教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

遊び

2018年07月07日 | 日記

こどもは「遊び」の中で自然的な競技を身に付け、体系づけ、監督者や教育者から自分に必要なものを選抜するようになる。それは何も知識や運動ばかりではありません。きちんと片付けることや、あいさつができることも全て「遊び」の中から学びます。そしてその「遊び」は、飽くなき問いかけ、好奇心から発したつながりです。好奇心はこどもたちにとって自然的なよろこびで、あらゆるものへとつながっていくこととなります。「どうして?」「なんで?」を知ろうとする願望は、根気強く知識を生みだしつづける結果となり、精神の視野に変化をもたらせます。

こどもたちの好奇心から自然的なよろこびが奪われたらどうなるのか。とても恐ろしいことです。知ろうとする願望は、根気強く知識を生みだしつづけます。精神の視野にも変化をもたらせます。怒り、攻撃、犯罪、満たされない精神、つまり、よろこびの部分を別のもので補おうとするでしょう。(こどもに限らず私たち大人もそうです。)この負のスパイラルはどんなに努力をしても、けして満たされることはないでしょう。恐ろしい世界です。どうしたらいいのでしょう・・・・・。このよろこびを知っている人が、このよろこびを教え、与えてあげるしかないでしょう。それは健全に、なりたい自分を追い求めている人です。なりたい自分を追い求めている人は、そのことに一生懸命で気付かないでしょうが、他人からの支えによって自分があることに気付いた時、誰かまわずそのよろこびを教え、与えるでしょう。それがヒト科が絶えることなく行ってきた行動で、地球上で適応するための手段の一つだと思っています。

人は、好奇心の延長上になりたい自分を想像し、そして、自然的なよろこびの中で創造していきます。満たされない精神は満たされないものばかりで補おうとし、なりたい自分を歪めてしまいます。私たちはこどもが発達しただけの人間です。けして消えることのない好奇心を閉ざさないようにしたいものです。


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