熊じぃの戯言

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一夜明けて、2大新聞から長文の記事【U-23】

2012-03-15 15:40:20 | 五輪
U-23のロンドンオリンピック出場決定に関して、このチームを作ってきた関塚監督のご苦労に対して、敬意を表すると共に最終目標であるメダル獲得を目指して、これからの日々の努力を期待しエールを送りたい。


奇しくも2大新聞から長文の記事がアップされているので、全文紹介しておきます。



---/  ニッカンスポーツ記事


日本五輪!「家族の力」でつかんだ/U23



ロンドン五輪出場を決め、関塚監督(手前右)に水をかけ喜びを分かち合う日本イレブン <ロンドン五輪アジア最終予選:日本2-0バーレーン>◇C組◇14日◇国立>

 関塚ジャパン、ロンドン五輪だ! U-23(23歳以下)日本代表がU-23バーレーン代表を下し、アジア最終予選C組首位を確定。関塚隆監督(51)が谷間の世代と言われた雑草軍団を率い、5大会連続9度目の五輪出場を決めた。後半10分にMF扇原貴宏(20)が先制点を決め、同14分にはMF清武弘嗣(22)が2点目を奪い、試合を決めた。本大会の組み合わせ抽選会は4月24日にロンドンで行われ、男子1次リーグは7月26日に開幕する。

 谷間の世代と言われた関塚ジャパンが悲願の五輪出場をつかんだ。試合終了のホイッスルが吹かれると、関塚監督は選手全員1人1人とハイタッチをかわし、喜びを分かち合った。スタンドのサポーターにあいさつした直後、全員から水をかけられると、うれしそうな笑顔で額の水をぬぐった。最後までファミリーの結束は変わらなかった。

 関塚監督 一体感があった。2シーズンにまたがって戦う予選は難しかったが、目標に対して純粋に競争してよくやってくれた。きょうは達成感に浸りたい思いでいっぱいです。

 前半は引き気味に守るバーレーン相手に好機をつくることができなかったが、後半10分にMF扇原が先制点を奪い、流れをつかんだ。そして同14分にMF清武が試合を決める2点目。五輪出場にわずかな望みを持っていたバーレーンの息の根を止めた。

 チームが発足した10年のアジア大会は、各クラブで出場機会が得られないサブメンバーで臨んだ。関塚監督も日本協会関係者に「このメンバーじゃちょっと…」とぼやいたほどだった。 五輪アジア予選が始まると、Jリーグ出場組もチームに加わり選手層も厚くなった。その一方で、海外に移籍する選手が現れたことで、思うようにベストメンバーが組めなくなった。五輪世代の海外移籍を想定していなかった関塚監督も「僕自身がどうにかできるものではない」と、頭を抱えた時期もあった。2月にはシリアに敗れ、一時はC組2位に転落し、ピンチに陥った。そんな紆余(うよ)曲折があり、メンバーが変わる中でも最後までスタイルを変えることなく、つなぐサッカーを貫き通した。

 08年にはU-19アジア選手権準々決勝で韓国に0-3で敗れ、8大会ぶりにU-20W杯出場を逃し、世代的には世界の舞台で戦えなかった。5年越しの思いをぶつけた最終予選。それだけに、韓国戦での悔しさを知るFW永井は「ワールドユースで負けて悔しい思いをしていたので、ちょっとホッとした」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。雑草軍団が、最後に聖地・国立で自力で五輪切符をつかみ取った。

 チームの結束力でつかんだ五輪切符だ。初招集の選手がいると、ムードメーカーであるDF比嘉とFW永井が積極的に声を掛け、チームにとけ込ませた。また関塚監督の発案で、毎回誕生日を迎えたり、結婚、子供が生まれた選手をスタッフ含め全員で祝うなど、チームの雰囲気作りを大切にしてきた。選手の悩みも聞いた。GK権田は「ここまで誰かがいなくて困ったことはない」と、チームの一体感に胸を張った。1つ1つの積み重ねが実を結んで勝ち取った五輪出場だった。【福岡吉央】

 [2012年3月15日9時9分 紙面から]



---//   報知新聞記事


関塚チルドレン団結!規律と和を重んじまとめ上げた…アジア最終予選



五輪出場を決め、スタンドに手を振る関塚監督

 ◆ロンドン五輪アジア最終予選最終戦 日本2─0バーレーン(14日・国立競技場) 関塚隆監督(51)の熱意が若きイレブンに五輪切符をもたらした。10年10月の代表立ち上げから時に厳しく、時に愛情を込めて選手を指導。バーレーン戦では先発したMF扇原貴宏(20)=C大阪=が後半10分に先制ゴールを決めるなど、采配もさえ渡った。

 声がかすれていた。五輪切符を手に入れた直後。お立ち台に上がった関塚監督は「きょう、ロンドンへの切符をつかみ取ることができました。世界で、オリンピックで、しっかり戦ってきます」。アジアの激戦を終え、万感迫る指揮官ののどはかれていた。すると選手が殺到し、大量の水を振りかける。教え子たちの手によって3度、宙を舞った。

 声がかすれていた。五輪切符を手に入れた直後。マイクの前で関塚監督は「きょう、ロンドンへの切符をつかみ取ることができました。世界で、オリンピックで、しっかり戦ってきます」。アジアの激戦を終え、万感迫る指揮官ののどはかれていた。すると選手が殺到し、大量の水を振りかける。教え子たちの手によって3度、指揮官が宙を舞った。

 始まりも水かけだった。チーム発足直後の10年10月26日の合宿の練習後、選手が一斉に関塚監督に水をかけた。50歳の誕生日を祝うセレモニー。「おとなしい選手ばかりだと思っていたけど、これで安心した」。当時はそう苦笑いした指揮官。大学生とJの控え組で構成された“雑草”メンバーは、勢いに乗って同年11月のアジア大会で初優勝した。それから、1年半。一つの区切りとなったこの日「しっかり、関さんに水をかけられてよかった」。DF鈴木は懐かしそうに振り返った。

 11月の2連戦はA代表に清武、原口ら主力が流れ、海外組は何度もクラブからの拒否に遭った。けが人も続出。結局、2次予選、最終予選の計8試合はすべて違うフォーメーションだった。この日は1トップのFW大迫が出場停止。大津を1トップに置く布陣を敷いた。前日練習で10分間試しただけだった。時間をへるごとにチームは機能し、後半は圧倒的なパフォーマンス。「積み重ねてきたものが出せた」。アクシデント慣れした指揮官の面目躍如だった。

 昨年3月、ウズベキスタン遠征で選手交代の際に宇佐美が不満をあらわにすると、メンバーからはずした。8月の札幌合宿では「交代の際にペットボトルを蹴った選手がいた。そういう選手はこのチームにはいらない」。厳しい態度を示した。9月にMF山村が左足を疲労骨折。協会の保険適用が微妙となると「それならオレが払う」と直談判。適用を認めさせた。規律と優しさを併せ持つ指揮官のもと、選手はいばらの道を突き抜けた。

 川崎時代から契約延長では「お日柄」にこだわり、いつも大安の日に契約を結んだ。シリアに敗れて予選突破はずれ込んだが、図ったようにこの日は大安吉日だった。

 ◆20年ぶり情熱の赤 〇…五輪出場を決めた関塚ジャパンが試合後、男女の代表がロンドン限定で着用するアウェー用の赤いユニホームをお披露目した。左胸に「日の丸」がデザインされたユニホームを選手全員で着用し、場内を1周。赤は燃えたぎる情熱と日本人の誇りを表現している。代表の赤ユニホームは88~92年の横山謙三監督時代以来20年ぶりとなる。



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