「果てしなく適応し続ける」ことによって起こる、偶発性という名の歴史。
(「名」を追加しちゃった^^)
人間界ではすごく難しくて、実は根本的で単純なこと^^
適応にしろ偶然にしろ歴史にしろ、
それは「生命をもってそこに在ること」なんだ。
人間界で難しい理由は、「死」を「生き」ながらにして
体験したかのように語れるってことだよ。
人生が終わるかのようにね・・・・。
それによって自身を「死」に追いやる人もいる・・・・
実際にね・・・・
そして、自身の信念を守るためにその「命」を捨てる時代もあった・・・・。
誰もがそうだけど、人には常に概念的施錠という原因が付きまとい
偶発性には「?」のままなんだ。
もし、自身を「死」に追いやらず、「命」捨てることがなかったら、
どれだけの偶然と出会えただろう・・・・。
偶然の確率(確率という言葉は使いたくないけど)を減らすことは
多様性や革新性を「果てしなく限定すること」なんだ。
まず、「親」としてそれを伝えられずに「命」を捨てるようなことがあるなら、
「×」だ!
「親」として最初に与えられる使命は、「生命を守ること!」
そして、偶発性の可能性を伝えることなんだよ^^
偶発性とは、関係とつながりでもあり未来への可能性でもあるんだ。
お前に話すのは、まだ先の話だよね・・・・・^^;
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