教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

ガイアの発動

2014年02月25日 | 日記

幻術から抜け出す手段は常に用意されている。…その前に

 私たち個々でもっている環境とは、生得的なものと経験により全てにおいて異なっているというが、私の考えでは出会った環境の相互作用と微妙な関係を個人の中に残しつつ自己世界を確認し維持すること。と考えている。

 環境同士は、衝突し奪い合う。束縛のない世界では相手から何もかもなくなるまで奪い続けるだろう。それでも、環境は痕跡や歴史として残り何もかもが消滅してしまうものではない。双方の環境のシステムの一部分として双方の環境が混ざり影響を受けつつ変わってゆくことで維持する(あるいは変化する)世界を創り生きている世界として認めてゆくわけだ。それは、規制のある現在の環境でも同じことがいえる。まずは「規制」だ。この規制自体は存在可能な生命システムを持っていることに気づいて欲しい。生存可能でなければ規制は維持できず痕跡だけを残し消滅する。つまり、現在ある規制(束縛)は生命があり存在(維持)可能なシステムである。それの構成素となっているのが私たち個々の環境である。非難、名声への反応をしながらネットワークを生産し繁栄させるシステムを維持しているのだ。さらに、可能なシステムにする構成素(私たち)は様々な環境の出会いの中で微妙な影響を受け、持続可能なナットワークを生産し規制(束縛)に影響を与えている。

簡単ではあるが・・・・まず、ある代表者(個人)が経験的思想の中で予測をし試された中である固有の規制を創り上げようとする。その際、「試された」というあらゆる環境と出会いが必要となる。環境との出会いとは、接触感覚のある経験として生命システムを生存可能にするための更なる構成素としての役割を果たしている。(出会いを中断してしまえば、ただの権威的なものと成りえるだろう)そして、固有の環境に集結する更なる構成素としての多種多様な環境が影響を与え更なる構成素となり、接触感覚をもつ経験として受け入れることで規制に生命を宿し生存可能なシステムとしてゆくのだ。そして規制は繁殖力をもちネットワークを生産し共有してゆく。

  • 誰もが無視をするような規制ならば生存不可能な生命のないシステムである。
  • 誰もがなにも否定せずに従う規制ならば権威的な強制でありシステムではない。
  • システムは、構成素の集合体である。体制や役割、役職や階層などといった言語遊びで構成されているものではない。

 

そして幻術とは、不接触の記憶を構成素としている。

 


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