来夢・仁・夢衣のLoveコメディー♪

お嬢様の“来夢”とひょうきんな“仁”のところにやって来た“夢衣”
3わんが繰り広げる愛・笑・怒・喜の日々を綴ってます!

紅葉狩り🍂

2020-11-29 16:12:44 | 仁&夢衣
もう11月も明日で終わり💦
来夢家は11月前半に一度行ってみたかった
紅葉がきれいと言われている場所
「播州清水寺」へ行ってきました!

我が家は朝早くに行動し、お昼には撤収という家族…
9時過ぎには現地着🎶
まだ駐車場も空いててのんびりと写真も撮れました📷
カートは使えないと思ってたので一応スリングをカバンに入れて
のんびり歩き始めました
仁と夢衣なので同じようなペースで歩いてくれるのでたすかったぁ~



11時前には駐車場も人もいっぱいになってました💦

気分転換のできた一日でした

来夢の初めての月命日…

2020-11-12 19:49:38 | 来夢&仁&夢衣
今日12日は来夢の初めての月命日
昨日今日と来夢のお誕生日旅行で大山でした
来夢がお引越ししたので、キャンセルも悩みましたが、
来夢も好きな場所だったので、初の月命日は大山で迎えました
来夢のことを少し残そうと思います
長文になりますのでスルーしてくださいね

来夢は数年にわたり、腸・肝臓・胆のうに疾患を持っていました
ここ数年は腸疾患がメインになり
腸内のリンパ節の腫れがエコーで顕著にみられ
「リンパ腫」も疑われていました
が、リンパ腫を特定するには全麻による生検をしないといけないため
当時、心臓の薬も飲み始めたこと、年齢的なもの、
全麻のリスク、リンパ腫だった時の治療法…などを考え、生検はしませんでした
数年は小康状態を保ち、内服治療で安定していました
昨年くらいから徐々に悪化傾向に
今年に入り、数値的にもかなり悪く、貧血もどんどんひどくなってました
不謹慎ですが、コロナの影響でお友達とのお出かけの約束も出来なかったので
ドタキャンはなくて、来夢とずっと一緒に過ごせました
4月、本来なら関東へ旅行予定だったのですが
コロナで中止、隣の県への受診を早め、大山に旅行にいきました
この時はまだ数値的にも大きな異常はなかったのですが
少しずつ病魔は爆発する機会を狙っていました
ちょうどこの頃、来夢のしっぽの付け根のいぼみたいなものが
大きくなり検査したところ、上皮腫と…
切除すれば問題ないとのことで5月末に切除の予定を入れました
5月に入り、軟便が続き、薬が効かなくなって
とうとう、下痢便から水様便に代わり、食事も受け付けず、
時間外診察(地元の病院)に行ったりしました
5月18日仕事を終え、帰宅し受診のため車で移動中、
車内で水様便多量
その日、入院しました「たんぱく漏出性腸炎」と診断
その時、主治医は「元気な状態でおうちに帰ることは難しい」と
思ったそうです
24時間持続点滴、右の前足にシャントがはいってました
3日後くらいから経口摂取…でも吐いたこともあるそうです
経口摂取したころから、回復傾向がみられ
1週間後退院…退院の時、言われたこと
「決して良くなって万歳の退院ではなく、少しでも元気で動ける時間を
お家で過ごしてもらうための退院です」
「たんぱく漏出性腸炎には終わりがあります」と
11月の誕生日は迎えられるか尋ねたところ、
「難しい…でも、誕生日を目標に頑張りましょう」と言われました
退院後も毎日注射のために受診、2週間続け、
その後は3日おきなど…
なんでもいいから食べれるものを食べさせてと
グルメの来夢はこんな時でも嫌なものは食べない💦
でも少しずつ体調も良くなり、体調の良い日はお出かけにも連れて出てました
8月には大山への旅行も行き、cafeにも出かけてました
でも確実に病状は進行してました
9月後半からまた食べなくなりかけて
10月3日受診 この時のエコーが過去最悪のものでした
貧血もひどく輸血
腸内のリンパ節の腫れが最大になっていて
注射針で細胞が採れるほどの大きさに
そして言われたこと「悪性リンパ腫」ですと
当日1回目の抗がん剤投与
輸血をしたため、その日の夜はしっかりとご飯食べ、
元気でした
翌4日日曜日、地元の主治医に報告、元気でした
受診後、地元であったマルシェに少しだけ顔を出し、
お友達にご挨拶…
1時間ほど滞在し、来夢が疲れた様子が見られたので
帰ろうと思ったとき、来夢の意識がありませんでした
とにかく、パニックにならないようその場を離れ自宅へ
ぐったりした来夢を寝かせて、電話、受診
意識は戻っていたものの、ふらふら
でも打つ手がもうありません
内服薬は難しいのでまた毎日、ステロイド、抗生剤などの注射に通うことに
全く食べなくなり、火曜日の午後から仕事はすべて休みをいただき、
自宅からもほとんど出ないようにし、来夢と一緒に過ごしました
ベッドも来夢が落ちたらいけないので
リビングに布団を敷いて寝てました
ふらついて2,3歩歩くとこけて
それでも最後までトイレだけは完璧でした
10月11日日曜日夜、来夢に「ママは明日から仕事に出ます」と伝えました
「絶対にママのいないときに逝ったらダメだよ」って
亡くなる少し前、私の枕元に来てぴったり身体をくっつけて寝てました
12日5時29分、来夢は穏やかにお引越ししました
その後、妙にあれとこれをしなきゃとなぜかとても冷静で動き回り
9時前に斎場の手配をし、病院に連絡を入れ、一段落した後、
来夢のしっぽの毛をカット
13時にお空に帰って逝きました

最期の1週間、職場の同僚には休ませていただき感謝
来夢がいたからたくさんのお友達に恵まれ
たくさんの場所に出かけることができました

今、来夢が居なくなったことで仁が少し心配ですが
夢衣が居てくれるおかげで何とか頑張ってくれてます
夢衣、来夢が居なくなってから、行動が来夢に似てきました
朝起こすのは夢衣の役目、私がご飯を食べるときはじっと見つめる
夢衣のおかげで、毎朝5時29分はみんなで来夢に挨拶しています

来夢が居なくなって一度も涙が目から溢れることがありません
うるうる、こみ上げることはありますが
悲しみや寂しさがあまりにも大きいと自分でも
どう対処していいのかわからなくなります

来夢がパピーのころ、あまりにも私が溺愛してたので
「来夢が居なくなったら、あと追うんじゃない」って
言われたことがあります
仁や夢衣が居なかったらそうなったかも
でも仁、夢衣をちゃんと来夢のそばに送るまでは
そんなこと言ってられませんよね

『来夢、まだ少し先になりそうだけど、仁も夢衣もママも
そっちに行くから、その時はそっちの世界を案内してね
ありがとう』