偶発性、
つまり「予測のつかないことが相ついで起こる先行状態のこと」って言ったよね。
まずは「相ついで起こる先行状態」のことから話してみようか^^
例えば、
江戸時代をA、幕末をA´、明治時代をB、大正時代をC、昭和時代をD、連合国軍占領下をD´、
そして現在をEとするよ。
現在の状態Eを説明するときには、
その前にD´とDがあって、さらにその前に
CとBとA´とAがあったからというものだよね。
(その中にはいくつもの歴史と他の国へ与える
歴史的問題も現在に残している・・・・。)
でも、もし現在の状態Eに先行する段階のうちの
どれか一つが起こらなかったか、
別の起こりかたをしていたとしたらどうだろう?
きっとその場合現在の状態Eは存在できなくなるだろうね^^
けど、別の状態E´は説明出来るだろうね^^
それが別のE´の現実なのだから・・・・
もちろんそのE´の歴史において、
と~ちゃんが実際に存在し、存在しているお前に
こんなことを説明出来るという保証はどこにも無い。
実際に存在しているのかもすら
わからない・・・・。
「相ついで起こる先行状態」は
偶然の出会いや何気ない選択や、究極の選択を含め
すべて先行している何かとつながっているんだ。
それには法則性はなく、実は選択権もないんだ。
ただ、偶発性というパターンのみで
現在と歴史を説明しているんだ^^
ここでと~ちゃんが言ったことが
お前の未来においてまず先行している。
「これは必ずだ!」
と~ちゃんとか~ちゃんが出会い
”お前が生まれた”いう必然と同じくらいの
偶発性を持っているよ^^
この意味は深いよ^^全てはね、
「果てしなく適応し続ける」ことによって起こる、
偶発性という歴史なんだ。
そして、この偶発性がドラマの中心的素材を
演じているんだよ^^
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