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教会員にとって本当に大切な書なら (地方の教会員)
2012-01-04 23:53:46
モルモン書を1年かけて読むのではなく、3年以上かけて、学習してもよいのではないかと思う。

橋本武という教師は、中勘助の「銀の匙」を3年かけて国語の授業で教えました。その教え子の中から日本を代表するリーダーが多く出ています。国語の授業は、週に1回ではなく、3回以上あります。



橋本先生は、遅々としてページが進まないことに苛立った生徒にこのように言いました。

「すぐ役立つことはすぐに役立たなくなります。そういうことを私は教えようとは思っていません。なんでもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。私の授業では君たちがそのヒントを見つけてくれればいい・・・。だからこのプリントには正解を書いてほしいとは思っていないんです。自分がその時、本当に思ったことや言葉を残していけばいい。そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。そのことはいつかわかりますから。」


毎日、モルモン書を読んで研究し教会員生活をしている教会員ばかりではありません。モルモン書に書かれている日本語が理解できていない教会員もたくさんいらっしゃいます。



許されるなら

私は、いつの日か、教会の教師用標準テキストに沿わない、遅々として前に進まないレッスンをする教師になりたい と思っています。
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許されるはず (NJ)
2012-01-05 08:08:23
コメントありがとうございました。なるほど教会には皆でじっくり学んでいくという場面がないですね。個人の領域に任されているのでしょうか。

いつの日か、と言わないで日曜学校の課外活動かファイヤサイドの形でそのうち実現できるといいですね。(初め単発的か数度の試みでも。)

おしえていただいたら、参加しに参ります。

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モルモン日曜学校の目的 ()
2012-01-06 12:43:04
>ともすると既に読んだことがあるため受身的になる傾向があるので、能動的に読むための考え方を掲げてみた。


NJさんは、モルモンの日曜学校の目的を全く理解していないようですね。

モルモンの日曜学校は、聖典や教義について勉強したり研究したりする場では有りません。

モルモンの日曜学校の役割は、会員にモルモンの教義を再確認させ、その教義を受け入れさせる事が主な目的です。

その事は、日曜学校の教師用テキストを読めばすぐに分かります。

4っつの聖典について学んでいる様に見えますが、実は、一定のモルモンの教義を、何度も繰り返して確認しているだけです。
その為に、4年前にやったことと全く同じ事を繰り返すわけです。

そして、教師は勉強や研究ではなく、すでに決まっている教義を会員に受け入れさせるようにレッスンを進めます。

教師用テキストに書いてある生徒への質問も、ほとんどが「誘導型」です。つまり、一定の結論へ誘導する為の質問です。

例えば
「聖書以外にモルモン書と言う正確な書物を与えられているのは、あなたにとってどのような祝福が有りますか?」

この例文では「モルモン書が正確な書物で有る」と言う事についての疑問を持つ事を認めて居ませんね。

モルモンの日曜学校で、能動的になろうとすれば、教師や他の会員から煙たがられるだけです。
さもなくば、同席の、モルモニズム研究者から、「その様な質問はこの場ではしない方が良いです!」ってたしなめられるのが落ちです。


モルモンの日曜学校で得られる知恵と言えば・・
「長いものには巻かれろ」、「郷に入っては郷に従え」・・・ですね。
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豚さんの言われるとおりです (地方の教会員)
2012-01-06 23:12:28
モルモンの日曜学校は、会員にモルモンの教義を再確認させ、その教義を受け入れさせる事が主な目的です。

だから、聖典を深く学ぶことは、不可能です。

このままでは、教会員は、たてまえの教義を理解するだけの似非クリスチャンになってしまいます。

私のワードでは、私の意見が発言されなかったように扱われることがよくあります。私もわざとですが、教師の誘導型質問にはまらないような答えをいって、教室の中の考えの多様性を維持できるように務めています。

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現状はそうであっても / 諦めたくない高齢者 (NJ)
2012-01-07 00:11:40
豚さんへ 「能動的に」と書いたのはそれぞれ個人が家で読むときの心構えとして記した積りでした。「リベラルな読者の読み方」は特に個人が取り組む時の考え方として参考になると思っています。

日曜学校のクラスは礼拝に続く教会の中の学びの場ですから、おのずから記事の4の人々には節度が求められ、物足りなく感じられることが多くなります。それでも意義あるディスカッションは可能だと思います。生徒用手引きは(教師用手引きも)最小公倍数のようなもの、あるいは参考資料であっていくらでも応用が利き変化に富ませることができるからです。そうしてこそ日本の教会の自立が達成できると期待します。

地方の教会員さんへ 苦労されているようですね。私もクラスに刺激を与えようと、また建て前だけに終わっては残念と折を見て発言するよう努力しています。しかし、自分が浮き上がって皆から受け入れられないようになってはいけないので注意が必要だと自戒しています。

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日曜学校について (エフライム)
2012-01-11 00:50:10
日曜学校に限らないですが、そこで学ぶことは、自分がどう変わるかであり、他人や、クラス自体がどうあるかといったことは、主眼ではないと思います。
プロがやっているわけではないので、教師の方や、クラス自体に不備はあるでしょうが、問題はそれではなく、自分がそこで何を学ぶか、何を変えることが出来るか、どう成長するかが主眼であると思います。
人がどうかではなく、自分がどうかを問うべきだと思います。他人のあらを探していたらきりがないし、自分に何の成長ももたらさないと思います。
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忍耐と希望と (NJ)
2012-01-11 11:31:52
その通りですね。もともと自分が(個人が)どのように読むべきかについて考察した記事でした。

ただ、それぞれが環境を構成し、参加者は環境に影響されますから、そこに貢献し向上を望むのも自然であると思います。そこに毎週一時間前後過ごすわけですから、有意義であってほしいと望みます。
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師が居ない ()
2012-01-11 13:21:45
イエスには12人の弟子が居た・・・
否、もっと多くの人々が、イエスから教えを請おうとしてイエスについて回った。

イエスがこの世を去って、ペテロが教え、パウロが教えた・・・。

情報があふれるほどの現代でも、書物やデジタルの情報からは得られないものが有ると思う。
それは、自分が師と思う人から受ける無形の情報である。

その言葉や行い、生き方から得られる情報は、師から弟子へと受け継がれる。それこそが、宗教の真髄ではないだろうか?

モルモンには、師が居ない、教導者が居ない・・・

白鳥は哀しからずや 海の青 空の青にも染まず漂う

自分を染めてくれる師が居ないと言うのは、実に哀しい。
口角泡を飛ばし、自分の生き方さえも変えよと言う勢いで迫ってくる友が居ないのは実に哀しい。

「人がどうかではなく、自分がどうかを問うべきだと思います。」
としか言えない宗教は本当に哀しい・・・。

教会とは、教える会ではないのか?
そこに来て無為に時間を過ごし、帰って自分ひとりで学ばなければいけないような場所を「教会」って呼ぶのだろうか?
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教会とは・・ (NJ)
2012-01-11 21:55:58
噫(あな)哀し哉。
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気を取り直して (NJ)
2012-01-11 23:35:58
哀しいとばかり言っていても、芸がないので、

 汝ら相集まる時は、・・互いに教え導くべし
              (教義と聖約 43:8)

と言われていることを思い出して努めたいと思います。留まっている人たちは皆自信にあふれた様子なのでできているのと違いますか?
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