教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

ガイアの発動

2014年02月22日 | 日記

スコラ学とは異なるスキルを身に付けようとするとき、その内容の知識を得えるよりもスキルの持っている環境への適応が必要となる。スキルとはたいてい専門であり、人のために何か役立つための知識と能力、技術や資格を示す。何か(誰か)との成立した関係と中で働く知識であるから、会得したとしても使い手によってあいにく変わってしまう。つまりそのことから、スキルを得るのは人であり、またスキルが向かうところも自身と他者(人)であることがわかる。さまざまな関係の環境との出会いがあって本当のスキルとして経験するのである。それを知らないことで大差が生まれる。そしてもう一つ、自己利益を得ようと執着のためにスキルアップを考えること、それは接触感覚のない狭い領域でのもはや専門ではないただの固執になる。


例えば、話術による詐欺やマインドコントロールによる幻術を考えてみよう。簡単に・・・・その関係とは、幻術を見せる者と、幻術を見る者で成り立っている。幻術を見せる者は一般的に濃く残っているであろう他者の経験と記憶のカテゴリーから選び抜いた残像に固執させ、快か不快の選択を自動的にさせる。その自動選択には更に固執させる要素が含まれている。その幻術を見る者は、残像と経験のカテゴリーから快、不快の自動選択を続け選択ル一プから抜け出せなくなり、もはや無視はできなくなる状態となる。その快、不快には接触感覚のないイメージのみの残像を与え現実との理解を妨げ固執を続けることになる。完全に閉じ込められた不接触の環境を創り出させることによって幻術は完成する。

 

つまり、自己利益を得ようと執着するスキルは、スキルという言葉の幻術にかかるということだ。快か不快の選択の自動から抜け出せず、成立した関係との接触はできず、ただ自己への執着だけでスキルは自己に対してしか向かない。ただでさえ、私たちは現在の文化、思想、そこにある目的という接触にあるかのように思える不接触な幻術の中で暮らしている。他の世界は客観的に見える世界として独立させ、それを受け入れることはめったにない。あるとすれば、行き詰まりを感じ変化を起こすきっかけを必要とする時だ。つまり、新たな環境鵜を受け入れようとする時なのである。しかし、執着が起こす生命の状態が変化する時には、皮肉なことにあらゆるものの意味を知ったことの状況をやっと把握したときである。その前にその幻術から抜け出す方法は用意されている。しかし気付くのは、ほんの一掴みの者たちだけであり、それを伝えようとする者は草の根活動を行う、ほんの一部の者たちだけだ。

幻術から抜け出す方法。それは・・・・・



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