漸進的な変更の細目を知らな者は
『生活環境』にまるっきり取り込まれた、
融通のきかない『考え方』に悩むだろうね^^
(2015年08月22日 | 日記より)
言語は全部を伝えない。それだけだよ^^
自然的な法則も、個人個人の法則も
『偶然とやり方』の変更のもとで『環境』を学ぶんだ^^
人は一人ではないからね。
良い人もいれば悪い人もいる。
その区別は双方があって出来るものだからね^^
生命はその空間がなければ生きられない。
そこにあるもの全てが生きることの出来る原則なんだ^^
でも、
ただ殺すことの出来る空間を人間は創ることが出来る。
それも『偶然とやり方』なのだけど、間違った変更を『環境』にしているんだ。
その昔、超自然的な存在(価値)を信じて「雨よ降れ!」と
生贄を差出、雨乞いをしていた時代があった。
しかし、知恵や科学が発達して、
地上の水の量のと、気候の関係がわかってくると、
超自然的な存在は楽しむための祭事とされるようになった・・・・
間違った変更は超○○的な存在(価値)を経験ではなく、
机上や空想・空論に追いやられる精神的な悲鳴から生まれやすいんだ。
そんな『環境』はいらないものなんだよ。
あのね^^
『経験』は空想や空論を論破できるよ^^
特に『偶然的な経験』は一生涯の宝物だよ^^
PS・・・・
お前が小学生の先生に本当になりたいのなら、
まず、細目を知っている『経験主義者』になりな^^
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