教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

忙しい

2018年06月15日 | 日記

絶対的真実というものはほとんどないに等しい。それは、多かれ少なかれ「確率」が高いということ。それを人はたえず改良しようと努めている。たんに正しいことの証明ではなく、批判に耐え、無視に耐え、誤りを立証するという努力です。それは凄まじくエネルギーを消費する労力でしょう。しかしそれは労力を苦ともしない「心」の若さを示しています。「心」の若さ・・・・・?どうしたら手に入るのか・・・・・?。どうやら、ワクワク感を持ち考えることが「心」の若さの維持につながるようです。

こどもは考えることが大好きです。こどもを観察すればわかるように、「なぜ?なんで?どうして?これはなに?触ってみよう!」などと、常に好奇心、探求心、実験精神などで「大忙し」です。こどもの生活の全過程は終わりのない問題解決策の過程だといってもいいくらいです。それは労力ではなく純粋に知りたい欲求です。労力にしているのは、好奇心、探求心、実験精神をしまいこんでしまったために生じる「心」への負担です。知りたい欲求は病気じゃないかぎり再生を続ける身体と同様一生涯続きます。その衝動を隠せば隠すほど「心」に負担を与えることとなるのです。「心」への負担は、健全さを失う原因の一つであり、老化の一つといってもいいでしょう。知りたい欲求へのあきらめや無視は、高揚感の妨げとなり、無趣味への入り口にもなります。つまり、多趣味な人はワクワクをたくさん持っている。そして、こどもと同様の世界にいて、老いても可愛らしく、寛容で実に新鮮な驚きをする。さらに、発見への驚きは、補ってくれた人への感謝を同時にあらわしています。

「忙しい」とは、たくさんのワクワクがあり、問題への挑戦でもあり、解決策と発見と感謝への道のりで健全な「心」を維持するものでなくてはなりません。許容を越えた仕事や義務的な詰め込むような学習は健全な「心」をむしばみます。それをいい経験という人もいるでしょう。果たしてどれだけの人がそれをステップにしているでしょうね。「義務的な指導や教養」とは、これからも長く「つなぐ」ために健全さを維持しなくてはならない、ヒト独特の進化に必要だった大切なものだと、私は信じています。

考えることに疲れを感じたとき、盲信に身をゆだねたとき、人の「心」は必ず老いていきます。人は一生学習する動物ですから、その老いを習得しやすくさせないようにしたいものです。


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