武士の所領って何だろう。
長い間疑問だった。荘園の所有者は、本家とか領家とかの貴族であり、武士たちは土地所有者ではない。歴史の本は、はっきりその答えを示してはくれない。唐突に所領という単語が出てくるだけである。
武士=ヤクザ
に当てはめて、ようやく納得する答えを得ることができた。
要するに所領とはヤクザの縄張りのことである。
こんにち我々が武士と呼ぶヤクザたちは、公権力が解決してくれない数々のトラブルをうまく処理してくれる存在だった。昭和のヤクザが民事不介入の警察に代わって、水商売のトラブルを処理していたような感じだ。当時は、ヤクザとの関係抜きに水商売をやっていくのは難しかった。平安・鎌倉時代はなおさら役人や警察が頼りにならなかったので、気は進まなくてもヤクザたちに頼らざるを得なかったのだ。
都の貴族たちも、ヤクザに頼らざるを得なかった。家臣を荘園に荘官として派遣しても、うまく年貢を取り立てることができない。背に腹は代えられないからヤクザに年貢取り立ての代行を頼むことになる。ヤクザを荘官に雇うこともあっただろう。その場合ヤクザには名誉だったので、畠山庄司などと誇らしげに名乗ったりしている。
ヤクザの力が強くなると、その縄張りには役人も手を出せなくなる。徴税、治安維持果ては祭祀までヤクザが執り行うようになる。縄張り争いは現在のヤクザ同様に武力衝突に発展する。これが武士の所領の実態だ。
源頼朝は、ヤクザたちの縄張りにお墨付きを与え、公的な裏付けを持たせた。
これが頼朝の権力基盤である。徒手空拳から手品のように大きな軍事力を持つタネがこれだった。