あれってそれって今どんな記録なんだろう? ~ 鳥人間コンテスト
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琵琶湖縦断の頃まではよく見ていたような記憶がありますが、、
初期の頃は、お笑い部門も混同でやっていました。 後に滑空・プロペラ機部門に分けられ、お笑い部門は廃止になってしまった(面白かったのに)。
かつては距離を伸ばすための機体の製造や構造に注目がありましたが、今は操縦士やチームの背景に観点を以って放映しているようですね。。
往復完遂でいまは2往復の時代だとか。 表題の件、調べてみました。。
-- ไปกลับ /pay klàp パイ グラップ 往復,行き帰り
往復する,行って帰る ตั๋วไปกลับ /tǔa pay klàp トゥア パイ グラップ 往復チケット ※ごったい先生作
ーーーーーーーー M:【鳥人間コンテスト選手権大会 JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY とは 】
読売テレビ放送主催による人力飛行機の滞空距離および飛行時間を競う競技会。
1977年に滋賀県近江八幡市の宮ヶ浜水泳場で第1回が開催されて以降、毎年7月に滋賀県彦根市の琵琶湖を舞台に開催され、1980年(第4回)以降は同市内にある松原水泳場を会場としている。その模様は、読売テレビ制作・日本テレビ系列で全国ネットの特別番組として放送されている。
参加団体や関係者からは、省略して「鳥コン」とも呼ばれる。同様のイベントは「Birdman Rally」として1971年にイギリスで始まったのを皮切りに数か国で開催されている。
初期のテレビ放送では、タイトルの頭に「飛べ、栄光の大空へ!」というキャッチコピーが付けられていた。第34回(2011年)以降は「飛ばなきゃならない理由(ワケ)がある!」をキャッチコピーにしている。
当初は『びっくり日本新記録』内の1競技として、同番組で第1回が放送され、第2回から単独番組となった。なお、第1回は「鳥人間コンテスト日本大会」(とりにんげんコンテストにほんたいかい)、第2回 - 第4回は「鳥人間コンテスト世界大会」(とりにんげんコンテストせかいたいかい)というタイトルだった。なお、「鳥人間」は讀賣テレビの登録商標である。また、第21回から第35回までの放送では、大会イメージソングを年替わりで設定していた(後述)。
ジャンル スポーツ
出演者 放送への出演者を参照
エンディング 歴代イメージソングを参照
制作 讀賣テレビ放送(大会主催)
映像形式 文字多重放送
番組連動データ放送
音声形式 ステレオ放送
放送国・地域 日本
放送期間 1977年8月7日 - 2008年9月15日
2010年9月24日 - 現在
放送時間 毎年8月または9月 19:00 - 21:00
放送分 120分
回数 41
特記事項:
第1回のみ2週に渡って放送。
放送時間は第44回(2022年)現在。
第44回(2022年)現在の正式タイトルは『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト選手権大会 2022』(末尾には当該年の西暦が入る)。
2020年は代替番組として『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト2020 特別編 ~新たな挑戦~』を放送。
参加チームについては、大会の規模が大きくなるにつれて、個人参加から大学のクラブ・サークル単位による参加が主流になっている。 学生時代にパイロットやスタッフとして当大会へ参加した社会人が「鳥人間OB」として独自にチームを結成したり、出身校や他チームにノウハウや経験を伝えたりすることも多い。近年の放送では、日本以外の国から参加するチームや、著名人が番組・所属事務所単位で挑戦するチームにも焦点を当てている。
2010年には、この年に創業80周年を迎えた岩谷産業が、創業記念事業の一環として大会に特別協賛。『Iwataniスペシャル 第33回鳥人間コンテスト選手権大会』というタイトルで実施されるとともに、この大会から、社内で結成した「Iwataniクリーンエネルギーチーム」が他の出場者と同じ条件で滑空機部門に参加している。岩谷産業は2011年以降も特別協賛を続けているため、同年以降の大会は、『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト(西暦)』(イワタニスペシャル とりにんげんコンテスト)として開催されている。
2021年までの時点で開催を全面的に中止した年は、1997年(第21回)、2009年、2020年の3回である。
1997年
➊台風9号が会場付近を直撃したため、大会史上初めての全面中止に至った。
2009年
➊前年のリーマン・ショック(2008年9月15日)発生以降に急速に悪化した世界金融危機により讀賣テレビの広告収入が減少したことに加え、➋地デジの設備投資などに伴う全社的な経費削減、➌安全性の向上を目的とした人力飛行機離陸用仮設プラットフォームの設計変更などを理由に中止に踏み切った。しかし、★大会の復活を望む意見が全国の出場希望者から読売テレビへ多数寄せられたことに加え、上記の通り岩谷産業が特別協賛として参加することになり、翌年より再開された。
2020年
年頭より➊新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が続く影響で全面中止[3]。9月26日には、中止決定後の動きやコンテスト自体の魅力を紹介すべく富士川滑空場(例年は大会前に出場予定機のテストフライトで使用する静岡県内の常設滑空場)で収録した『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト2020 特別編 ~新たな挑戦~』が、全国ネットで13:30 - 14:55に放送された[4]。
歴史として、1977年(昭和52年) - 第1回を開催(近江八幡市・宮ヶ浜水泳場)、『びっくり日本新記録』内で放送。
1978年(昭和53年) - 第2回のダイジェストを、読売テレビ開局20周年記念番組として放送。
1980年(昭和55年) - 会場を彦根市・松原水泳場に移す。
1986年(昭和61年) - 滑空機部門と人力プロペラ機部門を分離。
1987年(昭和62年) - ★コミックエントリー部門廃止。
1988年(昭和63年) - 強風のため人力プロペラ機部門が中止。
1989年(平成元年) - 人力プロペラ機部門が中止。
1990年(平成2年) - 強風のため滑空機部門が中止。
1997年(平成9年) - 台風9号直撃のため、大会史上初めて、全ての競技を中止。
1998年(平成10年) - 2日間開催に移行。
2004年(平成16年) - 天候不良の影響で、人力プロペラ機部門の競技が不成立(事実上の中止)。
2009年(平成21年) - 経済状況の悪化を背景に、読売テレビがダイジェスト番組の制作を見直す方針を打ち出したため、開催自体を中止(正式な中止は初の事例)。
2010年(平成22年) - 2年振りに開催するとともに、岩谷産業が協賛スポンサーに初参加。
2014年(平成26年) - 人力プロペラ機ディスタンス部門の競技が不成立。
2018年(平成30年) - インターネット向けに大会当日のライブ配信を滑空機部門の一部で初めて実施。台風12号直撃の影響で、人力プロペラ機部門の競技が不成立。
2019年(令和元年) - 台風6号直撃の影響で、1日目の滑空機部門の一部と人力プロペラ機部門の一部を2日目に延期して開催。
2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行を背景に、日本全国で緊急事態宣言が発出された影響で開催を中止。参加を予定していたチームの多くで機体の製作が困難になっていたことを踏まえて、開催しても機体の安全性を十分に確保できない事態が予見されることや、出場予定者がチーム単位の活動を通じて感染のリスクにさらされかねないことなどを考慮したことによる。
2021年(令和3年) - 例年の大会ではチーム単位での観覧を認めている応援団の立ち会いを禁じるなど、無観客での収録を条件に、滑空機部門と人力プロペラ機部門の競技を2年振りに開催。
2022年(令和4年) - 2019年以来3年振りに観覧スタンドを琵琶湖の湖岸へ設営したうえで、応援団などの観客を入れて大会を開催。1日目の滑空機部門では、競技の最中に強風が吹いた影響で、一部のフライトを2日目に延期した。
2023年(令和5年) - 第45回大会を開催。開催に際しては、感染症関連の国内法におけるCOVID-19の分類が2023年5月8日付で(季節性インフルエンザなどと同等の)「五類感染症」へ移行したことを踏まえて、大会に参加するチームメンバーや応援団の人数制限を4年振りに撤廃した。
放送日・開催日
大会と収録を毎回、7月下旬から8月上旬までの間に実施。近年は、収録から1 - 2ヶ月後に、大会のダイジェスト番組を放送している。
回数 放送日 開催日
第1回 1977年8月7日、14日 1977年7月2日
第2回 1978年9月7日 1978年7月21日
第3回 1979年9月1日 1979年7月20日
第4回 1980年8月9日 1980年7月19日
第5回 1981年9月3日 1981年8月8日
第6回 1982年9月23日 1982年8月7日
第7回 1983年9月22日 1983年8月6日
第8回 1984年9月20日 1984年8月4日
第9回 1985年9月19日 1985年8月3日
第10回 1986年9月4日 1986年8月2日
第11回 1987年8月6日 1987年8月1日
第12回 1988年8月18日 1988年7月30日
第13回 1989年8月10日 1989年7月29日
第14回 1990年8月16日 1990年8月4日
第15回 1991年8月15日[注 3] 1991年8月3日
第16回 1992年8月20日 1992年8月1日
第17回 1993年9月9日 1993年7月31日
第18回 1994年8月6日 1994年7月30日
第19回 1995年8月5日 1995年7月29日
第20回 1996年8月3日 1996年7月27日
(第21回) (1997年8月2日) (1997年7月26日)
第22回 1998年9月5日 1998年7月31日 - 8月1日
第23回 1999年8月28日 1999年7月30日 - 31日
第24回 2000年8月12日 2000年7月28日 - 29日
第25回 2001年8月4日 2001年7月27日 - 28日
第26回 2002年8月31日 2002年7月27日 - 28日
第27回 2003年9月6日[注 4] 2003年7月26日 - 27日
第28回 2004年8月28日 2004年7月31日 - 8月1日
第29回 2005年9月19日 2005年7月16日 - 17日
第30回 2006年9月22日 2006年7月22日 - 23日
第31回 2007年9月6日[注 5] 2007年7月28日 - 29日
第32回 2008年9月15日 2008年7月26日 - 27日
2009年は開催中止
第33回 2010年9月24日 2010年7月24日 - 25日
第34回 2011年8月19日 2011年7月30日 - 31日
第35回 2012年8月27日 2012年7月28日 - 29日
第36回 2013年9月4日 2013年7月27日 - 28日
第37回 2014年9月3日 2014年7月26日 - 27日
第38回 2015年9月2日 2015年7月25日 - 26日
第39回 2016年8月31日 2016年7月30日 - 31日
第40回 2017年8月23日 2017年7月29日 - 30日
第41回 2018年8月29日 2018年7月28日
第42回 2019年8月28日 2019年7月27日 - 28日
2020年は開催中止
『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト 2020 特別編〜新たな挑戦〜』を放送
第43回 2021年9月2日 2021年7月31日・8月1日
第44回 2022年8月31日[注 6] 2022年7月23日 - 24日
第45回 2023年8月30日[注 6] 2023年7月29日 - 30日
放送日は日本テレビでの放送日を示す。
第21回大会の開催を予定していた1997年には、台風9号が開催地を直撃したため、大会史上初めて全ての競技を中止した。 放送当日は、「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」を読売テレビ本社スタジオから生放送。女性司会者として競技の収録に立ち会う予定だった佐藤藍子に代わって、細川ふみえが司会を務めたほか、競技へのエントリーを予定していた森脇健児と羽田恵理香をゲストに迎えた。
2009年と2020年には、前述した事情から、大会の開催自体を見送った。
2020年には、司会を務める予定だった矢部浩之(ナインティナイン)・羽鳥慎一、小宮浩信(三四郎)、西川貴教(開催地・滋賀県の出身で同県から「滋賀ふるさと観光大使」を委嘱)、生見愛瑠の出演による『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト 2020 特別編〜新たな挑戦〜』を、9月26日に全国ネットで放送。2018年の第41回大会・滑空機部門にパイロットとして4位入賞を果たした小宮をはじめ、大会史に名を残したパイロット[注 7](放送上の呼称は「レジェンドバードマン」)が、今後の大会への参加を検討している西川に「コンテストで感動した瞬間」を紹介する企画「西川さんに伝えたい!鳥人間コンテストの魅力」を中心に構成していた。 また、静岡県内に常設されている富士川滑空場で収録されたことから、前年(2019年)の第42回大会・人力プロペラ機ディスタンス部門で優勝した「BIRDMAN HOUSE伊賀」のプロペラ機が富士山界隈の絶景フライトに挑んだ模様も放送した。なお、西川は翌2021年の第43回大会にも「ゲスト」として参加。パイロットとしての参加には至らなかったため、競技・収録後の会見で、司会の矢部から第44回大会(2022年開催)への出場を勝手に宣言される一幕があった。
2018年の第41回大会については、例年と同じく、2日間の開催を予定していた。しかし、2日目(7月29日)に台風12号の接近が見込まれたことから、2日目の開催を中止。当初2日目に実施する予定だった「人力プロペラ機部門」を1日目(28日)に急遽組み込んだが、天候不良の影響で途中から競技を続けられなくなったため、競技不成立とみなされた。
歴代イメージソング ※略
2009年開催中止の余波に関して、読売テレビの広告収入の減少および設備投資による制作費の見直しによって2009年の開催は中止となったが、正式なプレスリリース発表後にエントリーを予定していたチームや長年大会を応援してきたファンや視聴者から多数の問い合わせや応援の声、抗議などが読売テレビに寄せられた。中には寄付金を募るから開催して欲しいという声が寄せられたほか、毎年参加して記録を更新しているチームがライバル同士という垣根を越えて連絡を取り合うといった事例が報告されている。これらの声に応えるため、読売テレビおよび鳥人間コンテスト実行委員会は2010年の開催を決定した。
なお、鳥人間コンテスト選手権大会は毎年彦根市の夏の一大イベントとなっていることから、彦根市は2009年の開催中止を受けて『バードマン・サマー2009』を開催し、鳥人間検定、大会の歴史をたどるパネル展示、紙飛行機づくり教室などの催しが行われた。
テレビ放送は、大会の模様は日曜日の『びっくり日本新記録』(1977年のみ)→木曜日の『木曜スペシャル』(1979年 - 1993年)→土曜日の『スーパースペシャル』(1994年 - 2003年)→『THEスペシャル!』(2004年)で放送されてきた。 単発特別番組枠終了後は、毎年秋の番組改編期(主に平日が中心)に単発特別番組として放送されている。 番組VTRについては、基本として制作局の読売テレビ(ytv)が大阪の本社から送出しているが、過去には東京の日本テレビが送出を担当したことも数回ある。
1991年8月15日の第5回は、広島テレビではプロ野球広島東洋カープ対中日ドラゴンズ戦の中継のため8月17日(土曜)午後の遅れネットとなった。
2007年に3年ぶりとなる単発特別番組枠『モクスペ』が木曜19:00 - 20:54に編成され、当番組と同じくytvが制作している『ベストヒット歌謡祭』と同様に同枠で放送されたが、2008年は19時台がytv制作枠(『月曜19時アニメアワー』、後の『アニメ☆7』)にあたる月曜日に放送された。2009年は開催中止のため、放送されなかった。2010年・2011年は金曜日に放送されたが、2012年は2008年以来4年ぶりに月曜日で放送された(月曜20時台が日本テレビ系同時ネット枠となるテレビ宮崎でも同時ネット)。2013年から2019年までは水曜日に放送されたが、2021年は14年ぶりに木曜日に放送された。一方で火曜日に放送されたことは一度もない。また、2007年から地上デジタル放送ではデータ放送も実施している。
2008年からは従来の通常番組のスポンサーから特別セールスに変更され、★2010年では岩谷産業が特別協賛社になったことに伴い岩谷産業をメインとした複数スポンサーとなった。
2007年は地上波での第31回の放送のほか、CS放送の日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス ドラマ・アニメ・音楽ライブ)にて第27回(2003年)・第29回(2005年)・ 第30回(2006年)の模様も再放送された。
2003年は当時阪神タイガースが首位だったため、ytvはローカルで阪神戦を放送し、本番組は後日に改めて放送された(読売テレビ以外の系列局(テレビ宮崎を除く)は「裏送り」の形で通常通り放送された)。
2006年にはイメージテーマソングに森山直太朗の『風になって』を起用し、第30回を記念して『鳥人間コンテスト 30th ANNIVERSARY DVD-BOX』が同年10月6日に発売された。
放送の間には飛行機が残って飛行士だけフライト台から転落してしまう、風にあおられたプロペラ飛行機が180度旋回して順番待ちの飛行機に衝突して壊してしまうなどハプニングも多々あった(これらの飛行士はいずれも失格となった)。
クロスネット局のテレビ大分・テレビ宮崎へのネットの有無は、放送される曜日の枠やスポンサーセールス等の関係上年度により異なる。2012年は放送日が月曜日に当たったため、以上の2局では同時ネットを実施した。2015年にはテレビ宮崎が、フルネット局での放送日(水曜日)の深夜(日付の上では翌日)に時差ネットで放送している。
日本テレビ系列局のない沖縄県では、琉球放送が2016年5月28日に『鳥人間コンテスト2015』を放送。日本テレビ系列局での本放送から8か月後の放送であった。
2017年には、地上波で8月23日に第40回のダイジェスト番組を放送したほか、CS放送のファミリー劇場で第32回(2008年)・第34回(2011年)・第35回(2012年)・第38回(2015年)のダイジェスト番組を再放送。制作局のytvでは、第40回のダイジェスト番組で公開しなかったシーンを中心に構成した特別編集版を、本放送の11日後(9月3日)の15:25 - 17:00に放送している。
2018年には、ytvの開局60周年特別企画として、8月29日にダイジェスト番組を放送した。
大会が中止された2020年には、『Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト2020 特別編 ~新たな挑戦~』を、9月26日の13:30 - 14:55に全国ネットで放送。大会を2年振りに再開した2021年には、9月2日(木曜日)の19:00 - 20:54にダイジェスト番組を編成している。2022年以降は、8月最終週の水曜日に2時間(19:00 - 21:00)の放送枠を設定。
ルールおよびそれらの変遷は以下の通り。
大会のルールは毎回少しずつ改定されており、毎年公式ルールブックが発行される。 主な規定には➊発進時の規定、➋プラットフォームの標準数値、➌競技エリア、➍機体に対する制限などがある。 初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。
大会に出場する機体は、★書類審査によって決定される。本番組の元プロデューサーである太田匡隆によると、毎年100機以上の応募があるが、コンテスト会場の広さや開催時間の関係上、書類審査の時点で全応募総数の★3割弱となる約30機程にまで絞られるという。 第37回大会(2014年)までは、フライト中のパイロットの表情や声を放送に反映させる目的で、出場許可の下りたチームの一部の機体に番組スタッフがオンボードカメラとボイスレコーダーを装着していた。 第38回大会(2015年)からは、装着の対象を★出場全チームの機体に拡大。この拡大を機に、出場を希望するチームには、書類選考で提出する機体の設計図にオンボードカメラの装着位置を記載することを求めている。
出場許可の下りた機体には、審査の合格を示す「OK」のステッカーを配布。このステッカーを貼った機体のみ、大会へ出場できる。失念してしまい貼っていなかった場合や、何らかのトラブルで剥がれてしまった場合などでステッカーの欠落が発覚した場合は失格となる。
➊機体の発進はプラットフォーム上の審判員が「ゲート、オープン!」と言って白旗を上げれば可能となる。下述するとおり、白旗が上がっていない時に発進すると、不正スタートとみなされて失格となる。
➋プラットフォームについて、第42回大会(2019年)の規定によるとプラットフォームの先端高さは★水面から10メートル、助走路は★10メートルで傾斜角は★3.5度の扇形。高さと助走路の長さは大会発足当初から変化はないが、★後にテイクオフを容易にするために傾斜角が設けられた。人力を推進力に転換できる人力プロペラ機の場合、良好な機体設計と気象状況ならば問題なく発進できる条件であるが、滑空機の場合は極めて限定的な運動エネルギーと位置エネルギーしか獲得できないため、上位入賞を達成するためには単純計算で★滑空比30以上(10m降下する勢いで300m以上前進できる)の機体を作成し、風向き等の気象条件に応じた飛行プランを立て、過剰な高度低下を防ぎつつ地面効果の効率的な利用を図る等、滑らかで繊細な操縦が人力プロペラ機以上に要求される厳しい条件となる。
失格・措置については、機体の➊発進の際に白旗が上がったことを確認せずにスタートした場合、➋危険な飛行と審査員が判断した場合や➌勧告無視の場合、➍飛行距離が限界に達し中止の勧告に従わなかった場合(後述)、プラットフォームから➎競技者およびその補助者が転落(競技者が2人以上の場合は誰かが転落、故意による落下・落水行為も含む)した場合、➏陸上に墜落した場合、➐飛行中に部品等が落下した場合は飛行距離に関係なく失格となる。
機体がプラットフォームへ到達し、離陸態勢に入る直前に、不運にも➑致命的な不具合が生じた場合は、審判長が競技者およびその補助者に勧告し、納得させた上で機体を湖上に落とす措置を指示することができる。 納得行かない場合は機体を引き揚げることも可能。この場合、勧告を受けたチームは★棄権として記録される。
プラットフォームを離陸後、何らかのアクシデントでパイロット(競技者)が機体から転落した際は、その★転落地点が公式記録となる(機体がその先まで飛行しても、その距離は記録されない)。
スタート直後の墜落や測定に支障の生じた場合は、記録は測定不能となる。この場合は会場の電光掲示板には「0m」と表示され、場内アナウンスでは「測定不能」と放送される。
機体を撃墜しようとする➒妨害行為も禁止され、行った場合は重い処分が科せられる。
放送や救助のため同時に複数の機体は飛ばせない。後述のルール変更のたびに航続距離が伸びているため待ち時間が非常に長くなる場合がある。また、フライト中の機体が陸地(琵琶湖の沿岸地域)へ著しく接近している場合には、運営事務局から当該機のパイロットに対して機体の着水を命じることがある。
折り返しルールの導入~60kmルートの設定について、 従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、★第27回(2003年)に人力プロペラ機部門で日本大学理工学部のサークル・航空研究会のMöwe20(メーヴェ20)が約34kmという現会場での事実上の限界記録(松原水泳場→琵琶湖大橋間)を出した。
この際の経緯は以下の通りである。
1 まず東北大(この年3位)が進路を北側に向け対岸付近まで達したが、安全を考えそこで着水させた(記録は約24.8km、事実上の北ルート限界点)。
2 日本大チームは更なる好成績を狙い、北ルートよりも飛行距離を伸ばす余地がある★南側へと進路を向けた。その結果、当時の最長地点にあたる琵琶湖大橋付近までの飛行に成功。
だが、琵琶湖大橋付近への到達は当時の運営の想定外であり、しかも、パイロットの体調にも問題なく、高度も安定しており、失格行為となりうる琵琶湖大橋を通過する状況になりつつあった。そのため、安全を重視した運営は急きょ、チームとパイロットに対し機体を着水させる勧告を出した。
しかし、順調に飛行を続けていたパイロットは飛行停止・着水勧告に納得がいかず、そのまま琵琶湖大橋を通過する意気込みで継続飛行していたが、最終的に説得に応じて飛行停止させ琵琶湖大橋の手前付近で着水した。
本来は最初の勧告無視の時点で、規則違反で失格となっていたが、新記録であったことや琵琶湖大橋到着まで若干の猶予があったため、説得が認められ、運営による★失格の判断も保留となっていた。
その後に東工大も同様に南へと進路をとり、同年2位の飛行距離(約32.1km)を記録する。
この時、運営は想定より長距離になった場合の飛行を考慮していないという問題が露呈した。 そう言った経緯から、折り返し飛行のルールが登場した。制式決定前には「★25km地点で折り返すことで、50km飛行も可能」という情報も流れたりしたが、最終的に★第28回(2004年)から「18km地点(沖島)での折り返しを認める」というルールの制定で落ち着いた。 折り返し飛行のルールだが、第28回を例とした場合、18kmを超えると大音響のサイレンが鳴り折り返しが可能になり、往復に成功すれば、第27回を上回る36kmの最長記録が出せるようになるというものである。
尚これは折り返しを★義務付けるものではなく、従来通り琵琶湖大橋や琵琶湖北端に向かうことも可能である。この場合の記録は、単純にプラットフォームからの距離となる。 琵琶湖大橋越え・潜りや地上飛行は失格となるため、手前で飛行を打ち切らなければならないので折り返した場合より最長記録は短くなる。しかし★気象条件などにより折り返しはリスクが高い場合もあり、参加者の判断が勝敗を左右することになる。
長距離飛行に備えて第28回から18km地点の折り返し飛行が導入(最長36km)されたが、折り返しには成功しても完全制覇者はなかなか現れなかった。しかし、遂に★第32回(2008年)にて、学生チーム「東北大学 Windnauts」が18km地点の折り返し飛行に成功し完全制覇。この時は折り返し実施後、プラットフォーム付近へ到着し設定されたエリアに着水させてゴールとした。これ以降、ルール面では、スタートでの再度の折り返しは認めず、その時定められた折り返し地点での旋回に成功しプラットフォーム付近への着水をもって「ゴール=大会記録」という方針が確立されることとなった。 距離については第36回大会(2013年)以降は、★20km地点を折り返し地点に変更(最長40km)し、第32回の記録を上回れるようにした。 ただし、完全制覇は滅多に出ないことから、従来通り最長距離を飛行したチームが優勝となるのが基本である。
★第40回大会(2017年)では、社会人チーム「BIRDMAN HOUSE伊賀」パイロットの渡邊悠太が、20km地点の折り返し飛行のルール下で初めて40km完全制覇に成功。 大会記録(放送上は「40km完全制覇」)に認定された。この時には、以下のルールを適用したうえで、「BIRDMAN HOUSE伊賀」の優勝を確定させている。
渡邊を乗せた機体が折り返しに成功した末に、プラットフォーム付近まで到達したため、設定されたエリアでの着水によってゴールと認定した。 渡邊の後にも数チームが飛行を予定していたため、以降に飛行したチームのパイロットが40km完全制覇を達成した場合には、渡邊の飛行時間(フライトタイム)から1秒でも下回ることを逆転優勝の条件に定めていた。しかし、該当するチームが出なかったため、全出場機のフライト終了後に「BIRDMAN HOUSE伊賀」の優勝が確定した。
第41回大会(2018年)からは、★一筆書きによって三角形を描くようなルートで最長60kmまで飛行することを想定したうえで、プラットフォームの北方に位置する竹生島にも折り返しポイントを設定。「プラットフォーム - 竹生島間」を「北ルート(19km)」、「プラットフォーム - 沖島間」を「南ルート(19km)」、2つの島間の距離を「竹生島 - 沖島間(22km)」として、一方のルートの折り返しポイントを通過・旋回した場合は、次にもう一方の折り返しポイントに直接向かうことを可能とした。2つ目の折り返しポイントを通過・旋回し、往路と別のルートでプラットホームへの帰還を達成すると、南北2つのルートと2つの折り返しポイントを全て通過してプラットホームへの帰還することになり、この場合は 「60km完全制覇」と認定することにした(行き19km + 22km + 帰り19km = 60km )。ただし、この大会では、台風12号の影響で競技が成立しなかった。
第42回大会(2019年)では、ルート変更後初めて競技が成立。社会人チーム「BIRDMAN HOUSE伊賀」パイロットの★渡邊悠太が60km完全制覇に成功したことから、大会記録(放送上は「60km完全制覇」)と認定された。 渡邊は、上記の事情で第41回大会への出場を辞退していたが、この記録によって大会史上初の2連続完全制覇も成し遂げた。
現行のルール(2度の往復による70kmルート)は、 2020年の中止を経て開催された第43回大会(2021年)からは、★最長70kmまで飛行することを想定したルートに変更。プラットフォームから南西の方角の18km地点と、竹生島の付近の18km地点(いずれもプラットフォームから直線ルートで18km離れた地点)、プラットホーム・パイロン(プラットフォームから1km地点)の計3カ所に折り返しポイント(パイロン)を設定している。飛行ルートの選択はパイロットに委ねられているが、一方の18km地点パイロンの旋回を経てプラットフォームへ向かった後に、「プラットフォーム旋回エリア」(プラットフォームから1km圏内<旋回後17km地点>)に到達すると1往復で35km(18km+17km)のフライトと認定される。そのままプラットホーム・パイロンを旋回した後、もう一方のルートへの継続フライトが可能。3つめのルートのパイロン(計52km地点)への到達・旋回を経て再びプラットフォームへ向かい、「プラットフォーム旋回エリア」で着水するまでの2度の往復帰還ができた場合には「70km完全制覇」と認定する。
賞金・優勝賞品について、大会の部門ごとに、優勝チームへ100万円、2位のチームへ30万円、3位のチームへ20万円が贈られる。
2010年からは、スポンサーの岩谷産業が、自社製品の一部を優勝チームの副賞に提供している。以前は、大会事務局から優勝チームに対して、海外旅行の目録が贈られていた。
大会の競技部門については、人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。
第1回:競技部門(飛距離を競う)のみ
第2回 - 第9回:競技部門、★コミックエントリー(飛距離を競わず、面白い飛び方を競う)
第10回・第11回:★➊滑空機部門、➋人力プロペラ機部門、➌女性パイロット部門、➍コミックエントリー(第11回は中止)
第12回 - 第14回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門
第15回 - 第18回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
第19回・第20回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門
第21回 - 第23回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、★チャレンジ部門(飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う)
第24回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
第25回 - 第27回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、★人力ヘリコプター部門(第25回は参考競技)
第28回・第29回:滑空機部門(★フォーミュラクラス / オープンクラス)、人力プロペラ機部門
第30回 - 第39回 :滑空機部門(フォーミュラ / オープン混合)、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機★タイムトライアル部門
第40回 - :滑空機部門(フォーミュラ / オープン混合)、人力プロペラ機ディスタンス部門
第2回(1978年)に★人力プロペラ機がエントリーしたが、コミックエントリーとして扱われた。 実際にまともな飛行性能はなかった。しかし、★第9回(1985年)に人力プロペラ機が初優勝したことに伴い、第10回(1986年)に競技部門は滑空機部門と人力プロペラ機部門に分けられ、以後は滑空機と人力プロペラ機は★一緒に競技することはなくなった。
第28回(2004年)から滑空機部門については★機体の制限値がある「フォーミュラ」と、それがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。
人力ヘリコプター部門についてはプラットフォームから安全な離陸ができない恐れを考慮し、第27回(2003年)をもって★廃止された。
人力プロペラ機部門では第27回(2003年)で34kmの限界点に達したため、第29回(★2005年)からは18km地点での折り返しが導入された。当初は第28回(2004年)からルールの変更を予定していたが、この回では天候不良で人力プロペラ機部門の競技が成立しなかったため、実際には翌年の第29回から適用。第32回(2008年)大会で36kmの限界点に達したため、第33回大会(★2010年)から20km地点での折り返しに変更された。第40回大会(2017年)で、渡邊悠太が40kmの限界点に初めて到達。第41回大会(★2018年)からは、最長60kmのフライトへ対応できるように、折り返し点を2ヶ所に増やしている。第43回大会(★2021年)からは、折り返し点を2ヶ所に設けたまま、最長70kmのフライトへ対応できるルートへ変更。
人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコース(往復コース)をフライトするのに掛かった時間を競うもので、第30回(2006年)において初めて実施された。第32回(2008年)までは1km地点で折り返すルールだったが、いずれの大会も完走できたのは1チームのみであった。第33回(2010年)で500m地点での折り返しに変更したところ、初めて複数のチームが完走した。
各大会の優勝者・記録は以下の通り。
各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。
A 滑空機部門
回数 開催日 記録 優勝 備考 操縦者 所属団体 --------------------------------------------------------------第1回 1977年7月2日 82.44m 岡良樹 東京ハングライダークラブ 優勝機設計は本庄季郎(一式陸上攻撃機設計者)
第2回 1978年7月21日 79.78m 大平英二 ニューウィングス
第3回 1979年7月20日 88.53m 島根俊夫 日本自作航空機連盟
第4回 1980年7月19日 101.60m 鈴木正人 日大駿河台航空研究会 大会★初の100m越え。鈴木は、後に数々の出場機(大会優勝機やトンボ(昆虫)を模した複葉滑空機を含む)の設計を手がける。また、初の湖岸着陸(墜落ではない)による失格者でもある。
第5回 1981年8月8日 95.83m 菊池守男 車山ハンググライディング
第6回 1982年8月7日 144.00m 村山智彦 日本大学理工学部航空研究会
第7回 1983年8月6日 162.62m 岡崎利彦 日本フライングクラブ 大会発足当初の出場機は、ハンググライダーに類似した開放構造の機体のみだった。しかし、時代の流れとともに機体構造に対する設計思想の変遷がみられ、この大会時には、優勝機および上位入賞機は、空気抵抗の削減を目的とした★キャノピーの採用が標準となっていた。
第8回 1984年8月4日 163.03m 楠正彰 (個人での出場) 第1回大会から連続出場で初優勝。楠は、少なくとも第11回大会まで連続出場を果たし、第6回大会以降は上位常連であったが、後に★事故のため他界。第13回大会において、この第8回大会の優勝機を復元し、第4回大会優勝者の鈴木正人が追悼フライトを行った。
第9回 1985年8月3日 214.51.m 木島明良 茂原市フリーフライト 滑空機★初の200m越え。第9回大会は人力プロペラ機が290m台を記録し第1位となったため、当該フライトは大会記録上では第2位。翌年以降、滑空機部門と人力プロペラ機部門の部門別開催となる端緒となった。
第10回 1986年8月2日 158.38m 柴野敏彦 POINT ONE MILE
第11回 1987年8月1日 176.71m 木島明良 茂原市フリーフライト
第12回 1988年7月30日 261.90m 糸谷浩 西富士友の会 ★無尾翼機による優勝。無尾翼機は設計、操縦とも困難な課題を抱えているが、糸谷は初出場となる第3回大会以降、無尾翼機による挑戦にこだわり続けていた。
第13回 1989年7月29日 225.90m 宮崎祥代 チームアクティブギャルズ 部門優勝はTOA鳥人間の会・佐々木正司の205.10mであるが、本大会における★滑空機最高は、レディース部門エントリーの当記録。2020年現在、大会史上、★唯一の女性総合優勝であり、かつ優勝操縦者が十代(第6回大会の村山以来)という偉業を達成
第14回 (1990年8月4日) 記録なし 台風に伴う強風のため中止
第15回 1991年8月3日 318.75m 木島明良 フリーフライト 滑空機★初の300m越え。木島は、キャノピーの前面投影面積を可能な限り削減し、空気抵抗を更に削減するスタイルの草分け的存在のひとりである。
第16回 1992年8月1日 232.08m 中村克 チームエアロセプシー
第17回 1993年7月31日 248.31m 栗野けんじ[注 12] 東京都立大学人力飛行機研究会
第18回 1994年7月30日 329.83m 佐々木正司 TOA鳥人間の会 佐々木は、地面効果を極限まで追求する低翼配置、胴体と主翼が一体化した強靭なモノコック構造、操縦桿を機体下面から突き出す形で延長し、水面を感知することで昇降舵を操作する等、独特のアイデアを満載した機体で出場を続け、★後に大会審判長を長年務めた。
第19回 1995年7月29日 274.72m 佐々木正司 TOA鳥人間の会
第20回 1996年7月27日 300.36m 佐々木正司 TOA鳥人間の会
第21回 (1997年7月26日) 中止 台風9号による荒天のため中止
第22回 1998年7月31日 - 8月1日 364.08m 福森啓太 チームハマハマ
第23回 1999年7月30日 - 31日 345.92m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 大木は、後に滑空機部門★5連覇1回、3連覇2回を果たすなど、数々の好記録を達成
第24回 2000年7月28日 - 29日 256.53m 雨宮健一 夜鳥の会
第25回 2001年7月27日 - 28日 417.49m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 滑空機★初の400m越え
第26回 2002年7月27日 - 28日 414.33m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ
第27回 2003年7月26日 - 27日 420.48m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ
第28回 2004年7月31日 173.26m 阿知波哲史 チームTINKER
第29回 2005年7月16日 370.80m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ
第30回 2006年7月22日 258.21m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ
第31回 2007年7月28日 483.47m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ
第32回 2008年7月26日 377.98m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ
第33回 2010年7月25日 421.11m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ
第34回 2011年7月30日 314.41m 河原井悠 上智大学 Flying Turkeys
第35回 2012年7月28日 501.38m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学 滑空機★初の500m越え
第36回 2013年7月27日 460.07m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学
第37回 2014年7月26日 407.03m 大木祥資 みたかもばら下横田
第38回 2015年7月25日 373.75m 石丸隆宏 九州大学鳥人間チーム[注 13]
第39回 2016年7月30日 443.80m 大木祥資 みたかもばら下横田 機体はメタルキット化された。
第40回 2017年7月29日 440.37m 佐藤光 日本大学生産工学部津田沼航空研究会 ★学生チームの最長飛行記録で初優勝
第41回 2018年7月28日 446.42m 熊倉賢人 日本大学生産工学部津田沼航空研究会 前年に達成した★学生チームの最長飛行記録を更新
第42回 2019年7月27日 - 28日 327.72m 内田啓介 Umeda Lab.(大阪工業大学OBチーム) 台風6号直撃による天候不良の影響で1日目は競技途中で中止。残りのフライトは2日目に延期された。
第43回 2021年7月31日 451.12m 中島桜 東京都立大学MaPPL ★女性パイロットとしては初めての優勝で、チーム記録・学生記録・女性パイロット記録を更新。参加した12チームのうち、4チームで女性がパイロットを務めた。
第44回 2022年7月23日 - 24日 533.58m 清水 総一郎 チームあざみ野 大木が10年間保持してきた★大会記録を更新。大木自身も4年振りの出場ながら、482.23m(歴代4位の記録)で2位に入った。
第45回 2023年7月29日 460.76m 大木祥資 Team三鷹茂原下横田 大会最年長(53歳)のパイロットながら7年振りに優勝。
A-2 滑空機部門フォーミュラクラス
回数 開催日 記録 優勝 備考操縦者 所属団体 --------------------------------------------------------
第28回 2004年7月31日 - 8月1日 30.79m 漆山雅史 TEAMフライング朱鷺
第29回 2005年7月16日 50.77m 谷川英樹 創価大学鳥人間研究会
第30回 2006年7月22日 157.37m 竹内彰 創価大学鳥人間研究会
第31回 2007年7月28日 151.31m 瀬戸うらら Team Ocean Man
第32回 2008年7月26日 140.57m 石原直人 大阪工業大学体育会航空部
B 人力プロペラ機ディスタンス部門
回数 開催日 記録 優勝 備考 操縦者 所属団体 --------------------------------------------------------------
第9回 1985年8月3日 290.45m 石本豪 豊田飛行愛好会 初の人力プロペラ機による優勝。翌年以降、滑空機部門と人力プロペラ機部門の部門別開催となる端緒となった。1979年にドーバー海峡横断に成功した「ゴッサマー・アルバトロス」に類似した先尾翼構造を採用
第10回 1986年8月2日 512.20m 田中紀彦 Team Aeroscepsy 人力プロペラ機部門として独立しての第1回。しばらくは滑空機と合わせて飛距離を競う総合優勝という制度も併用されていたが、後に廃止され、各部門は同格の別物として扱われるようになった。
第11回 1987年8月1日 435.56m 上田稔 日本大学理工学部航空研究会
第12回 (1988年7月30日) 記録なし 午後から強風のため中止
第13回 (1989年7月29日) 記録なし 台風に伴う強風のため中止
第14回 1990年8月4日 1,810.54m 小林稔 日本大学理工学部航空研究会
第15回 1991年8月3日 500.20m 阪本佳久 日本大学理工学部航空研究会
日大バードマンOBチーム
第16回 1992年8月1日 2,019.65m 中山浩典
チームエアロセプシー
第17回 1993年7月31日 2,180.78m 野呂元紀 日本大学理工学部航空研究会
第18回 1994年7月30日 2,371.65m 宮脇康成 日本大学理工学部航空研究会
日大バードマンOBチーム
第19回 1995年7月29日 8,764.00m 中山浩典 チームエアロセプシー
第20回 1996年7月27日 9,761.56m 中尾誠 大阪府立大学 堺・風車の会
第21回 (1997年7月26日) 中止 台風9号直撃のため全面中止
第22回 1998年8月1日 23,688.24m 中山浩典 チームエアロセプシー 大会初の琵琶湖横断に成功
第23回 1999年7月31日 4,913.46m 大倉彰浩 大阪府立大学 堺・風車の会
第24回 2000年7月28日 7,945.85m 嘉藤伸一 大阪府立大学 堺・風車の会
第25回 2001年7月28日 3,823.70m 成相健太郎 東京工業大学Meister
第26回 2002年7月28日 6,201.74m 梶原聖太 東京工業大学Meister
第27回 2003年7月27日 34,654.10m 平綿甲斐
日本大学理工学部航空研究会 琵琶湖大橋まで到達し★強制着水。準優勝の田中宗介(東京工業大学Meister)の32,177.99m、3位の中谷好博(東北大学Windnauts)の24,823.01mも共に前回までの大会★記録を更新。東北大学は北ルート制覇。
第28回 2004年8月1日 944.11m 渡邊峰生 早稲田大学宇宙航空研究会WASA 18チーム中半数が★天候不良でフライトできず、競技不成立。
第29回 2005年7月17日 22,813.05m 田中丸真輔 日本大学理工学部航空研究会 ★初の18km折り返し成功。初めて折り返しラインを越えたのは2年前に続き2回目の準優勝となる田中宗介(COOLTHRUST)。
第30回 2006年7月22日 28,628.43m 宮内空野 東北大学Windnauts 宮内は、11年後(2017年)に開かれた第40回大会にもROKKO WORKS(東北大学OBが中心の社会人チーム)のパイロットとして出場すると、第30回大会の自己記録を上回る30,221.54mで準優勝。
第31回 2007年7月29日 3,998.51m 山田洋平 東京工業大学Meister チームが2006年7月に世界初の有人乾電池飛行を成功させた電動機「オキシフライヤー」(オキシライド単3乾電池160本搭載)に酷似するが、主翼等が別設計
第32回 2008年7月27日 36,000.00m 西脇渉 東北大学Windnauts 18km折り返しルールの下で、初めて★往復に成功。
第33回 2010年7月25日 18,556.82m 宮本翔 東京工業大学Meister
第34回 2011年7月31日 18,687.12m 中村拓磨
東北大学Windnauts
第35回 2012年7月29日 14,129.34m 谷口周平 東北大学Windnauts 前年度の機体と複合した復元機を、大会後から仙台市科学館で常設展示中。スリーエム仙台市科学館(3階)
第36回 2013年7月28日 20,399.24m 斎藤圭汰 東京工業大学Meister
第37回 2014年7月27日 1,849.41m 佐々木颯清 東北大学Windnauts 強風と雨による天候不良のため、競技不成立。
第38回 2015年7月26日 35,367.02m 松島昴汰 東北大学Windnauts 2位の日本大学理工学部航空研究会も折り返しに成功(記録は22892.36m)
第39回 2016年7月31日 21,415.53m 山﨑駿矢 日本大学理工学部航空研究会
第40回 2017年7月30日 40,000.00m 渡邊悠太 BIRDMAN HOUSE伊賀 1時間38分20秒。右旋回を経て往復成功(40km完全制覇)によって★大会最長記録を達成。
第41回 2018年7月28日 2,347.58m 越野陽也 東北大学Windnauts 台風12号の接近に伴う★強風の影響で、フライト中に機体の主翼が突然折れて着水するチームが続出したため、8チームのフライトを残した状況で競技不成立。
第42回 2019年7月28日 60,000.00m 渡邊悠太 BIRDMAN HOUSE伊賀 台風6号直撃の影響で、1日目のフライトは中止。渡邊が、競技不成立の前回を挟んでの2連覇および、同じパイロットでは★初めて2度目の完全制覇を達成。
第43回 2021年8月1日 5,221.04m 前川純也 東京都立大学鳥人間部 T-MIT 「常識外れの設計」とされる小型機で大会3連覇と「70km完全制覇」を狙った渡邊(BIRDMAN HOUSE伊賀)は、竹生島付近を旋回するルートの往復によって35kmを飛行していながら、記録上「失格」とみなされた。プラットフォーム付近で方向転換(2度目の旋回)を試みたあげく、危険を回避する目的で★着水した場所が着水禁止区域内であったことによる。
第44回 2022年7月24日 36,868.80m 丹治開 東北大学Windnauts プラットフォームから★南西方向のルートで「1往復」を果たした末に、チーム記録を14年振りに更新。その一方で、前回優勝のT-MITをはじめ、強風の影響で記録を伸ばせないチームが相次いだ。
第45回 2023年7月30日 69,682.42m 渡邊悠太 BIRDMAN HOUSE伊賀 この大会限りでの「引退」を表明してのフライトで、自身3度目の「完全制覇」(70km)を残り約18mの地点で逃したものの、36歳にして2時間31分飛び続けた末に歴代1位の記録で★3度目の優勝を果たした。また、2位の岩田大地(東北大学Windnauts)の記録は歴代3位となる42,837.78mで、前年に出したばかりのチーム記録ばかりか学生記録をも更新した。 ※以下字数制限で略 (Wiki)
ーーー 初版20231206
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