じゃ~^^
世界が昔と変わらず、陸続きでこんなだったとしたら。
まず、現在の人間社会はあっただろうか・・・・・?
あるわけないよね^^
現在の大陸の状態で思想の違いから小競り合いが起こり、
言葉の違いから議論の違いへと発展し、戦争へと発展したと考えるよ。
まず、言葉の違いだね^^
日本国内でも教育制度が完全ではなかった頃(つまり大昔)、
選抜された人の言葉にならって心を説明していただろう。
声帯を獲得したころの人間はジェスチャーと共有できる名詞だけで心を伝え合っていただろう。
各地で聞き取りやすい固有の名詞がどんどん増えてゆくに連れて、
芸術センスに優れた種族は名詞を視覚で捉えることの出来る跡を刻み込むことになる。
これが文字だね^^
芸術センスゆえに文字への選抜が始まり人の選抜が始まる。
その真似事が獲得できれば別の選抜が始まる。
時代は流れ、真似事者の選抜の中で優れた者の選抜が始まり、
遣唐使や遣隋使、時代とともに海を渡りあらゆる文化を学ぶことになる。
ちょっと待って!^^その前に日本だね^^
人間は動物であり移動や移住を余儀なくされる生き物だ。
(今も昔も原因は違えど・・・・)
そして、真似事者が散らばれば方言ができる。
発端は同じだとしても源は変わって伝わり、さらに効率の良い言語となって変わって行く。
(今で言う標準語自体も流動的で、効率の良い言語と流行と略語によってさらに変わっているよ)
戦国武将の時代、
方言は味方の気持ちを駆りたてるには最高の手段だったと思うよ。
気持を一つにする最高の説明さ^^
それがなくては戦国の世はなかっただろうね。
ただ単に『天下統一』を目指していたわけじゃないと思うよ。
方言に別の意味を与え、文化や生活様式を付加することによって実現できた時代さ。
「こうあるべき」って言う生活様式さ^^
言葉の源は同じだとしても、少しづつ離れてゆくにつれ地域の言葉が似ているとしても、
その意味や生活様式はがらりと変わる。
じゃ~その中間に暮らす人たちはどうだろう?
そう^^
前話したように、
中間的(中性的)な存在の数は少ない。
そのために日の目を浴びず追いやられるか、どちらかに属するか、
絶えてしまう傾向にある。
だから、占領地として示すことが起きるんだね^^
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます