It's a Mistake 繋がりで、哲学。
この戦争、何がなんだか受けとめきれない気もして来たよ。哲学に立ち返りたい気持ちになってきました。
・意見がないなら対話しちゃいけない、なんてない。(2022.2.10)
・永井玲衣さんと考える、哲学対話が叶える学びの未来。(2021.2.9)
・Men At Work - Who Can It Be Now? (Video Version)。
・Men At Work - Overkill (Video Version)。
・Men At Work - Dr. Heckyll & Mr. Jive (Video)。
・Men At Work - It's a Mistake (Video)。
・The Police - Message In A Bottle。
・The Police - Don't Stand So Close To Me。
・The Police - Wrapped Around Your Finger。
・THE POLICE Wrapped Around Your Finger。
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○永井玲衣さんと考える、哲学対話が叶える学びの未来(2021.2.9)
>哲学対話とは、「なんで?」と問い、対話することで、主体性を回復する営みである。
哲学とは、
>本来は「なんで?」と問うて考える、シンプルな営みです。
>大学のエリートがやることだとか、難しい専門用語ばかりを使って煙に巻くとか、そういうことではないのです。
>それをみんなで集まって一緒に考え、対話を通して「哲学する」ことが、哲学対話です。そこにいわゆる「正解」はないので、偉い先生も子どもたちも、誰もが対等に対話ができる探求の場です。
>現代人は“問う力”が弱まっていると感じます。私も含めて、問うことが苦手な人が多い。日々の生活で何かおかしいと感じても、「まあそういうもんだろう」と問わずにいる場面は、よくあるのではないでしょうか。でも、哲学とは「問うて考えること」なので、まずは立ち止まって考えてみる。なんでこれはこんな形をしているんだろう?なんで私たちは生きているんだろう?なんでこうなったんだろう?という具合です。普段なら、そんなこと考えても意味がないと言われるようなことにも、真面目に向き合ってみる。それによって、その人の主体性が回復されます。
>哲学対話では
>いくつかのルールがあり、私はよく以下の3つを採用しています。
>1つ目は「人の話をよく聞く」。相手が何を言っているのかではなく、何を言おうとしているのかという「前提」を聞き取ることを大切にします。会議のように意見を積み上げて成果を出すというのでなく、むしろその逆向きに、問いについてどんどん掘り下げていく。お互いに「どうしてそう思うのか」を、じっくり聞き合います。その際に相手に積極的に質問することも、「よく聞く」のルールが意味するところです。2つ目は、「偉い人の言葉を使わない」。偉い人がこう言っているから正しい、ではなく、みんなが問いたいことを、みんなの言葉で話します。3つ目は「“人それぞれ”は、なし」。問いに対して、「それは人それぞれじゃん」と言ったらそれで終わり。掘り下げることが目的なので、「人それぞれ」はゴールではなくスタートにしましょうと話します。そしてこれら全ては、場を安全にするために必要な心構えにもなると思っています。
>結果的にありきたりな考えに至ることもあるんです。でもその考えに至るまでの過程で、知っていたはずの道は実は知らない道だったと気づかされ、それを自分で手触りや匂いも確かめながら、再び通い直している。そうすることで、本当の意味で初めて自分のもの、自分の経験になる。その体験こそが、主体性の回復に繋がるものだと思います。
>主体性を実感した瞬間
>普段の自分の役割やキャラクターから切り離して考えてもらえる機会となるように
>ひとりでも哲学に触れることはできますか?
>もちろんできます。哲学対話をする中で、私は感情をすごく重視しています。自分の中にある感情を自覚して、向き合うことも立派な哲学です。
>私はなんでこの不安を抱いているのか、その正体を言語化してみようとか、不安を自分から引き離して目の前に座らせてみようとか、そういうことはひとりだけでもできるんです。とことん自分の感情に向き合ってみる。そうやって自覚できたことが、具体的な行動や認識に繋がっていくこともある。
>よし向き合うぞとわざわざ時間を作らなくても、散歩中や、電車に揺られながらでも、自分の感情を掘り下げる機会を持つことはできるかもしれません。
>その中で活動を続けられていた方々には、心から敬意を表します。専門的な哲学者からは子どもに哲学が理解できるわけないとか、ちゃんと哲学の知識を学んでないとダメだとか言われていましたが、最近はようやく浸透してきたのかな、と感じています。
おお。(゜-゜)
○意見がないなら対話しちゃいけない、なんてない(2022.2.10)
>「論破」……議論して他者の説を破ることを指す。2015年には、毎年恒例のユーキャン新語・流行語大賞の候補として「はい、論破!」の語が入っていたし、ここ数年のSNS上でも、互いを論破しようとするようなやりとりをよく見かける。論破は、他者を言い負かすことが目的であるため、基本的には相手の意見を否定する姿勢をとる。
>こんなブームの一方で、密かに、しかし急速に日本で広がり始めているのが「哲学対話」という取り組みだ。答えも正解もない哲学的問いをテーマに、複数人で話し合う。最後に何かまとめがあるわけでもない。スピード勝負で短絡的な答えが拡散されたり、明確な主張が求められがちな現代において、この取り組みは改めて対話の重要性を提示してくれる。
>今でも対話は、基本的には不快な経験だと思っています。他者は思わぬことを言ってくるし、それを怖がっていたのですが、それに加えて自分自身が分からなくなることも怖い。
>しかし、それでも哲学対話をしようとするのにはどんな思いがあるのだろうか。
>私が哲学対話を体験して大きく感じたのは、他者によって自分の言葉が引き寄せられるっていう感覚だったんです。
>他者からの問いに応答するという、受動的な経験を経て初めて自分が形作られていく感覚があるんです。
>論破をしたくなる時って、そんなふうに他者から問われたり触れられたりするのが怖い時だと思うんです。だから相手を『モノ』化して、意見をぶつけてしまう。他者によって変容していく自分のことも同時に怖がっていると思います。そんな時私は、『対話はつらい、だから、話そう』と言いたくなるのかもしれません。
>対話するためにはまずその場を『大丈夫』な場所にすることが重要です。『大丈夫』な場所というのは、何を言っても傷つかないというわけではなく、もし傷ついたとしても立ち直れたり、誰かに頼れると思えるような場所です。
>もともと完全に『大丈夫』な場はほとんどなくて、それは対話に参加する人みんなでつくり上げていくものです。そのために周りを気にする、つまり『ケア』することが必要になってきます。誰か特定の人だけではなくて、その場全体を気にかける。
>「よくきく」「偉い人の言葉を使わない」「“人それぞれ”は無し」の3点
>私はルールというよりは、『みんなで気にしてほしいこと』という言い方をしますが、一番大切なのは『よくきく』ことです。話すのも難しいのですが、聞くこともすごく難しいんです。相手の話をじっと『聴く』ということも大事なのですが、さらに相手が何を言おうとしているのか、どうしてそう思うのかについても『訊く』。『偉い人の言葉を使わない』のは、例えば古代の哲学者・アリストテレスの言葉などではなく自分の言葉で考えましょうということです。そして、『人それぞれは無し』は、例えば自由とは何かについて考える時『人それぞれでしょ』と言ったら対話が終わってしまいますよね。人それぞれなのはゴールではなくてスタートです。
ふむ。(゜-゜)
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(2022.3.13追記)
※もしかしてもしかしたらですけど、中高年男性のたとえば私は、上記の内容に共感し感銘を受けたのだけど、その様を見て、かわいい女性に男性の気持ちが傾いたと理解した女性が、もしかしてもしかしたらですけど、どうやら居るようです。
触りたいと思ったら触らせないのは許さない男性、女性のかわいいはすべての根拠になると信じる女性、性別を問わず、性の願望の暴走って、怖いものですね、願望の的になった者にとって。(・・;)
また、"哲学者の言説に共感したという個人の表明" があったら、それを "かわいい女性に年配の男性がなびいた" と把握しないではいられない女性が居ることが、日本のジェンダーイコールの限界ではないか、と感じました。
もしかしたらもしかして、の話です。
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