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モルモン書をどう読むか。2012年読書課程を読み進めるに当たって

2012-01-04 16:51:03 | モルモン教関連
 
ダブルデー出版のモルモン書 [ ]は Translated by

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)では4大聖典(旧約、新約、モルモン書、教義と聖約)を4年で順に読んでいて、今年はモルモン書を読む年に当たっている。一般の成人会員は日曜学校の時間に「福音の教義クラス」で学ぶことになる。ともすると既に読んだことがあるため受身的になる傾向があるので、能動的に読むための考え方を掲げてみた。

モルモン書は日本でも教会外のキリスト教徒や研究者が手にとって読み、吟味し始めている。先日トゥィッターで、あるクリスチャンがユダヤ教徒は新約聖書を加えられてどんな気持ちでいるのか味わってみようと異教のモルモン書を読んでいる、と書いていた。また、研究者によってはモルモン書を丁寧に、正確に読んでいることは言うまでもない。

さて、会員でも人によってモルモン書の受け止め方が異なるので(私自身も重層的)、いくつかのアプローチをあげてみたい。以下、1 モルモン書が世に与えた影響・評価、2 信徒の読み方、3 モルモン書の貢献 or 19世紀に登場した聖典としての特徴、4 リベラルな読者の読み方、に分けて記してみる。1と3はそれらについて意識して読む、あるいは確認するというアプローチである。

モルモン書が世に与えた影響・評価 
モルモン書がアメリカに、また世界に一定の影響を与えてきたことは否定できない。例えば「アメリカを変えた本」25冊に数える人があり、モルモン書をもたらしたジョセフ・スミスを宗教史上モハンマッドと並ぶ人物とみなす聖書学者があり、アメリカのダブルデー出版社(アメリカの代表的な出版社)がモルモン書を市販の普及版として出版するに至っている。そして昨年「モルモン書」と題するミュージカルがニューヨークで上演されていることは周知のところである。

2 信徒の読み方
 教会員は常にモルモン書を読むよう勧められているが、それでも読む度に新しい意味を発見し、信仰生活を支えられている。人生で苦楽を味わう中に、新しい視点を得、考え方が変わることがあるからである。新たな発見を求めて、新鮮な気持ちで読むことが求められる。どこに人々を惹きつける力があるのか、あるいは普遍性があるのかなどテーマを持って読んでみたい。モルモン書の原語である英語と読み合わせるのもよいであろう。新たな味わいを覚えることができる。

3 モルモン書の貢献 or 19世紀に登場した聖典としての特徴
 ここではモルモン書の特徴とされる点を概観し、現代社会 / 宗教界に貢献することがあるかどうか考えてみたい。以下の項目はオディー、スペリー、ニブレー、ノーマン、トマス、高山を参考にした。
1) モルモン書の特徴
①  切迫した「破滅の脅威」を警告。信仰と悔い改めの呼びかけ
②  富を得て驕り、破局にいたる。慢心に対する警告。
③  「誡命(いましめ)を守れば栄える」。これが繰り返され、一つの基調となっている。
④  イエスはキリストであるとの証し。モルモン書のキリスト論は十字架の苦難が登場せず凱旋的 (プライス)。
⑤  善悪の問題。 有徳 → 繁栄 → 慢心・不義 → 社会の内紛・傲慢 → 罪・荒廃 → 主の叱責  「善」は誡命を守ること。
⑥  物事には反対のものが存在する。
⑦ 「信仰」の定義、ヘブル11章の敷衍。
⑧  現世の意義は喜びを得ることに。原罪の暗いイメージを否定。
⑨  貧者や不運な者を救済せよという教え。
⑩  弱者の側に立つ。また、既成の価値観に反抗するカウンターカルチャー的。
2) 19世紀アメリカに出現した聖典としての特徴
①  反王制的、民主、自由平等の精神。
②  宗教の自由、政教分離。
③  教義の明瞭さ(18, 19世紀の思潮を認識し、当時問題となった事柄に答えようとしている)。例 アメリカ先住民の出自、幼児洗礼、儀式の文言
④  天動説を否定し、地動説(ヒラマン 12:15)。(後に、合わせて「無からの創造」を否定し、物質は永遠に存在すると提示。D&C 99:33。)
但し、ニュートン力学に沿ったもののアインシュタインの相対性理論、量子力学には合わない部分が出てきている。今日宇宙開闢以前は「無」という考えが浮上しているからである(この項キース・ノーマン)。
⑤  モルモン書は旧約と内容面でインターテクスチュアルな関係(無意識的な影響関係)にあり、生み出した主体(古代ユダヤ教徒 / 19C米英プロレタリアート)が類似している。また、19世紀アメリカの現実を反映していて構造主義的に分析すると大変複雑な書物である(高山)。
イザヤ書やエレミヤ書などは弟子が預言者の言葉を受け継いでいく時、要約し注釈を加えた。ジョセフ・スミスも翻訳に際し記録の継承者として同じ役割(editing を含む)を果たしたことをヒュー・ニブレーは示唆している。
** モルモン書の貢献については、例えば上記特徴の一部がアメリカ的楽観主義、積極的なキリスト教をもたらした、などが言えるかも知れない。しかし、時代の制約や内容面の錯誤を指摘する向きもあるだろう。貢献についてはこの一年読む間 別に時間を取って考えたい。

4 リベラルな読者の読み方
 モルモン書の内容を史実としてではなく、19世紀の背景を反映し、19世紀に産出された宗教書と受けとめる読者はどのように読めばよいだろうか。ジョセフ・スミスを霊感されたモルモン書の著者とみるロバート・M・プライスは、文学作品と同様 作中の登場人物が語る物語に耳を傾け、作中の世界に入っていって共鳴する教えをくみ取ればよい、と言う。結局現代人は聖書もそのように読んで、いわばそこから得たシナリオに従って人生を歩むように努め、支えられている、と観る。その際、読者は「暫時不信の目を閉じて」語り手に耳を傾けるのである。(英文 we temporarily suspend disbelief to enter into a narrative world).
 カナダの会員ブラッド・ブロックの見方も参考になる。
「私は現在聖典を、芸術品を観るように創造的な作品として見るようにしている。知識の源泉を多様化し(他の様々な情報源から知識を得)、人生経験を積むにつれて、聖典からずっと豊かな意味を獲得できるようになっている。直解主義(字句通り解釈する読み方)がもたらす矛盾から解放されると、聖典からはるかに多くの意味を引き出すことができる。」(2014/05/05Facebook に掲載)。
"I now view the scriptures more as a creative work, like viewing art. I garner more meaning from them as I diversify my knowledge base (from a variety of other sources) and gain more life experience. I find losing the distraction of literalism helps me draw much more meaning from the scriptures."(Brad Bullock, Alberta, Canada)
 私個人はモルモン書の原稿が書かれた順序に注目し、それが本文(言葉遣い、内容)にどのように反映しているか本文批評の立場から参考書と併読して読み解いていきたいと思っている。

参考文献
・ロバート・B・ダウンズ「アメリカを変えた本」研究社 1972年
・Gary P. Gillum, “A Nibley Quote Book: Of All Things” Signature Books 1981
・Hugh Nibley, “Since Cumorah” Improvement Era, September 1966
・Keith Norman, “Mormon Cosmology: Can It Survive the Big Bang?” Sunstone Vol. 10, No. 9 (1985)
・Thomas F. O’dea, “The Mormons,” The University of Chicago Press, 1957
・Robert M. Price, “Joseph Smith: Inspired Author of the Book of Mormon” in Vogel and Metcalfe ed., “American Apocrypha” Signature Books 2002  
・Sidney Sperry, “Book of Mormon Compendium,” Bookcraft, 1968
・高山真知子「アメリカ史の謎 モルモン教における叙事詩の発生と一夫多妻制度の意味」、井門富二夫編「多元社会の宗教集団 アメリカの宗教 第二巻」大明堂 1992年所収。
・Mark D. Thomas, “Digging in Cumorah: Reclaiming Book of Mormon Narratives,” Signature Books, 1999

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19th Century Phrases in the Book of Mormon (The Week in Mormonism, 11/29/2015 Jonathan Ellis, medium.com)
I want to dig a little deeper on what Bushman said about nineteenth century language in the Book of Mormon (my transcript, starting about 9:30):

I think right now the Book of Mormon is a puzzle for us. Even [for] people who believe it [inaudible] in every detail, it’s a puzzle. To begin with, we’ve got the puzzle of translation. Translating the book without the plates even in sight, wrapped up in a cloth on the table. It’s not something that comes right off the pages, [that is] the characters on the plates. So we don’t know how that works. And then there’s the fact that there’s phrasing everywhere, long phrases that if you Google them, you’ll find them in 19th century writings. The theology of the Book of Mormon is very much 19th century theology, and it reads like a 19th century understanding of the Hebrew bible, as an Old Testament: that is, it has Christ in it, the way protestants saw Christ everywhere in the Old Testament.

Bushman made the same assertion about 19th century phrases in the Book of Mormon text at least once before in an interview on Reddit. And yet I wasn’t aware of a good resource to learn more. I emailed Bushman, and he replied that while he was certain he had found several “hits” while checking phrases from Alma, he did not record those results and was unable to reproduce them.

With some more research I’ve found two starting points:
• Grant Palmer’s An Insider’s View of Mormon Origins, chapter 4. Palmer cites, among others, Mark D. Thomas’s Revival Language in the Book of Mormon [pdf], Susan Curtis’s Early Nineteenth Century America and the Book of Mormon, Melodie Moench Charles’s Book of Mormon Christology, and Mark D. Thomas’s Is the Book of Mormon Ancient or Modern History? A Discussion Focusing on the Book of Mosiah. The last is cited as Sunstone 13 (Feb 1989), but I could not find it in either Sunstone 13 (Feb 1979) or Sunstone 69 (Feb 1989).

• John Cline’s article, 19th Century Sources for Mormon Concepts. Cline appears to have taken an approach similar to the one proposed by Bushman of checking distinctive Book of Mormon phrases against 19th century texts and sermons. He looks at one example (substitutionary atonement) in depth, and fourteen more superficially.

https://medium.com/@jellistx/the-week-in-mormonism-11-29-15-19th-century-phrases-in-the-book-of-mormon-ken-jennings-on-the-298b2ac8d182#.wpco0xbj4


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40 コメント

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コメントありがとうございます(*^^)v (美ら)
2012-01-31 14:44:42
沼野さまからのコメント、とても嬉しく思います。
ありがとうございます☆彡

少しばかり、時間的にも精神的も余裕が出てきたので
、何度か覗いてはコメントなしでおじゃましています。

また、遊びにきますm(__)m

返信する
有難うございます (NJ)
2012-01-31 11:30:06
美らさんの訪れと参加(コメント)を心から歓迎・感謝いたします。

美らさんは真っ直ぐで、深みがあり、私は力を感じるからです。(躍動的)。聖霊の賜物を受け、活用しておいでだからと思います。

また、時折お出でください。

 
返信する
わたしも (美ら)
2012-01-29 23:35:30
地方の教会員さん
>教会員にとって本当に大切な書なら (地方の教会員)

沼野さま
> いつの日か、と言わないで日曜学校の課外活動か
ファイヤサイドの形でそのうち実現できるといいですね。
(初め単発的か数度の試みでも。)

>おしえていただいたら、参加しに参ります。

わたしも興味あります。参加は厳しいですが・・。

エフライムさん
>プロがやっているわけではないので、教師の方や、
クラス自体に不備はあるでしょうが、
問題はそれではなく、自分がそこで何を学ぶか、
何を変えることが出来るか、どう成長するかが主眼であると思います。

お久しぶりです。エフライムさんの前向きな考えはとても素晴らしいと思います。すべての会員がそういう気持ちで取り組めば、一人一人が
作用する者になるのでしょうね。

オムナイ
>色々求道してもモルモン以上に良い宗教は見いだせないかもです

右に同じです。教会の教義、導き、どれをとっても深いです。

沼野さま
>ただ、それぞれが環境を構成し、参加者は環境に影響されますから、
そこに貢献し向上を望むのも自然であると思います。
そこに毎週一時間前後過ごすわけですから、
有意義であってほしいと望みます。

わたしもそう望みます。
宗教教育の一番大切な聖霊によって知覚にもたらされる
教義の深い理解は個人と教師の備えがあればのことだと思います。教師も生徒も聖霊によって教え、聖霊によって学びを受ける備えをすればこの上ない学びの場になると思います。

これがわたしが一番求めていることです。


豚さん
>その言葉や行い、生き方から得られる情報は、師から弟子へと受け継がれる。
それこそが、宗教の真髄ではないだろうか?

>モルモンには、師が居ない、教導者が居ない・・・

お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
その言葉や行い、生き方から得られる情報・・・理想ですね♡

でも、嘆く必要ないと思いますよ。
末日聖徒は「聖霊の賜物」を授ける按手を受けていることを忘れないでね。
聖霊の賜物を与えられている私たちが聖典を学ぶとき、
聖霊の力によって深い理解を祝福されると知っています。

主は取るに足りない私たちであっても、主御自身の偉大な教え、言葉、生き方によって学び得られるようにわたしたちに深い感銘をお与えになるために、教師と生徒が教化し合う(教師と生徒が互いが高められ神に近づくことによって学びから喜びを得る)事ができるように「聖霊」をおつかしになるのですから。

「聖霊によってあなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。」モロナイ10:5

わたしたちに聖霊によって教えを受ける備えがあれば、
聖霊が教師となるように備えられた教師から、主の偉大な教えを受けるのは十分可能だと思います。主の言葉を学ぶ上でそれが究極で、すべての会員が求める必要のある重要なことだと認識しています。聖霊の力を受ける度合いによって得られる祝福は会員によって違ってくると思いますが・・。

日曜学校の目的、教師の手引き、生徒の手引きはそれを可能にするために研究された手引きになっていると思います。聖霊からもたらされる霊感を受けるかどうかによって受ける影響は違ってくるでしょうね。
繰り返し学ぶのは、聖霊による影響力は生ものですから
過去に得た霊感を新にするためには繰り返し学び霊感を受けることが必要だからと思います。繰り返し少しずつ聖霊によって教化され、主の教えを実践していく中で、霊的に更新され、主に近づいていき、完成の道を辿っていくのだと思います。

オムナイさん

>キリストと人間を近づけるとは、

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

心から同意。それこそ主の教えの中で重要で
聖徒の完成に向けるための福音の真髄だと思います。

キリストに近づけば近づくほど、そういう行為は
ごく自然にできるかもしれませんね。
「善」はキリストの光からもたらされるものですから。
「聖徒の完成」「伝道」「死者の贖い」「困っている人を助ける」
それらを広げて理解するとその聖句に通じるとわたしは理解しています。


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自由な発言、面白い! (美ら)
2012-01-28 01:29:24
久々に覗いてみました。面白いですw
みんなみんな天のお父さまの大切な子供たち、だと
微笑ましくも笑いながら(失礼)読ませてもらいました。

時間も遅いので、またこちらにコメントしにきます。
返信する
Xiexie (NJ)
2012-01-17 17:56:00
ありがとうございます。中国は急速に変貌していて目が離せません。一つ一つの情報が貴重です。
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Re:Unknown (小森愛一郎)
2012-01-17 12:34:30
沼野兄弟

ここに住んでいる会員であればだれでも知っていることですので、隠さなければいけないことではないと思います。記事にしていただいても結構です。
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Unknown (エフライム)
2012-01-16 21:40:40
教会の英語のホームページの右上のLanguagesの中から左側にある日本語を選択し、メニュー→学ぶ→教材・資料の中に手引き第2部があります。
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Unknown (エフライム)
2012-01-16 21:34:24
NJさん(沼野兄弟)、小森兄弟、情報ありがとうございます。私の近くに中国人の会員がいないので、こういう情報は分からないのです。まだまだ中国で普及するのは先のようですね。全世界に福音が伝わるには、中国および中国人への普及が鍵を握っているように感じています。
小森兄弟、教会手引き2は日本語でも出ていますよ。
教会の英語のホームページで、日本語を選択してください。そこにあります。
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記事として掲載したい (NJ)
2012-01-16 20:51:00
小森兄弟、上海から見える報告をありがとうございました。貴重な報告になりますので、コメント欄ではなく、記事にさせていただいてよろしいでしょうか。(コメント欄はブログ内の検索でも出てきません。)
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こちらの事情 (小森愛一郎)
2012-01-16 13:38:06
モルモン書を読むということから若干外れているような気がしますが、お知らせすべきことはそうすべきだろうと思いますので、もう少し書かせていただきます。

中国政府は信教の自由を保障しているといいます。十字架の飾ってある教会堂は大きな町であれば見かけることはできます。礼拝行事は自由に参加することが可能です。中国人でも外国人でも可能です。

LDS本部は中国とは良好な関係を持っていると言っていますが、具体的には何も情報はありません。

上海地方部は2つの省と1直轄市にまたがっています。上海市、浙江省、江蘇省です。それぞれの区域にはそれぞれ宗教局がありまして、対応が異なります。北京で出来ているから他のところでも同じことができるというわけではありません。ですから上海ではビルのフロアを借りて集会を開くことができますが、そのほかの地域では個人の家で集会を行います。

中国人の会員はパスポートを持っていれば、台湾、香港の神殿参入が比較的容易に可能です。日本に行くにはビザの関係がありなかなか難しいですね。

私が上海に来た2005年当時はピクニックやクリスマス会には中国人の会員も参加できていましたが、あるときから宗教活動でも交流が禁止になりました。ですから、中国に生活していても交流があるのはアメリカ人会員だけというとても奇妙な状態です。

以前のことですが、エンサインを香港から入手する際には中身が分からないように封筒で送ってきたようですが、今では中身が見えても個人の家に届けられています。

教材の書籍は、誰かが香港に行くときに手荷物で持ち帰ることになっています。それでも数量がまとまるとどうしようか悩んでいます。今では電子版でほとんどすべての必要な資料を見ることが可能です。教会のハンドブック2でも可能です。技術の進歩に感謝です。ただし、日本語はありませんので、PBOには頑張っていただきたいです。

教会は世界中の中国語伝道部に宣教師を派遣しています。ニューヨーク(米)、マンチェスター(英)、シドニー(豪)、カナダなどなど。海外で回収された方との交流がありませんので、どのように考えておられるかはわかりませんので、お近くに中国人の改宗者がいらっしゃれば中国大陸での布教活動について、ぜひ伺ってみてください。
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代わってお答え (NJ)
2012-01-16 00:05:13
小森兄弟に代わって答えさせていただきますと、西側にいる人が持っている感覚で言えば宗教の自由はない(あるいは限定的)ということになります。

しかし、今日の中国では、末日聖徒は外国籍の会員は自由に教会に行き礼拝することができますし、中国籍の会員も支部がある都市では自由に教会に行くことができます。その意味で宗教の自由は憲法で保障されています。(イスラム教も仏教も)。但し、外国籍と中国籍のlds間の交流はしないように定められています。外国のキリスト教の伝道もできません。lds以外の他の宗派も同様です。中国におけるキリスト教を取り巻く事情を理解する必要があると思います。

詳しくは本ブログのカテゴリー「中国、中国のキリスト教」の記事をご覧ください。

中国でも地域によって宗教政策の実施上地域差が残っているようですが、こんにち、キリスト教に関して弾圧と呼ばれるほどのことはごく少なくなっていると思います。いわゆる家庭教会と呼ばれる存在についてもです。制約はあっても今キリスト教に対する中国政府の態度は寛大になっています。
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Unknown (エフライム)
2012-01-15 00:20:58
小森兄弟、やはり中国では、教会員が自由に教会に行くことは出来ないのですね。もちろん伝道活動も出来ないわけですね。ほかのキリスト教もそうなのですか。一体どのような宗教弾圧があるのでしょう。
他に国にいる、中国人はその国で結構改宗していると思うのですが、彼らは自国のそのような状況についてどう思っているのでしょうか。
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簡体字版モルモン書 (小森愛一郎)
2012-01-14 23:06:31
簡体字版モルモン書が出版されていましたか。私たちの集う上海地方部は大陸の中国人は出席できませんし、香港、台湾の帰還宣教師ばかりですから繁体字版だけで良いのでしょうね。
大陸の人たちの支部では当然、簡体字版モルモン書が使われているとは思いますが、実情を確かめることができないのは残念です。
繁体字版を購入しましたが、歯が立ちませんので、飾りものになってしまいそうです。
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簡体字版出ていました (NU)
2012-01-14 11:49:11
中国語のモルモン書は簡体字で2001年に出ていました。末日聖典合本がやはり簡体字版で2008年に出ています。リアホナ2009年2月号チャーチニュース欄。
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以前コメントに (NJ)
2012-01-14 11:25:15
小森兄弟には以前、2010/10/11 「ハルピン日本人会に出席して」の記事にコメントいただいていました。2010/10/14付け。失礼しました。

これはこのブログの検索では見つからず、Yahoo Japan の検索で見つかりました。
返信する
中国語のモルモン書 (小森愛一郎)
2012-01-14 08:12:51
沼野兄弟

私はまだ上海におります。ただし、この3月末で日本に帰国します。次の任地は横浜になりますので、LDS聖書研究同好会に参加できそうなので楽しみにしています。

日本に帰るまでに一度でいいから現地の安息日の集会に出席しなければと考えております。

モルモン書はまだ簡字体は出版されていないと思います。教材や、リアホナも全て繁体字です。昨年に台湾神殿に訪問した時にブックセンターで探しましたが、簡体字の資料は全く見当たりませんでした。
教会のサイトの中文を見てもわかる通り、まだ簡体字は使われておりません。中国大陸での伝道が始まる時には使用されるようになるのではないでしょうか。中国大陸に向けてはまだ伝道していませんよという態度を示しているように思います。大陸では末日聖徒はまだアンダーグラウンドですから、簡体字版が大々的に出回ると微妙なことになるのだろうと思います。以前、教会は中国の伝道に付いて公式コメントを出していますが、それ以降具体的な方針や指示は何もいただいておりませんので、それ以上は全て憶測になります。

聖書は簡体字が出版されております。上海の魯迅公園近くにはキリスト教書店もありますので、見つけることができます。我が家にも一冊ありましたが、それは日曜の朝にバスで教会に向かっていたときの事。年配の女性達に席を譲ったら、聖書とチラシをいただきました。伝道されてしまったのですね。

中国の教会事情でお知りになりたいことがあればわかる範囲でお答えしますので具体的な質問をいただければ結構です。
返信する
Unknown (エフライム)
2012-01-13 23:13:23
豚さん、冷静なコメントありがとうございます。

エフライムさんには、私を批判する暇があるようですね。

まさしくその通りです。あのコメントは、最後に書いてあるように自分自身に言っているコメントです。
コメントではいくらでも偉そうなことをかけますが、実際に行っていなければ意味がないと思っています。コメントを書いて、自分への反省にしたいと思っています。

小森兄弟、中国での教会の活動や、教会員に興味があります。また情報を教えて下さい。
NJさんの落ち着いたコメントにも感謝しています。
返信する
コメント歓迎 (NJ)
2012-01-13 20:15:26
エフライムさん、「同じものを見ても、感じ方、信仰の度合いで、全く違う考え方になります」この考えに同感です。

生来楽観的、積極的な人物のダイナミズムに憧憬の念を持っています。つい、置いていかれます。

私やコメンターへの指摘に感謝します。ついついうごめくばかりで前進できないことが多々ありますから。

豚さん、オムナイさん、
終わっているかもしれませんが、ここで意見交換されてもかまいませんから、御遠慮なく。いずれ譲らぬ論陣に息をのむばかりですが。
返信する
Unknown (オムナイ)
2012-01-13 19:51:04
>教会の本質を忘れてはいけないと思いますが?

教会の本質は神と隣人を愛する事、互いに愛し合い、助け合う事。

それこそが「救い」なんじゃ?

モーサヤ書 18:29
アルマは神から命じられたので、このように彼らに告げた。そして彼らは、各々の必要と入り用に応じて物質的にも霊的にも互いに助け合い、神の前をまっすぐに歩んだ。

教会の使命(目標)に人道支援が加えられて強調されたばかりですが。。
返信する
こんにちは。你好。 (NJ)
2012-01-13 18:04:29
小森兄弟、中国からコメントありがとうございます。日曜学校でディスカッションが行われていることが分かって嬉しいです。(外国語では発言になかなか加われないのは私も同様です)。

モルモン書(摩門経)はまだ簡体字版が出ていないのでしょうか。聖書はいかがですか。簡体字版(1997年、現代中文訳本)は使っていないようですね。この版を使い始めるかどうか大変興味をいだいています。

ところで肝心なことなのですが、小森兄弟は上海?北京?香港?台湾?あるいは他の都市?のどちらにいらっしゃるのでしたでしょうか。

どうしても中国が懐かしい沼野です。6月にちょっと訪ねる予定です。

返信する
本質 ()
2012-01-13 18:04:18
オムナイさん、本題からずれてきたので、最後にします。

貧しい人に手を差し伸べるのは良い事だと思います。
それを教会が行う事も良いと思います。

しかし、それは教会の本質では無いと思います。
それ以上にしなければならない教会の使命が有るんじゃないですか?

イエスは貧しい人に食物を与えて回ったでしょうか?神の子なら、それぐらいの業は出来たはずですね。

でも、イエスはそんな事はしなかった、イエスは「人を救う」と言う事はそう言うことじゃないって思っていたんじゃないですかね?

神の子なら、世界中の病を無くす事も出来たでしょう、しかし、イエスは、ただ、人を神の国に導く為に何人かの人の病気を治しただけでした。

教会の本質を忘れてはいけないと思いますが?
返信する
トンとわかりませぬ。豚だけに? (オムナイ)
2012-01-13 17:11:50
>世の人の生活を助けるのは、政府であり、NPOで有り、社会福祉団体や、その様な思いを持つ個人です。

パッカー長老はこのように言っています。

まず自分の家族に援助を求めるべきです。その後, 教会に求めます。これが正しい順序です。

宗教こそ、とりわけイエス様の教えを奉じる教会こそ貧しい人を助けることは強調されるべきかと(^^)

オムナイはそのように思ってます。

キリストと人間を近づけるとは、

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

貧しい人を見過ごしにせず、奉仕する事こそキリストの教会でしょう。
返信する
どう助けるか? ()
2012-01-13 15:23:06
オムナイさん、直接話するのは久しぶりですね。
元気そうで何よりです。話がかみ合わないのは昔と一緒ですが・・・(笑)

エフライムさんこんにちは、
NJさんのブログなので、閲覧者同士直接ぶつからないようにって、これでも気を使ってます。(笑)

先日宣教師と話をしていました。
有る求道者の方が、生活面でいろいろと問題を抱えてらして、バプテスマの予定日にバプテスマを受けられるかどうか・・・?って相談で・・。

私は宣教師にこう言いました。
「その人の生活上の問題を解決するのは、宣教師の仕事じゃない、宣教師の仕事は、福音を知らせ、イエスがキリストで有る事を伝えて、その人がキリストによって救いを得られるようにすることです。」

私は、教会とはそう言う場所だと思ってます。
世の人の生活を助けるのは、政府であり、NPOで有り、社会福祉団体や、その様な思いを持つ個人です。

教会は、福音を伝え、キリストと人間を近づけるところだと思ってます。

「成功者は批判などしない。そんなことをしていたり、考えたりしている暇がないからです。」
エフライムさんには、私を批判する暇があるようですね。(笑)

私は、成功者ではなく「豚」ですので、今後お構いなく、成功者の貴重な時間を豚の為に浪費しない方が良いですよ。
返信する
モルモン書をどう読むか (小森愛一郎)
2012-01-13 14:00:43
昨年度はモルモン書を英語で読みました。
昨年からは中国語の日曜学校に出ています。中国語の教会用語はさっぱりわかりませんでした。やっと簡体字になれたところですが、聖典や教材は繁体字ですので高い壁があらわれました。中国語のクラスと言っても教師は中国人、生徒は日本人(私と家内)、あとはアメリカ人という組み合わせです。
こちらでは日曜学校は深く掘り下げて教師が教えるというよりも、教師のプレゼンテーションに対して生徒が自分の考えを述べることが中心でレッスンというよりはディスカッションですね。自分も発言しようと思うのですが、発言を考えているうちに次の話題に飛んでいることがほとんどで無口な人になっていました。

こちらで学んだことは「教会からから家庭に戻り、家庭にあって家族で神様に近づく」ということでした。
Home - Centered
Parent - Directed
Church - Supported
これに尽きると思います。
返信する
Unknown (エフライム)
2012-01-13 13:46:30
カナンの地に偵察にいったヨシュアとカレブ以外の者たちは、そこにいた民が大きいのを見て、とても敵わないと怖じけずきました。しかし、ヨシュアとカレブは彼等に勝てると感じました。同じものを見ても、感じ方、信仰の度合いで、全く違う考え方になります。
あるものを見て、先ず批判から入るか、肯定的に捉えるかどうかは、その人の信仰の度合いにも関係すると思いますよ。
下世話な話ですが、テレビでビートたけしが、売れない芸人には共通点があり、楽屋でいつも会社や他の芸人の批判をしているといっていました。
これはすべてに当てはまることで、成功者は批判などしない。そんなことをしていたり、考えたりしている暇がないからです。
私は教会員としてすべきことは、周りの困っている人を助けることだと思います。よけいなことを考えたりしているより、困っている人をどう助けること考えるべきだと感じます。もちろんこれは自分に当てはめて考えることだ思っています。これも誰かに当てはめてみても仕方がないことですから。
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愛がなければ、無に等しい。 (オムナイ)
2012-01-13 12:43:06
批判の動機が本当に愛であれば少なくとも神様は受け入れて下さるでしょう

多くの場合周囲にも。
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批判ではなく哀しみで有るのは? ()
2012-01-13 10:25:40
批判は怒りに変わり、哀しみは希望の変わる。

しかし、この二つは、共に愛より生まれる。

愛の無いところに批判は無く、ただ、同調と空しさが有るのみ。

愛の無いところに哀しみも有りはしない、ただ、無意味な微笑と絶望が残るだけ。

「何事も自分次第」と言うのは、空腹の時に食べるものも無く、ただ自分の腹をなでさすって自分自身の境遇を慰める言葉。

「唯一真の教会」に期待しなくて何に希望を抱くのだろうか?

「別のところに行け、真理はここには無い、ここは唯一真の教会では無いから・・・」と言いたいのだろうか?
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The Blue Bird. (オムナイ)
2012-01-13 05:51:18
他宗の芝生は青く見えるのかも(^^?

プロテスタントの教会に傾倒してるお友達がいますが。。
日曜学校を含め聖典研究の環境はモルモンの方が充実しているように感じます。

「牧師先生はこう言っていた」と会話の中で良く出てくのが気になり、モルモンにある問題は他のキリスト教にも宗教にある問題かなと思います。

色々求道してもモルモン以上に良い宗教は見いだせないかもです

結局は自分自身の取り組み次第ですね。
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師と仰ぐほどの人は・・ (NJ)
2012-01-12 08:06:05
他所へ行っても師としたい程の人物、信条の人はなかなか見つからないものです。それだけ人は皆成長成熟し、目が肥えているからです。尊敬できる立派な人はすぐ見つかりますが。
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Unknown (エフライム)
2012-01-12 00:03:34
そこに来て無為に時間を過ごし、帰って自分ひとりで学ばなければいけないような場所を「教会」って呼ぶのだろうか?


無為に過ごすかどうかは自分次第、批判して自身は何も変わらないのも、何ごとからも成長の糧にするのも自分次第。
批判からは何も生まれない。モルモンに師がいないなら、別のを探すのみ。
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気を取り直して (NJ)
2012-01-11 23:35:58
哀しいとばかり言っていても、芸がないので、

 汝ら相集まる時は、・・互いに教え導くべし
              (教義と聖約 43:8)

と言われていることを思い出して努めたいと思います。留まっている人たちは皆自信にあふれた様子なのでできているのと違いますか?
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教会とは・・ (NJ)
2012-01-11 21:55:58
噫(あな)哀し哉。
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師が居ない ()
2012-01-11 13:21:45
イエスには12人の弟子が居た・・・
否、もっと多くの人々が、イエスから教えを請おうとしてイエスについて回った。

イエスがこの世を去って、ペテロが教え、パウロが教えた・・・。

情報があふれるほどの現代でも、書物やデジタルの情報からは得られないものが有ると思う。
それは、自分が師と思う人から受ける無形の情報である。

その言葉や行い、生き方から得られる情報は、師から弟子へと受け継がれる。それこそが、宗教の真髄ではないだろうか?

モルモンには、師が居ない、教導者が居ない・・・

白鳥は哀しからずや 海の青 空の青にも染まず漂う

自分を染めてくれる師が居ないと言うのは、実に哀しい。
口角泡を飛ばし、自分の生き方さえも変えよと言う勢いで迫ってくる友が居ないのは実に哀しい。

「人がどうかではなく、自分がどうかを問うべきだと思います。」
としか言えない宗教は本当に哀しい・・・。

教会とは、教える会ではないのか?
そこに来て無為に時間を過ごし、帰って自分ひとりで学ばなければいけないような場所を「教会」って呼ぶのだろうか?
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忍耐と希望と (NJ)
2012-01-11 11:31:52
その通りですね。もともと自分が(個人が)どのように読むべきかについて考察した記事でした。

ただ、それぞれが環境を構成し、参加者は環境に影響されますから、そこに貢献し向上を望むのも自然であると思います。そこに毎週一時間前後過ごすわけですから、有意義であってほしいと望みます。
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日曜学校について (エフライム)
2012-01-11 00:50:10
日曜学校に限らないですが、そこで学ぶことは、自分がどう変わるかであり、他人や、クラス自体がどうあるかといったことは、主眼ではないと思います。
プロがやっているわけではないので、教師の方や、クラス自体に不備はあるでしょうが、問題はそれではなく、自分がそこで何を学ぶか、何を変えることが出来るか、どう成長するかが主眼であると思います。
人がどうかではなく、自分がどうかを問うべきだと思います。他人のあらを探していたらきりがないし、自分に何の成長ももたらさないと思います。
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現状はそうであっても / 諦めたくない高齢者 (NJ)
2012-01-07 00:11:40
豚さんへ 「能動的に」と書いたのはそれぞれ個人が家で読むときの心構えとして記した積りでした。「リベラルな読者の読み方」は特に個人が取り組む時の考え方として参考になると思っています。

日曜学校のクラスは礼拝に続く教会の中の学びの場ですから、おのずから記事の4の人々には節度が求められ、物足りなく感じられることが多くなります。それでも意義あるディスカッションは可能だと思います。生徒用手引きは(教師用手引きも)最小公倍数のようなもの、あるいは参考資料であっていくらでも応用が利き変化に富ませることができるからです。そうしてこそ日本の教会の自立が達成できると期待します。

地方の教会員さんへ 苦労されているようですね。私もクラスに刺激を与えようと、また建て前だけに終わっては残念と折を見て発言するよう努力しています。しかし、自分が浮き上がって皆から受け入れられないようになってはいけないので注意が必要だと自戒しています。

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豚さんの言われるとおりです (地方の教会員)
2012-01-06 23:12:28
モルモンの日曜学校は、会員にモルモンの教義を再確認させ、その教義を受け入れさせる事が主な目的です。

だから、聖典を深く学ぶことは、不可能です。

このままでは、教会員は、たてまえの教義を理解するだけの似非クリスチャンになってしまいます。

私のワードでは、私の意見が発言されなかったように扱われることがよくあります。私もわざとですが、教師の誘導型質問にはまらないような答えをいって、教室の中の考えの多様性を維持できるように務めています。

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モルモン日曜学校の目的 ()
2012-01-06 12:43:04
>ともすると既に読んだことがあるため受身的になる傾向があるので、能動的に読むための考え方を掲げてみた。


NJさんは、モルモンの日曜学校の目的を全く理解していないようですね。

モルモンの日曜学校は、聖典や教義について勉強したり研究したりする場では有りません。

モルモンの日曜学校の役割は、会員にモルモンの教義を再確認させ、その教義を受け入れさせる事が主な目的です。

その事は、日曜学校の教師用テキストを読めばすぐに分かります。

4っつの聖典について学んでいる様に見えますが、実は、一定のモルモンの教義を、何度も繰り返して確認しているだけです。
その為に、4年前にやったことと全く同じ事を繰り返すわけです。

そして、教師は勉強や研究ではなく、すでに決まっている教義を会員に受け入れさせるようにレッスンを進めます。

教師用テキストに書いてある生徒への質問も、ほとんどが「誘導型」です。つまり、一定の結論へ誘導する為の質問です。

例えば
「聖書以外にモルモン書と言う正確な書物を与えられているのは、あなたにとってどのような祝福が有りますか?」

この例文では「モルモン書が正確な書物で有る」と言う事についての疑問を持つ事を認めて居ませんね。

モルモンの日曜学校で、能動的になろうとすれば、教師や他の会員から煙たがられるだけです。
さもなくば、同席の、モルモニズム研究者から、「その様な質問はこの場ではしない方が良いです!」ってたしなめられるのが落ちです。


モルモンの日曜学校で得られる知恵と言えば・・
「長いものには巻かれろ」、「郷に入っては郷に従え」・・・ですね。
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許されるはず (NJ)
2012-01-05 08:08:23
コメントありがとうございました。なるほど教会には皆でじっくり学んでいくという場面がないですね。個人の領域に任されているのでしょうか。

いつの日か、と言わないで日曜学校の課外活動かファイヤサイドの形でそのうち実現できるといいですね。(初め単発的か数度の試みでも。)

おしえていただいたら、参加しに参ります。

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教会員にとって本当に大切な書なら (地方の教会員)
2012-01-04 23:53:46
モルモン書を1年かけて読むのではなく、3年以上かけて、学習してもよいのではないかと思う。

橋本武という教師は、中勘助の「銀の匙」を3年かけて国語の授業で教えました。その教え子の中から日本を代表するリーダーが多く出ています。国語の授業は、週に1回ではなく、3回以上あります。



橋本先生は、遅々としてページが進まないことに苛立った生徒にこのように言いました。

「すぐ役立つことはすぐに役立たなくなります。そういうことを私は教えようとは思っていません。なんでもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。私の授業では君たちがそのヒントを見つけてくれればいい・・・。だからこのプリントには正解を書いてほしいとは思っていないんです。自分がその時、本当に思ったことや言葉を残していけばいい。そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。そのことはいつかわかりますから。」


毎日、モルモン書を読んで研究し教会員生活をしている教会員ばかりではありません。モルモン書に書かれている日本語が理解できていない教会員もたくさんいらっしゃいます。



許されるなら

私は、いつの日か、教会の教師用標準テキストに沿わない、遅々として前に進まないレッスンをする教師になりたい と思っています。
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