【緑の使徒の心がまえ】
「緑の使徒」とは、自らの意志により聖母の付託に応えて
緑のスカプラリオの配布を実行される方をそう呼びます。
以下は、わたしの「緑の使徒」としてのつたない体験記でありますが、
これから、あらたに、ご本人みずからも、緑のスカプラリオを配布して
「緑の使徒」として活動してみたいと思った方に、すこしでも
お役にたてることがあればとおもい、ペンをとりました。
ほんとうに、少しでも、お役にたてれば幸いです。
①緑の使徒が、この方に緑のスカプラリオを贈ろう!
と決めるまでの道のりはかなり入りくんでいて、しかもとてもデリケート
のように思います。相手側から、メールやツイートなどで直接問い合わせて、
ご希望を伝えてくださるときは、問題ないのですが、この機会は今までの経験から
数パーセント以下程度だと思います。
いままで24,000人の方が緑のスカプラリオのブログを訪問してくださいましたが、
(2023/01/21現在)そこから、直接、送付依頼をされる方は非常に少ないのです。
しかしながらマスメディアのような宣伝方法はけっしてとらず、たとえ歩みは、
はるかにのろくとも、一人一人の状況にあわせて、おはなしをさせていただいて、
贈ることに納得していただくことが大切です。決まるまで何度も会話の
やりとりをして、資料なども示しやっとおおくりできることもしばしばあります。
マリア様は、押しつけをお嫌いになります。それなりの理解をされた方のもとに
訪れたいのではと思います。たしかに、なかには、回心をうながす目的で、
マリア様にすべてをお願いしてスカプラリオをおくったこともいくらかは
あったと思います。たとえば、長年つれそった御主人は、信者の奥さんの
信仰を少し馬鹿にしていたらしく、奥さんがどれだけ、いっしょに教会に
行ってみませんかと勧めても、まさに岩のように梃子でも動かない日々が
つづきました。そこで私のところに、奥さんから自分と「夫」の分も合わせて
緑のスカプラリオを送ってほしいとの連絡がありました。
そして、しばらくの月日がたってから、なんと、その奥さんから
「夫が教会にいっしょに行くと言いだしたんです!」と驚きの報告がはいりました。
奥さんがしたことは、「これをお守りのように身に付けて、毎日、気分が
のらなくても、この短い祈りを唱えてみてください。」と御主人に言っただけ
だったそうです。
聖書にも信仰が、山を動かすとありますが、古来より、また私たちの経験により、
人の心を動かすことは山を動かすことより難しいともいわれます。
その奥様にとって、そのような「回心」が、この見かけはいかにも小さく薄い有様の
スカプラリオによって生じたとしか思えないのです。マリア様の無尽蔵のお恵みが、
御主人にそそぎこまれたに違いありません。そのうえ、このような話は、
ひとつだけでなく、状況は異なりますが、頑なな心という強固な岩盤を打ち破る
「回心」のお話は、緑の友より、ときおり聞こえてくるのです。
この時以来、私は、心の中で「奇跡の緑のスカプラリオ!」と呼ぶようになりました。
②以上の説明のように、できるだけ丁寧で、
心をこめた、配布方法が必要なのではと思います。お贈りする方はカトリック信者
だけではなく、マリア様を時折、偶像崇拝といわれたりするプロテスタントの方々
(しかし、実際のところ、マリア様を敬愛されているプロテスタントの方々は
想像するよりはるかに多いというのが実感です)や、他宗教
(仏教徒やイスラム教徒の方にもおくったことがあります)の方々にも
おられるのです。緑のスカプラリオの重要な特長はこのへんにあると思います。
他のメダイやスカプラリオにはその修道会の規則や誓願式のような義務が
ありますが、緑のスカプラリオには、毎日、短いお祈りを唱えるだけで、
特別な義務もありません。
ですから、皆マリア様の子どもであるすべての人びとには、この
「緑のスカプラリオ」をつける資格があるのです。つまりマリア様の
御心にかなう、いろいろなやり方を祈りつつ学びつつ、それぞれ、
各種の事情をもつ人びとに合わせて、スカプラリオを
勧めていくことができるということです。
③つぎに、実際上、日々の行動が
どのように行われているかを、わたしの例で恐縮ですが説明させていただきます。
緑のスカプラリオの祈りを心をこめて唱えてから、定期的にタイムラインを中心に
「マリア・パトロール」をおこなっています。マリアパトロールとはマリア様に
関心や敬慕の気持ちをもっておられる方がたの気配を感じ取ることです。
そして、それはとても難しいことですが、とくに過去や今の自分とおなじように、
病気や生活、仕事上の様々な苦しみの海のなかでおぼれかかっているような方々に
心の耳をそばだて共感・共苦することがどうしても必要となります。
(いつもどこからか、「おまえにそのような能力や資格があるのか・・」と
心の声が聞こえてくるときがあります)
この共感・共苦をマリア様はいつも気にしておられ、ときおり、背中を押され、
「さあ行きなさい」と言われるように感じることもしばしばです。
これを、マリア様に「どうでしょう」と聞きながら聖務日課のように自分の生活に
合わせて行なっていきます。そして、つねにマリア様に祈り、どのようにしたら
よいかを委ねます。そして自分の中で熟して来るのを待って行動を決定します。
④次にこれらの問題はむずかしく、デリケートな
問題なので、私見として自分が注意していることを説明してみることにします。
A.霊感商法のように自分たちの利益のために
スカプラリオを利用していると思われるのを避けるため、「無償」であることを
必ず伝えます。
無償であっても疑われたら、はっきりと「宣教活動」であることをやさしく、
ていねいに伝えます。無償活動であることを分かってもらうことは、非常に
大事なことで、この点で疑われたらアウトです。また、わたしの場合、
到着次第すぐ祈れるように、緑のスカプラリオは祝別(祝福)を神父様によって
していただいています(準秘跡の聖品)ので無償であることは当然です。
B.たとえば
政治の世界ではよく右翼とか左翼とかに人を色分けすることがありますね。
それは政治的手段としては必要なのかもしれませんが、宣教はすべての人が
対象なので、思想・信条や、単なる好悪の感情で人を判断するわけにはいきません。
そのため、政治的見解を明確に主張されている方に、スカプラリオの説明を
しているときは、できるだけ、自分個人の政治的意見や感情は抑えて、
相手の立場を優先させ、かつマリア様の目から見たらどうであろうか
(とてもむずかしいのですが)と考え、祈る努力をすることにしています。
ただ、迎合することとは違うので、相手が明らかに誤った考えを言ってくるときは、
やんわりと訂正します。しかし、ほとんどの場合、故意に誤った意見を言って攻撃
してくることはまれなので、あくまでもおだやかな説明に終始します。それでも、
拒否された場合は、しずかに「もし、お気持ちが向かれましたら、いつでも
ご連絡ください」といって、その方から離れます。(マリア様にあずけます)
ところが、一年も経ってから、突然、連絡があり、あちらから送っていただきたい
との依頼を受けたことが実際にありました。
『たえず反対者の数をへらし、友をふやし、
すべての人をキリストの友とするように
つとめること』(聖ドン・ボスコ)
C.相手とのやりとりでの内容は、かならず秘密にします。
これは守秘義務として当然ですがツイッターなどでは、意図しなくても無意識に、
話してしまうおそれがあるので、十分に注意する必要があります。
ただし、スカプラリオの効果を説明する手段として、実例を話すことがありますが、
このときも、一般的な形にして、個人が特定されないようにしなければなりません。
ことは信仰の問題に及びますので、ある時は、ご本人の告解を聴いているのに似た状況に
なるときもあるので守秘義務には、よく注意しなければなりません。
それから、相手が承諾されて、送る段階で、どうしても「住所・氏名」を
聞かなければなりません。ここが意外にネックなのです。なにごともなく、
教えていただけたら問題ないのですが、なかには、初めて知った人間に、
簡単に個人情報を教えるわけにはいかないということで、あきらめざるを
えないことが、時折ありました。それで、「郵便局留め」というやり方で
送ったことがいくつかありました。
つまり最寄の郵便局を教えてもらい、そこ宛に送り「局留め」扱いに
してもらい、10日間以内に、ご本人に取りに来てもらうのです。
この場合、必要なのは本名だけで、個人の住所は聞く必要はありません。
このように、思いがけない困難が待ち受けている場合があります。
D.ツイッターでの「私的な悪口」には注意が必要です。
本人はそう思っていなくても、結果的に、悪口になってしまうことがあるので、
難しいところもあるのですが、少なくとも(あたりまえですが)故意の私的な悪口は
避けなければなりません。そしてここが大事なところですが、「公憤」や「義憤」
などのように、社会的正義実現のための怒り等をおぼえた時などの批判は、
私的悪口ではないので、かまわないと思います。
ただ、行き過ぎて、知らぬ間に「私憤」をはらしていたということになっている
例も、ときおり見かけるので要注意です。しかし、公憤であろうと、私憤で
あろうと、「暴言」を吐いたらおしまいです。暴言を吐く者から、マリア様の
お守りなど、受け取る人は、だれもいないでしょう。悪口や暴言は、マリア様の
お働きの前に、立ちはだかって邪魔をする行為そのものだからです。しかも、
意外にこの罠に簡単にはまってしまいやすいのが、人間の悲しいところです。
ですから、この誘惑から逃れるには、祈りによるマリア様の助けがどうしても
必要です。
いろいろお話しさせていただきましたが最後に祈りで、閉じたいと思います。
「これから、ご自分でも、緑のスカプラリオを配布されると決意された方々が
「緑の使徒」として
緑のスカプラリオにより聖母が与えられた使命を理解し、自覚して人々の
永遠の生命に与ることを助けるという使命を、たとえ困難にぶつかっても、
聖母のお助けにより、喜びをもって乗り越えることができますように。アーメン。」
🌹🕯✞🕯📿
ー以上ー
参考資料
緑のスカプリオを理解するために、ブログをまとめてみました。
お役に立てれば幸いです。
「緑のスカプラリオとは何でしょう?」
➡https://blog.goo.ne.jp/nyaako28/e/a002edbd1cff99d65d9b018d0c78cf1d
「緑の使徒」とは、自らの意志により聖母の付託に応えて
緑のスカプラリオの配布を実行される方をそう呼びます。
以下は、わたしの「緑の使徒」としてのつたない体験記でありますが、
これから、あらたに、ご本人みずからも、緑のスカプラリオを配布して
「緑の使徒」として活動してみたいと思った方に、すこしでも
お役にたてることがあればとおもい、ペンをとりました。
ほんとうに、少しでも、お役にたてれば幸いです。
①緑の使徒が、この方に緑のスカプラリオを贈ろう!
と決めるまでの道のりはかなり入りくんでいて、しかもとてもデリケート
のように思います。相手側から、メールやツイートなどで直接問い合わせて、
ご希望を伝えてくださるときは、問題ないのですが、この機会は今までの経験から
数パーセント以下程度だと思います。
いままで24,000人の方が緑のスカプラリオのブログを訪問してくださいましたが、
(2023/01/21現在)そこから、直接、送付依頼をされる方は非常に少ないのです。
しかしながらマスメディアのような宣伝方法はけっしてとらず、たとえ歩みは、
はるかにのろくとも、一人一人の状況にあわせて、おはなしをさせていただいて、
贈ることに納得していただくことが大切です。決まるまで何度も会話の
やりとりをして、資料なども示しやっとおおくりできることもしばしばあります。
マリア様は、押しつけをお嫌いになります。それなりの理解をされた方のもとに
訪れたいのではと思います。たしかに、なかには、回心をうながす目的で、
マリア様にすべてをお願いしてスカプラリオをおくったこともいくらかは
あったと思います。たとえば、長年つれそった御主人は、信者の奥さんの
信仰を少し馬鹿にしていたらしく、奥さんがどれだけ、いっしょに教会に
行ってみませんかと勧めても、まさに岩のように梃子でも動かない日々が
つづきました。そこで私のところに、奥さんから自分と「夫」の分も合わせて
緑のスカプラリオを送ってほしいとの連絡がありました。
そして、しばらくの月日がたってから、なんと、その奥さんから
「夫が教会にいっしょに行くと言いだしたんです!」と驚きの報告がはいりました。
奥さんがしたことは、「これをお守りのように身に付けて、毎日、気分が
のらなくても、この短い祈りを唱えてみてください。」と御主人に言っただけ
だったそうです。
聖書にも信仰が、山を動かすとありますが、古来より、また私たちの経験により、
人の心を動かすことは山を動かすことより難しいともいわれます。
その奥様にとって、そのような「回心」が、この見かけはいかにも小さく薄い有様の
スカプラリオによって生じたとしか思えないのです。マリア様の無尽蔵のお恵みが、
御主人にそそぎこまれたに違いありません。そのうえ、このような話は、
ひとつだけでなく、状況は異なりますが、頑なな心という強固な岩盤を打ち破る
「回心」のお話は、緑の友より、ときおり聞こえてくるのです。
この時以来、私は、心の中で「奇跡の緑のスカプラリオ!」と呼ぶようになりました。
②以上の説明のように、できるだけ丁寧で、
心をこめた、配布方法が必要なのではと思います。お贈りする方はカトリック信者
だけではなく、マリア様を時折、偶像崇拝といわれたりするプロテスタントの方々
(しかし、実際のところ、マリア様を敬愛されているプロテスタントの方々は
想像するよりはるかに多いというのが実感です)や、他宗教
(仏教徒やイスラム教徒の方にもおくったことがあります)の方々にも
おられるのです。緑のスカプラリオの重要な特長はこのへんにあると思います。
他のメダイやスカプラリオにはその修道会の規則や誓願式のような義務が
ありますが、緑のスカプラリオには、毎日、短いお祈りを唱えるだけで、
特別な義務もありません。
ですから、皆マリア様の子どもであるすべての人びとには、この
「緑のスカプラリオ」をつける資格があるのです。つまりマリア様の
御心にかなう、いろいろなやり方を祈りつつ学びつつ、それぞれ、
各種の事情をもつ人びとに合わせて、スカプラリオを
勧めていくことができるということです。
③つぎに、実際上、日々の行動が
どのように行われているかを、わたしの例で恐縮ですが説明させていただきます。
緑のスカプラリオの祈りを心をこめて唱えてから、定期的にタイムラインを中心に
「マリア・パトロール」をおこなっています。マリアパトロールとはマリア様に
関心や敬慕の気持ちをもっておられる方がたの気配を感じ取ることです。
そして、それはとても難しいことですが、とくに過去や今の自分とおなじように、
病気や生活、仕事上の様々な苦しみの海のなかでおぼれかかっているような方々に
心の耳をそばだて共感・共苦することがどうしても必要となります。
(いつもどこからか、「おまえにそのような能力や資格があるのか・・」と
心の声が聞こえてくるときがあります)
この共感・共苦をマリア様はいつも気にしておられ、ときおり、背中を押され、
「さあ行きなさい」と言われるように感じることもしばしばです。
これを、マリア様に「どうでしょう」と聞きながら聖務日課のように自分の生活に
合わせて行なっていきます。そして、つねにマリア様に祈り、どのようにしたら
よいかを委ねます。そして自分の中で熟して来るのを待って行動を決定します。
④次にこれらの問題はむずかしく、デリケートな
問題なので、私見として自分が注意していることを説明してみることにします。
A.霊感商法のように自分たちの利益のために
スカプラリオを利用していると思われるのを避けるため、「無償」であることを
必ず伝えます。
無償であっても疑われたら、はっきりと「宣教活動」であることをやさしく、
ていねいに伝えます。無償活動であることを分かってもらうことは、非常に
大事なことで、この点で疑われたらアウトです。また、わたしの場合、
到着次第すぐ祈れるように、緑のスカプラリオは祝別(祝福)を神父様によって
していただいています(準秘跡の聖品)ので無償であることは当然です。
B.たとえば
政治の世界ではよく右翼とか左翼とかに人を色分けすることがありますね。
それは政治的手段としては必要なのかもしれませんが、宣教はすべての人が
対象なので、思想・信条や、単なる好悪の感情で人を判断するわけにはいきません。
そのため、政治的見解を明確に主張されている方に、スカプラリオの説明を
しているときは、できるだけ、自分個人の政治的意見や感情は抑えて、
相手の立場を優先させ、かつマリア様の目から見たらどうであろうか
(とてもむずかしいのですが)と考え、祈る努力をすることにしています。
ただ、迎合することとは違うので、相手が明らかに誤った考えを言ってくるときは、
やんわりと訂正します。しかし、ほとんどの場合、故意に誤った意見を言って攻撃
してくることはまれなので、あくまでもおだやかな説明に終始します。それでも、
拒否された場合は、しずかに「もし、お気持ちが向かれましたら、いつでも
ご連絡ください」といって、その方から離れます。(マリア様にあずけます)
ところが、一年も経ってから、突然、連絡があり、あちらから送っていただきたい
との依頼を受けたことが実際にありました。
『たえず反対者の数をへらし、友をふやし、
すべての人をキリストの友とするように
つとめること』(聖ドン・ボスコ)
C.相手とのやりとりでの内容は、かならず秘密にします。
これは守秘義務として当然ですがツイッターなどでは、意図しなくても無意識に、
話してしまうおそれがあるので、十分に注意する必要があります。
ただし、スカプラリオの効果を説明する手段として、実例を話すことがありますが、
このときも、一般的な形にして、個人が特定されないようにしなければなりません。
ことは信仰の問題に及びますので、ある時は、ご本人の告解を聴いているのに似た状況に
なるときもあるので守秘義務には、よく注意しなければなりません。
それから、相手が承諾されて、送る段階で、どうしても「住所・氏名」を
聞かなければなりません。ここが意外にネックなのです。なにごともなく、
教えていただけたら問題ないのですが、なかには、初めて知った人間に、
簡単に個人情報を教えるわけにはいかないということで、あきらめざるを
えないことが、時折ありました。それで、「郵便局留め」というやり方で
送ったことがいくつかありました。
つまり最寄の郵便局を教えてもらい、そこ宛に送り「局留め」扱いに
してもらい、10日間以内に、ご本人に取りに来てもらうのです。
この場合、必要なのは本名だけで、個人の住所は聞く必要はありません。
このように、思いがけない困難が待ち受けている場合があります。
D.ツイッターでの「私的な悪口」には注意が必要です。
本人はそう思っていなくても、結果的に、悪口になってしまうことがあるので、
難しいところもあるのですが、少なくとも(あたりまえですが)故意の私的な悪口は
避けなければなりません。そしてここが大事なところですが、「公憤」や「義憤」
などのように、社会的正義実現のための怒り等をおぼえた時などの批判は、
私的悪口ではないので、かまわないと思います。
ただ、行き過ぎて、知らぬ間に「私憤」をはらしていたということになっている
例も、ときおり見かけるので要注意です。しかし、公憤であろうと、私憤で
あろうと、「暴言」を吐いたらおしまいです。暴言を吐く者から、マリア様の
お守りなど、受け取る人は、だれもいないでしょう。悪口や暴言は、マリア様の
お働きの前に、立ちはだかって邪魔をする行為そのものだからです。しかも、
意外にこの罠に簡単にはまってしまいやすいのが、人間の悲しいところです。
ですから、この誘惑から逃れるには、祈りによるマリア様の助けがどうしても
必要です。
いろいろお話しさせていただきましたが最後に祈りで、閉じたいと思います。
「これから、ご自分でも、緑のスカプラリオを配布されると決意された方々が
「緑の使徒」として
緑のスカプラリオにより聖母が与えられた使命を理解し、自覚して人々の
永遠の生命に与ることを助けるという使命を、たとえ困難にぶつかっても、
聖母のお助けにより、喜びをもって乗り越えることができますように。アーメン。」
🌹🕯✞🕯📿
ー以上ー
参考資料
緑のスカプリオを理解するために、ブログをまとめてみました。
お役に立てれば幸いです。
「緑のスカプラリオとは何でしょう?」
➡https://blog.goo.ne.jp/nyaako28/e/a002edbd1cff99d65d9b018d0c78cf1d
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