の蹴りで前肢を目いっぱいに延ばし、浮くように跳びながら走るため、この走法によって普通の馬よりも20から30センチ前に出ることができた。
一方で入厩当初は右前脚に骨膜炎を発症しており「馬場に出ると怖くてよう乗れん」という声もあった。

オグリキャップは★首を良く使う走法で、沈むように首を下げ、前後にバランスを取りながら地面と平行に馬体を運んでいく走りから、笠松時代から「地を這う馬」と形容されることがあった。
安藤勝己は秋風ジュニアのレース後、「重心が低く、前への推進力がケタ違い。あんな走り方をする馬に巡り会ったのは、初めて」と思ったという。瀬戸口勉もオグリキャップの走り方の特徴について、重心と首の位置が低いことを挙げている。

河内洋はオグリキャップのレースぶりについて、★スピードタイプとは対照的な「グイッグイッと伸びる力タイプ」と評し、騎乗した当初からオグリキャップは「勝負所になると自ら上がっていくような感じで、もうオグリキャップ自身が競馬を知っていた」と述べている。
また「一生懸命さがヒシヒシ伝わってくる馬」、「伸びきったかな、と思って追うと、そこからまた伸びてきよる」、「底力がある」とする一方、走る気を出し過ぎるところもあったとしている。
一方でGIクラスを相手にした時のオグリキャップは抜け出すまでにモタつく面があるため★多頭数のレースだとかなり不安が残る馬と分析し、「直線の入り口でスーッと行ける脚が欲しい」と要望していた。

河内の次に主戦騎手を務めた南井克巳は、オグリキャップを「力そのもの、パワーそのものを感じさせる馬」「どんなレースでもできる馬」「レースを知っている」と評し、1989年の毎日王冠のレース後には「この馬の勝負根性には本当に頭が下がる」と語った。
同じく主戦騎手を務めた★タマモクロスとの比較については「馬の強さではタマモクロスのほうが上だったんじゃないか」と語った一方で、「オグリキャップのほうが素直で非常に乗りやすい」と述べている。
オグリキャップ引退後の1994年に自身が主戦騎手となってクラシック三冠を制した★ナリタブライアンにデビュー戦の直前期の調教で初めて騎乗した際には、その走りについて★加速の仕方がオグリキャップに似ていると感じ、この時点で「これは走る」という感触を得ていたと述べている。

武豊によるとオグリキャップは★右手前で走ることが好きで、左回りよりも★右回りのコースのほうがスムーズに走れた。
またコースの★左右の回りを問わず、内側にもたれる癖があった。

野平祐二はオグリキャップの走り方について、「弾力性があり、追ってクックッと伸びる動き」が、自身が調教師として管理した★シンボリルドルフとそっくりであると評した。

オグリキャップは休養明けのレースで好成績を挙げている。
南井克巳はその理由として、オグリキャップはレース時には正直で手抜きを知らない性格であったことを挙げ、「間隔をあけてレースを使うとすごい瞬発力を発揮する」と述べている。
一方で南井は、レース間隔が詰まると逆に瞬発力が鈍るとも述べている。

オグリキャップの距離適性について、河内は★本来はマイラーであると述べている。
毎日杯のレース後には「距離の2000mもこなしましたが、この馬に一番の似合いの距離は、前走のペガサスステークスのような1600メートル戦じゃないかな」とコメントし、「マイル戦では無敵だよ」と発言したこともある。
同じく主戦騎手を務めていた★サッカーボーイとの比較においては、「1600mならオグリキャップ、2000mならサッカーボーイ」と述べている。

岡部幸雄はベストは1600mで2500mがギリギリとし、瀬戸口勉は1988年の有馬記念に出走する前には血統からマイラーとみていたため、「2500mは長いのではないか」と感じ、後にベストの条件は1600mとし、マイル戦においては無敗だったため「マイルが一番強かったんじゃないかな」と述べている。

競馬評論家の山野浩一は1989年のジャパンカップを世界レコードタイムで走った事を根拠に「オグリキャップをマイラー・タイプの馬と決めつけることはできない」と述べ、大川慶次郎は一見マイラーだが頭がよく、先天的なセンスに長けていたため長距離もこなせたと分析している。
なお、父のダンシングキャップは一般的に「★ダートの短距離血統」という評価をされていた。

 総合的な評価
鷲見昌勇はオグリキャップが3歳の時点で「五十年に一頭」「もうあんなにすごい馬は笠松からは出ないかもしれない」と述べている。
安藤勝己は初めて調教のためにオグリキャップに騎乗したとき、厩務員の川瀬に「どえらい馬だね。来年は間違いなく東海ダービーを取れる」と言った。
安藤のオグリキャップに対する評価は高く、3歳の時点で既に「オグリキャップを負かすとすればフェートノーザンかワカオライデンのどちらか」と考えていた。

河内洋は初めて騎乗したペガサスステークスについて「とても長くいい脚を使えたし、これはかなり走りそうだと思ったよ。
距離の融通も利きそうだったしね」と回顧し、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスのレース後に古馬との比較について問われた際、キャリアの違いはあったものの「この馬も相当の器だよ」とコメントした。
自身が騎乗した4歳時のジャパンカップまではGIで勝利を挙げられなかったものの、次走の第33回有馬記念以降から長く厳しいレースをしながら最後まで丈夫に走り続けたことについて、「本当に野武士のような馬だったね」と述べている。

第33回有馬記念で騎乗した岡部幸雄は、オグリキャップと★シンボリルドルフとを比較し、力を出す必要のない時に手を抜いて走ることができるかどうかの点で「オグリキャップは他の馬よりはそれができるけれど、ルドルフと比べるとまじめ過ぎる感じ」という評価を下し、また2000mから2200mがベスト距離のシンボリルドルフがオグリキャップのベスト距離である1600mで戦った場合についても、調教を通して短距離のペースに慣れさせることで勝つだろうと述べた。
ただし岡部幸雄はオグリキャップの能力や★環境の変化にすぐに馴染める精神力のタフさを高く評価し、アメリカでも必ず通用するとしてアメリカ遠征を強く勧めた。

南井克巳は初めて騎乗した京都4歳特別についてこの時にも強いと感じたが、オールカマーで騎乗した際には「本当に強い馬だなと感じましたね。 とにかく力が抜けていました」と回顧し、自身が騎乗したレースの中で最も強さが出ていたレースとしてオールカマーを挙げている。
自身がオグリキャップに騎乗したことについては「自分にとっても勉強になったし、瀬戸口先生がああいう馬を作られたことがすごいと思います」、「いろんないい馬に乗せていただきましたが、あれだけの馬に乗せてもらえて本当に良かったですよ」と述べている。

武豊は自身が騎乗するまでのオグリキャップに対して「にくいほど強い存在でしたし、あこがれの存在でもありました」と述べ、初めてコンビを組んだ安田記念は「自分でも乗っていて、ビックリするというか、あきれるくらいの強さでした」「当時海外遠征のプランもあったんですが、これなら十分通用するなという気持ちがありました」と回顧し、「どんな条件でも力を発揮するわけですから、競走馬としての総合能力は相当高かったと思います」と総評した。
オグリキャップが自身に与えた影響についても「競馬の素晴らしさ、騎手という職業のすばらしさを感じさせてくれた馬です。 オグリキャップに乗ることができたのは、自分にとって大きな財産です」と述べている。

大川慶次郎は、フジテレビが放送した第35回有馬記念の最後の直線でメジロライアンの競走馬名を連呼したことから競馬ファンからオグリキャップが嫌いだったのかと思われることもあったというが、本人はこれを否定し、同馬を「顕彰馬の中でもトップクラスの馬」、「戦後、5本の指に入るほど、魅力的な馬」と評した。

競馬評論家の合田直弘は、日本国外においてアイドル的人気を博した競走馬との比較において「底辺から這い上がった馬である」「力量抜群ではあったが、一敗地にまみれることも少なくなかった」「最後の最後に極上のクライマックスが用意されていた」点で、オグリキャップに匹敵するのはシービスケットただ一頭であると述べている。

 投票における評価
競馬ファンによる評価をみると、2000年にJRAが行った「20世紀の名馬大投票」において2万7866票を獲得して第3位、2010年にJRAが行った「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」では第4位、2015年にJRAが行った「未来に語り継ぎたい名馬BEST100」では第3位に選ばれている。
「未来に語り継ぎたい名馬BEST100」にランクインした各馬のベストレースの投票においては、オグリキャップは第35回有馬記念が投票率73.6%を記録してベストレースに選ばれた。

 競馬関係者による評価をみると、雑誌『Sports Graphic Number』1999年10月号が競馬関係者を対象に行った「ホースメンが選ぶ20世紀最強馬」では第12位であった(第1位はシンザン)。
同誌が同じく競馬関係者を対象に行った「最強馬アンケート 私が手がけた馬編」では瀬戸口のみがオグリキャップを挙げ、瀬戸口は「私の誇りです。」とコメントした。
またシンザン、ハイセイコー、シンボリルドルフと共に、その時代に輝いた四大スーパーホースの1頭に選ばれている。

2004年に『優駿』が行った「THE GREATEST 記憶に残る名馬たち」という特集の「年度別代表馬BEST10」において、オグリキャップは1980年代部門の第1位に選ばれた。
 競馬関係者に競馬ファンの著名人を加えた評価では、雑誌『優駿増刊号 TURF』が1991年に行ったアンケートでは「マイラー部門」で第1位、「最強馬部門」で第5位(第1位はシンボリルドルフ)、「思い出の馬部門」で第2位(第1位はテンポイント)に選ばれている。

また、日本馬主協会連合会が史誌『日本馬主協会連合会40年史』(2001年)の中で、登録馬主を対象に行ったアンケートでは、「一番印象に残る競走馬」の部門で第1位を獲得、「一番印象に残っているレース」の部門でも、ラストランの第35回有馬記念が第38回有馬記念(トウカイテイオー優勝)と同率での第1位(504票中19票)に選ばれた。
「一番の名馬」部門では第5位(第1位はシンザン)、「一番好きな競走馬」部門では第9位(第1位はハイセイコー)だった。

 競走馬名および愛称・呼称
競走馬名「オグリキャップ」の由来は、馬主の小栗が使用していた冠名「オグリ」に父ダンシングキャップの馬名の一部「キャップ」を加えたものである。
 同馬の愛称としては「オグリ」が一般的だが、女性ファンの中には「オグリちゃん」、「オグリン」と呼ぶファンも存在し、その他「怪物」「新怪物」「白い怪物」「芦毛の怪物」と呼ばれた。
またオグリキャップは前述のように生来食欲が旺盛で、「食べる競走馬」とも呼ばれた。

 人気
競走馬時代のオグリキャップの人気の高さについて、ライターの関口隆哉は「シンボリルドルフを軽く凌駕し」、「ハイセイコーとも肩を並べるほど」と評している。
また岡部幸雄は「ハイセイコーを超えるほど」であったとしている(ハイセイコー#人気(ハイセイコーブーム)も参照)。

オグリキャップが人気を得た要因についてライターの市丸博司は、「地方出身の三流血統馬が中央のエリートたちをナデ斬りにし、トラブルや過酷なローテーションの中で名勝負を数々演じ、二度の挫折を克服」したことにあるとし、オグリキャップは「ファンの記憶の中でだけ、本当の姿で生き続けている」「競馬ファンにもたらした感動は、恐らく同時代を過ごした者にしか理解できないものだろう」と述べ、山河拓也も市丸と同趣旨の見解を示している。

斎藤修は、日本人が好む「田舎から裸一貫で出てきて都会で名をあげる」という立身出世物語に当てはまったことに加え、クラシックに出走することができないという挫折や、タマモクロス、イナリワン、スーパークリークというライバルとの対決がファンの共感を得たのだと分析している。
お笑い芸人の明石家さんまは雑誌『サラブレッドグランプリ』のインタビューにおいて、オグリキャップについて「マル地馬で血統も良くない。それが中央に来て勝ち続ける。エリートが歩むクラシック路線から外されてね。ボクらみたいにイナカから出てきて東京で働いているもんにとっては希望の星ですよ」と述べている。

須田鷹雄は中央移籍3戦目のNZT4歳Sを7馬身差で圧勝して大きな衝撃を与えたことでオグリキャップは競馬人気の旗手を担うこととなったとし、その後有馬記念を優勝したことで競馬ブームの代名詞的存在となったと述べている。
江面弘也は、5歳初戦のオールカマーでオグリキャップがパドックに姿を現しただけで拍手が沸き起こったことを振り返り、「後になって思えば、あれが『オグリキャップ・ブーム』の始まりだった」と回顧している。
阿部珠樹は「オグリキャップのように、人の気持ちをグイグイ引っ張り、新しい場所に連れて行ってくれた馬はもう出ないのではないだろうか」と述べている。

 調教師の瀬戸口勉は後に「自分の厩舎の馬だけではなく、日本中の競馬ファンの馬でもあった」と回顧し、オグリキャップが高松宮杯を勝ってからファンが増えていったことで「ファンの馬」と感じるようになったという。
瀬戸口はオグリキャップはとにかく一生懸命に走ったことで、その点人気があったのではないかと述べている。
また、学校(映画)では、登場人物が教室でオグリキャップを熱弁するシーンがある。

 第二次競馬ブームとの関係
オグリキャップの人気は、ほぼ同時期にデビューした騎手の武豊の人気、JRAのCMによるイメージ戦略、およびバブル景気との相乗効果によって競馬ブームを巻き起こしたとされる。
このブームは「第二次競馬ブーム」と呼ばれ、競馬の世界を通り越した社会現象と評されている。

第二次競馬ブームとオグリキャップの関係について、大川慶次郎は「競馬ブームを最終的に構築したのはオグリキャップだ」と評している。
ライターの瀬戸慎一郎は、第二次競馬ブームの主役がオグリキャップであったのはいうまでもない、と述べている。

 馬券売り上げ・入場者数の増加
オグリキャップが中央競馬移籍後に出走したレースにおける馬券の売上額は、20レース中17レースで前年よりも増加し、単勝式の売上額は全てのレースで増加した。
また、オグリキャップが出走した当日の競馬場への入場者数は、16レース中15レースで前年よりも増加した。
中央競馬全体の年間の馬券売上額をみると、オグリキャップが笠松から★移籍した1988年に2兆円に、★引退した1990年に3兆円に、それぞれ初めて到達している。

なお、1988年の高松宮杯では馬券全体の売り上げは減少したものの、オグリキャップとランドヒリュウの枠連は中京競馬場の電光掲示板に売上票数が表示できないほどの売上額を記録した。
第35回有馬記念では同年の東京優駿の売上額の397億3151万3500円を上回ってJRAレコードとなる480億3126万2100円を記録した。

オグリキャップ自身は出走した32レースのうち27レースで単勝式馬券の1番人気に支持された。
なお、中央競馬時代には12回単枠指定制度の適用を受けている。

第35回有馬記念のパドックにおいては47本の応援幕が張られたが、その中でもオグリキャップへの応援幕は20本張られ、全本数、1頭の馬が張り出した本数は共に史上最多を記録した。

 関連グッズ
第二次競馬ブーム期を中心にオグリキャップの人気に便乗する形で、様々な関連グッズが発売された。
代表的なものはぬいぐるみで、オグリキャップの★2代目の馬主であった佐橋が経営する会社が製造および販売を行い、大ヒット商品となった。
初めてぬいぐるみが発売されたのは1989年の秋で、発売されてすぐに売り切れとなった。
価格は、最も小柄な20センチメートルほどの商品で2000円、最も大きなサイズは4万円に設定された。
売り上げは1989年10月の発売開始以降の1年間で160万個、金額に換算して★60億円を記録し、最終的には300万個、クレーンゲーム用のものを含めると1100万個に及んだ。

その後、競走馬のぬいぐるみは代表的な競馬グッズのひとつとなった(日本の競馬を参照)。
ライターの山本徹美は、ぬいぐるみのブームが従来馬券愛好家が構成していた競馬ファンに騎手や競走馬を応援するために競馬場を訪れる層や女性ファンを取り込んだとしている。
ぬいぐるみの他にも様々なグッズが発売されたが、売れ行きは全てのグッズも好調だった。

オグリキャップ没後の2022年10月、笠松競馬での冠レース「第1回オグリキャップ記念」に合わせて、カップ酒「オグリカップ」がお披露目された。
笠松と同じ岐阜県の海津市にある酒販店の店主が、馬主だった小栗孝一との★生前の約束を実現させたもので、製造は新澤醸造店(宮城県)に委託した。

 女性ファン
『朝日新聞』のコラム『天声人語』はオグリキャップを「女性を競馬場に呼び込んだ立役者」と評している。
競馬場においてはオグリキャップのぬいぐるみを抱いた若い女性が闊歩する姿が多くみられるようになり、パドックで女性ファンから厩務員の池江に声援が飛ぶこともあった。
オグリキャップのファンの女性は「オグリギャル」と呼ばれた。

 第35回有馬記念優勝後の人気
第35回有馬記念優勝後のオグリキャップは「日ごろ競馬とは縁がないアイドルタレントたちも、その走りを賛美するコメントをテレビ番組で口にし」「競馬に興味を持たない主婦たちでさえその名を知る」存在となった。
当時の状況について競馬評論家の石川ワタルは、「あの頃が日本の競馬全盛時代だったのではないか。
今後二度と訪れることのないような至福の競馬黄金時代だったのではないか」と回顧している。

一方で須田鷹雄は、優勝後の騒ぎが「オグリキャップの起こした奇跡を台なしに」してしまい、「それから後に残ったのは、虚像としてのオグリキャップだけではないか」としている。
また山河拓也は「『オグリ=最後の有馬記念』みたいな語り方をされると、ちょっと待ってくれと言いたくなる」と述べている。

武豊は1998年に受けたインタビューにおいて、同レースが「奇蹟」などと言われていることについて、「こんな言い方は失礼かもしれないけど、オグリよりも、あの時(翌1991年の有馬記念)の★ダイユウサクの脚のほうが『奇蹟』でしょう」と述べている。

第35回有馬記念はNHKとフジテレビが生放送し、ビデオリサーチの発表によると視聴率はそれぞれ11.7%と9.6%だった。
前年の有馬記念はNHKが16.2%、フジテレビが10.4%を記録していたが、2局合わせた番組占拠率は50.3%を記録した。

 関連作品
オグリの子 - 阿部夏丸による小説。NHKの『ドラマ愛の詩』枠でテレビドラマ化。

 騎手
オグリキャップの騎手は何度も交替した。
以下、オグリキャップに騎乗した主な騎手と騎乗した経緯について記述する。
1 安藤勝己
 デビュー当初のオグリキャップには高橋一成(鷲見厩舎の所属騎手)と青木達彦が騎乗していたが、6戦目のレースではいずれも騎乗することができなかったため、当時笠松競馬場のリーディングジョッキーであった安藤が騎乗し、以降は安藤がオグリキャップの主戦騎手を務めた。
安藤はオグリキャップに騎乗した中でもっとも思い出に残るレースとして、楽に勝たせようと思い早めに先頭に立った結果オグリキャップが気を抜いてマーチトウショウとの競り合いになり、目一杯に追う羽目になった7戦目のジュニアクラウンを挙げている。
1990年のジャパンカップで川崎競馬場所属の騎手河津裕昭がイブンベイに騎乗すると聞き、佐橋に対しオグリキャップへの騎乗を申し入れたが実現しなかった。
安藤は後にJRAへ移籍したが、「オグリキャップがいたから中央競馬が地方馬にGI開放とかそういう流れになっていったんじゃないかと思いますし、(自身の中央移籍への道を作ってくれたのも)オグリキャップのお陰だと思っています」と述べ、自身にとってのオグリキャップの存在についても「自分の未来を切り開いてくれた馬だと思います。とても感謝しています」と述べている。

2 河内 洋
 オグリキャップが中央競馬へ移籍した当初の主戦騎手。
当時の馬主の佐橋の強い意向によりペガサスステークスに騎乗し、同年のジャパンカップまで主戦騎手を務めた。
同年の有馬記念では、佐橋の意向により岡部幸雄に騎乗依頼が出され、それ以降、オグリキャップに騎乗することはなかった。
河内は自身が騎乗したレースで最も印象に残っているレースとしてニュージーランドT4歳Sを挙げている。

3 岡部幸雄
 1988年の有馬記念で佐橋の意向から騎乗依頼を受け「一回だけ」という条件付きで依頼を引き受けた。
後に佐橋からオグリキャップを購入した近藤俊典が騎乗依頼を出したが、了解を得ることはできなかった。
その一因は、★クリーンなイメージを大切にする岡部が佐橋の脱税問題が取りざたされたオグリキャップへの騎乗を嫌ったことにあるとされている。
調教師の高松邦男は、オグリキャップに騎乗した騎手の中で岡部がもっとも馬にフィットした乗り方をしたと評した。
岡部は有馬記念前に騎乗依頼を受けた際、「西(栗東)の馬はよくわからないから」と一度は婉曲に断っていたが、オグリキャップが引退して一年余り経ったときに、「僕はオグリキャップには乗ってみたかったんですよ。 ひと口に強い馬といってもいろいろ癖がありますから。 どんな馬か知りたかったですしね」とオグリキャップへの騎乗に興味を持っていたことを明かしている。

4 南井克巳
 1988年の京都4歳特別に、河内洋の代役として騎乗した。
翌1989年には前述のように岡部が近藤からの騎乗依頼を断った後で瀬戸口から騎乗依頼を受け、主戦騎手を務めた。
1990年はバンブービギンに騎乗することを決断し、自ら降板を申し出た。1989年の第34回★有馬記念における騎乗について野平祐二と岡部は南井の騎乗ミスを指摘した。
南井は有馬記念の騎乗について、オグリキャップの調子が悪くいつもの末脚を発揮することが難しいため、好位置の楽な競馬で気力を取り戻すことを期待したと説明している。

5 武 豊
 1990年にアメリカ遠征が決定した際、武豊が鞍上を務めることが決まったことで陣営は第40回安田記念にも騎乗を依頼し、同レースで騎乗することとなった。
この起用は武がオグリキャップと共に第二次競馬ブームの象徴的存在であったことに加え、前年の有馬記念の開催3日前にテレビ番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」に出演した際、「オグリキャップは何を考えているかわからないところがあって、嫌いです」と発言していたことで話題となり、激しく反発するファンも現れた。
武は第31回宝塚記念でスーパークリークに騎乗することを選択し、さらにオグリキャップの海外遠征が中止となったことでコンビ解消となったが、当初第35回有馬記念で★騎乗予定だったスーパークリークが故障により引退したため、再びオグリキャップに騎乗した。

武は平成三強全てに騎乗した経験を持つが、三頭の中で好みのタイプを挙げるとすればスーパークリークだと答えている。
武は第35回有馬記念について、「有馬記念を勝ったとたん、★アンチが一気に減った。オグリが、敵を味方にしてくれた感じですね」と述べ、「それまで僕の技術を認めてなかったファンやマスコミの評価が変わったのも感じますね」と語った。

オグリキャップについては、「あの馬、強かったけど、一度走らなくなって最後に勝ったりとか、ずるいね。まるで自分で演出していたような(笑)」と評している。
有馬記念での武の騎乗については、安藤勝己と同期騎手の蛯名正義が高く評価している。
前述のように1990年のジャパンカップ後にオグリキャップはこのまま引退すべきとの声が多く上がり、近藤俊典に対する脅迫状がJRAに届く事態までに発展したが、近藤はオグリキャップの引退後に第35回有馬記念における鞍上の選定について、「とりあえず最後だからね。増さんに乗ってもらうのも分かっていたけど、豊くんで負ければ納得いくんじゃないかと思って…」と語り、もし★鞍上が武で決まらなかった場合は内心オグリキャップを有馬記念に出走させずに引退させようと思っていたことを明かしている。

6 岡潤一郎
 1990年の宝塚記念で、前走の安田記念に騎乗した武がスーパークリークに騎乗し、南井がヨーロッパへ研修旅行に出たことを受けて近藤が騎乗依頼を出した。
宝塚記念において必要以上に手綱を緩め、その結果第3コーナーから第4コーナーにかけて手前を右手前に変えるべきであったのに左手前のまま走らせたこと、第4コーナーで外に膨れて走行したオグリキャップに鞭を入れた際、左から入れるべきであったのに右から入れたことを問題視する向きもあった。
なお、近藤と岡はともに北海道★浦河高等学校に在籍した経験を持つ。
★岡は3年後の1993年に落馬事故で死去している。

7 増沢末夫
 1990年の天皇賞(秋)およびジャパンカップに騎乗した。
当時の馬主である近藤俊典は、増沢が非常に可愛がられていた★馬主・近藤ハツ子の甥であり、増沢が若手騎手の頃から面識があった。
前述のように、安藤勝己、青木達彦、渡瀬夏彦は増沢とオグリキャップとの相性は良くなかったという見解を示している。
一方、瀬戸口は「増沢騎手には本当に気の毒な思いをさせました。 済まなかったと思います。 あれほどの騎手に、オグリがいちばん体調がよくない時に乗ってもらったんですから」と、増沢を庇う言葉を残している。

 血統
 血統的背景
父・ダンシングキャップの種牡馬成績はさほど優れていなかったため、オグリキャップは「突然変異で生まれた」、もしくは「(2代父の)★ネイティヴダンサーの隔世遺伝で生まれた競走馬である」と主張する者もいた。
一方で血統評論家の山野浩一は、ダンシングキャップを「一発ある血統」と評し、ネイティヴダンサー系の種牡馬は時々大物を出すため、「オグリキャップに関しても、そういう金の鉱脈を掘り当てたんでしょう」と分析している。

母・ホワイトナルビーは現役時代は笠松で★4勝を挙げ、産駒は全て競馬の競走で勝利を収めている(ただしほとんどの産駒は地方競馬を主戦場としていた)。
5代母のクインナルビー(父:クモハタ)は1953年の天皇賞(秋)を制している。
クインナルビーの子孫には他にアンドレアモン、キョウエイマーチなどの重賞勝ち馬がいる。

 血統表
オグリキャップの血統 (血統表の出典)
父系 ネイティヴダンサー系

*ダンシングキャップDancing Cap
1968 芦毛
アメリカ

父の父
Native Dancer
1950 芦毛
アメリカ Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako

父の母
Merry Madcap
1962 Dark Bay or Brownあるいは黒鹿毛 Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Croft Lady Golden Cloud
Land of Hope


ホワイトナルビー
1974 芦毛
北海道新冠町

母の父
*シルバーシャークSilver Shark
1963 芦毛
アイルランド Bussion Ardent Relic
Rose o'Lynn
Palsaka Palestine
Masaka

母の母
ネヴァーナルビー
1969 黒鹿毛 *ネヴァービート Never Say Die
Bride Elect
センジュウ *ガーサント
スターナルビー
母系(F-No.) 7号族(FN:7-d)
5代内の近親交配 Nasrullah 4×5、Nearco 5×5

 兄弟
オグリローマン - 1994年桜花賞優勝馬
オグリイチバン - オグリキャップの活躍を受けてシンジケートを組まれ種牡馬となった。
オグリトウショウ - オグリキャップの活躍後に誕生し、デビュー前から話題を集めた。競走馬引退後はオグリイチバンと同様、種牡馬となった。

 ※兄弟についての詳細はホワイトナルビーを参照
(Wiki)


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初版20241222  昨日の東京都心大手町最低気温2.8℃ 最高気温16.5℃、、 全国夏日0地点 
全国冬日663真冬日141地点(20金冬日昨日比+52真冬日+40)
全国冬日533真冬日150地点(21土冬日昨日比-130真冬日+9)
1h   日最大降水量㎜ 1山形梅雨丘鼠ケ関13.5 2福井南条今庄13.0
24h日最大降水量㎜ 1新潟村上53.5 2山形梅雨丘鼠が関53.0 3新潟村上高根52.5 4同三面50.5
全国積雪量ランキング㎝ 1青森酸ヶ湯216 2道北幌加内117 3道北朱鞠内115 4青森青森大谷114 5道央倶知安105 6道央新篠津91 7道北音威子府90 8道央岩見沢89 9道北幌糠84 10新潟津南81
その他本州以南積雪20傑 12山形肘折75 13鳥取大山72 14新潟関山・長野野沢温泉68 17長野小谷64 18長野信濃町62 20山形大井沢59
 昨日の東京、午前中はやたら暖かく、、でも午後からは急劇に寒く。。(泣

ー時節項追記前日深夜未明迄 ※21土22日午前の内容が中心 M項及び時節項整理同日、、                                   ①   ▷日本海側中心 大雪恐れ 警戒を 7:51    【①天災被害関連】▷➊▶        ②   ▷甘利氏 次期衆院選 不出馬表明 17:31    ▷国債費 5年連続で過去最大 更新へ 19:26    ▷維新と国民 税制協議巡り 応酬 21:49    ▷虐待疑い 親の面会 法改正へ 8:33日        ➋   ▶金正恩氏 地方振興で反省 述べる 18:03    ▶ミャンマー西部 国軍司令部 陥落か 18:19    ▶イスラエル軍 シリアで住民に 発砲 15:57    ▶米高官 シリア前提政府と 初会談 20:27    ▶ト氏 昭恵氏面会で 中台議題 8:30日        ③   ▷JR東 ライドシェア 本格参入へ 17:15    ▷ホンダ日産 生産相互乗り入れ 検討 17:22  > ホンダと日産 中国事業 泣き所 9:42日    ▷男だから仕事? 育休復帰後の 苦悩 16:10       ➌   ▶米グーグル 独禁法訴訟で 是正案 7:57日    ▶VW 独工場閉鎖 見送り 8:19    ▶米スタバ ストライキ 相次ぐ 18:57    ▶テスラ 米国で70万台 リコール 13:42    ▶米 つなぎ予算可決 政府閉鎖を回避 15:14        ④   ▷安楽死には猛然と 反対 命がけの訴え 18:37    ▷柿 食べ過ぎで緊急手術に 注意 7:41日        ➍▶⑤▷       ➎   ▶◭三原舞 棄権 全日本フィギュア 17:35    ▶◭大乱調 佐藤駿 演技後過呼吸 23:37        ⑥   ▷中3死傷 事件後延べ 1万647人 欠席 16:47    ▷市街地でのクマ 緊急銃猟 拡大へ 22:22       ➏   ▶独 車暴走 子供ら5人死亡 21:49    ▶衝突でバス客30人超死亡 ブラジル 8:58       ⑦▷➐▶      ⑧   ▷義実家への帰省 強要 ハラスメント? 11:14        ➑◮▶       ⑨   ▷小泉進次郎氏 秋山翔吾 打ち取る 20:03    ▷腕切断の佐野慈紀氏 涙浮かべ心境 20:48   【⑨契約更改】《セ》▷▷▷神広De巨ヤ中  《パ》▷▷▷オソ西ロハ楽       ➒   ▶NY MVPカルテット 結成へ 9:41   【➒契約FA・ポスティング】   ▶元SB・ウォーカー ポロポーズ 成功 8:12日  > MLB復帰とか        ⑩▷       ➓   ▶元MLB最多盗塁 ヘンダーソン氏 死去 7:27       ⑪▷【⑪J等性被害・/芸能関連N全般】▷

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