些細なものから発したものが
一般性を配置しているんだね・・・・^^
(2015年06月26日 | 日記)
科学者になるにしろ、政治家になるにしろ、
テロリストになるにしろ、
無垢な心に納まったものが
曖昧な記憶に呼びかけた時点で方向を配置するんだよ^^
一般性というものは、
『すべてのものに通じる質』『秩序だったもの』
として、どんな国でもどんな時代でも
大前提として(社会の中に)立ちはだかってきた。
そう、わかるよね^^
大前提があったとしても、
それでも時代も街も人も変わってゆく。
一般性は『自由』を描いているんだ^^
戦国時代の武将が平成の世に現れても暮らせないんだよ^^
(でもこれは、段階を踏んだ漸進ではないと思うよ^^)
改革の有名なお話をしようか^^
お芝居のような改革もあれば、
波乱もなく静かだけど、
もたされるものも重要性はいささかも引けを取らない改革もある。
カール・マルクスは提唱する社会革命を
年老いたモグラの仕事にたとえたんだ。
『長い間人に知られることなく地下トンネルをが堀めぐらされ、
気付いた時には突然ひっくり返っていたというほど
徹底的に伝統的秩序の土台を
崩している』と・・・・
同じ環境で同じように生活をしていても
少しの年代の違いだけでトンネルの掘り方も違うってことだよ^^
(伝統的秩序の捉え方も違うってことかな)
だから無垢(純粋)な部分を生める偶然のあり方も
違うってことだね^^
でも、無垢であるときっていつだろう・・・・?
その答えは偶然にも仕入れることの出来るネタさ^^
(年代別で質の違う偶然)
と~ちゃんたちは、後になって
自分なりに矛盾や混乱も無く支えるために
知的理解(調整)によって
引き出しの中に上手にしまいこんでいるけど。
でもね、
ただの偶然とその積み重なりではなく、
ランダムな自然のつながりによってでしか明らかにされない事実なんだ・・・・。
でも、それでいい^^
鳥は飛ぶことが出来る。
でも人間には出来ない・・・・。
ライオンは牙を向け存在のアピールができる。
でも人間にはそんなアピールでは逆に襲われてしまう。
同じ哺乳類でもイルカのように水中を進めない。
人間は計画という知的なものしか与えられてはいない。
でも、その知は世界を一掃し人類をも終わらせ、
次の解剖学的構造の違う他種に委ねることが出来る。
計画を使ってね。
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