どうやら、中学校での関係はうまくいっているようですね。少しホッとします。
お前は他人のことを考えすぎるあまりに、自分をおろそかにする傾向がある。
でもその気持ち、と~ちゃんにはわかるような気がする。
と~ちゃんの場合は
- 大切な者が幸せを感じるなら、自分も幸せだ。
- 大切な者が不機嫌なら、機嫌よくなってもらいたい。
- 大切な者が迷うなら、助けたい。
- 大切な者には、いつでも笑顔でいてもらいたい。
・・・・・・・・など
そんなことを思っていると、態度や行動に表れてしまうのだろう。他の人からは、
- お前には欲がない。
- 甘い考えは捨てろ。
- 計算高く生きろ。
- 社会の状況を飲み込め。
- 馬鹿だなぁ~。
と、言われることがある。その時は、とても腹が立ちまた、
落ち込むこともある。しかし、
考えれば、おろそかにしていた部分を補おうとしてくれる
「人たち」につながり、助けられているという現実なんだ。
この他者が現れなければ、自分のおろそかな部分を
自分自身で補わなくてはならない。
「できる訳がない」おろそかな部分は、解決できない、
自分自身の中には存在しないものだから、
自分の考えの外にあるものだから、
それゆえに実は、大切に扱わなくてはいけないんだ。
感情をあらわにし、自分だけを明確に表現するのは簡単だ。
つまり、つながることのない実体の生産なら、細かな部分の生産も、
位置の修正も、感情も、環境も必要としない。
でも、と~ちゃんもお前もその世界では存在していない(出来ない)。
と~ちゃんが今の過程でお前に示すことができることは、
考え方の応用力でいくらでも世界を変えることができるかもしれない、
ということだ。
もし、それが実現するなら、応用力の力が尽きるまで、
細かな部分の生産も、位置の修正も、感情も、環境も
他者も「愛」しなさい。
補ってくれる者を応用力で理解し、「愛」しなさい。
でも、「愛」とは、
好きになること、恋することとは
違うんだよ。
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