熊じぃの戯言

感じるままに、どのジャンルの話にも頭を突っ込んで書いています。

2006年Jリーグ優勝!浦和おめでとう!!

2006-12-03 15:04:36 | トリニータ
ついに浦和が優勝した。本当におめでとう。6万5千人の大観衆の前で優勝は本当にうらやましい。

今迄の浦和の歴史を知っていれば、この優勝は本当に価値のある実力・サポートの賜物であろう。年間動員数75万人も動員する強力なサポーターには頭が下がる。本当に日本を代表するチームになったと思う。
我がトリニータもシャムスカの3年契約が決まり、これから飛躍する様に努力していかねばならないが浦和のような良い見本がある。ただ我々にはハンデがある。地方という地域差が大きくのしかかっている。だけど身の程にあった、クラブの経営とサポートの仕方があるはずである。何時の日か浦和と日本一を戦って見たい気がする。そのために努力して行きたい。良い事は吸収していきたい。


以下スポニチの記事を掲載する
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2006/12/03/01.html

浦和初V!サポーターに感謝

 【浦和3―2G大阪】赤い悪魔がついに頂点に立った。浦和は2日、Jリーグ史上最多の6万2241人の観客で埋まった埼玉スタジアムでG大阪と対戦し、FWワシントン(31)の2発などで3―2で勝った。今季の通算勝ち点を72に伸ばし、リーグ戦初制覇。ホーム連続不敗は22試合、観客動員も空前の75万人を突破。かつてのお荷物クラブが、名実ともに日本を代表するビッグクラブとなった。

 誰かれ構わず、そばにいる人間と抱き合った。長いシーズンを締めくくるホイッスルが鳴る。ピッチでスタンドで赤と赤が重なった。主将の山田がシルバーに輝くJリーグ杯を天に突き上げた。「04年のステージ優勝の時とは重みが違う」。短い言葉に万感の思いがこもる。ゴール裏からは「We are Reds!」の大合唱。99年、J2降格の時にできたおなじみのコールは12回も繰り返された。

 G大阪の前半21分の先制ゴールは、序章にすぎなかった。ブッフバルト監督は「1発殴られて目が覚めた」と言う。赤い悪魔の逆襲が始まる。前半27分にポンテが右サイドを独走し同点弾。44分には鈴木からポンテ、ワシントンとつなぎ勝ち越し弾が決まった。試合後、指揮官は日本語で叫んだ。「浦和レッズは1番で~す。サポーターの皆さんありがとうございました」。

 どん底を知る男のこん身のパスが優勝をたぐり寄せた。鈴木が入団したのはJ2時代の00年。「自分の力で強くしたかった」。だが待っていたのは挫折。翌年春の練習中だった。持ち味の激しいプレーで味方選手にケガを負わせ、当時のチッタ監督によって練習場から追放された。ただ一生懸命プレーしただけなのに――。それが低迷期の浦和だった。

 今年の浦和は鈴木の望んだ「闘うオーラ」に満ちていた。10月、指揮官に不満を漏らした主力がベンチを外されたG大阪の話を聞いて、闘莉王は笑った。「そんなんじゃ、ウチは誰も試合に出られなくなるよ。外国人の方が優等生なんだから」。試合中は元ブラジル代表のワシントンも関係なかった。怒鳴り合い、つかみ合い寸前になったことも数知れない。

 日本代表が7人、元代表が6人。だが、圧倒的な個性を摘むのではなく、融合したのが浦和だった。ブッフバルト監督は「試合に出ない選手の力こそが浦和の真実」と胸を張る。レッドダイヤモンドのごとく、結束は石よりも固かった。

 真のビッグクラブの誕生だ。ホームでは連続22戦不敗。スタジアムを埋め尽くしたのはリーグ戦最多の6万2241人。その時、藤口社長は94年の最終戦を思い出していた。富山で開催された横浜M戦に3―6と惨敗し、2年連続最下位が決定。泣き崩れるファンに囲まれた。「強くなりたい気持ちでサポーターに負けた」。世界一のサポーターに負けないクラブをつくろうと決めた。その信念は今も変わらない。

 06年12月2日。選手もスタッフもサポーターも誰もが真っ赤な幸せにひたった。アジア・チャンピオンズ・リーグに参戦する来季からはステージを世界へ移す。世界一のサポーターと、もっともっと大きな幸せをつかみとるために。
[ 2006年12月03日付 紙面記事 ]

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