・突然ですが! 「考える・思考を介する」と言う行為についての考察をしてみたいのですが、
つまり…何をどう考えて…それぞれの言葉や行動・行為・表情などを決めていらっしゃるのか!
結局は、金銭的であり、人間関係的見地から言っての …損か得か…の(吉凶禍福・優勝劣敗・損得勘定)
…どのぐらいの利益・効果が望めるのか or どの程度の損失・被害で抑えられるのかを、考える・思考を介する
「基本・基・基準」とされているのではないでしょうか!
…だとしたら、それを『エゴイズム』と言うかも知れません。
(そうではない、立派な方々も数多くいらっしゃいますが…。)
アナタは、自分(達)の利益・効果、損失・被害の低減・削除を「基本・基・基準」とされているでしょうか?
「だって、それが今の社会のルール(常識とされているモノ)じゃないか!」…と言う声が聞こえてきますね!
でしたらそれは、一般的な言葉で言うと、『エゴイズム(我欲の充足)』 以外の何モノでもありません。
つまり、結局、社会のシステムが、資本主義でも共産主義でも、何ちゃら主義だろうと同じことなのです。
それを取り扱うワタシ達のこころが、価値判断の…基本・基・基準…に、『エゴイズム(競う・比べる・争う)』を
据えている以上は、どんな理想的な主義主張や教義を持ってしても、何ら変わることはあり得ません!
…永久にやった・やられたのスパイラルです。…
国同士の条約や例えばいま騒がれているテロ・ISなども同様だと思います。
理想は解るけど、アノ人がこう言ったとか、こうした、こうされたから…お返し…等と理想を逸脱し始める。
どんな理想的なモノであっても、肝心巻目の不具合はそれを取り扱うワタシ達のこころの中に在ります。
禁断の領域とはされていますが、宗教であっても同様のことと思います。
自分達が、我が宗教こそ、我が宗教の教えでは、…って、自己主張と言う名の…『エゴイズム(競う・比べる・争う)』…ですよね!
たとえ100%それが真実であっても、争う段階になった時点で、それは『真実』ではなく『争点』に変化していることを識ってください。
『エゴイズム』…は、『真実』を『争点』に変えてしまう…のです。
それでもそれを止められないから、
人は人同士で傷付けあう事を選ぶ。
『エゴイズム(競う・比べる・争う)を・少しづつ無くして行きませんか!』…と言う提案?ですが、アナタはどのように考えられますか?!
よく考えてみてください。アナタの大切なモノや人は、またその関係は…お金で買えるのでしょうか!
お金では買えない…カケガエノないモノ…って、その他にも多くさんある…って想いませんか!
「生命のためにならない…無駄なモノ」…を捨てていくと、そのカケガエノないモノにたくさん気付くことができます。
アナタは アナタの価値判断の …基本・基・基準… に、
何を据えられて居られていらっしゃいますか?
その…据えてるモノ…は、
アナタの周囲との不調和や軋轢や支障などが起きる原因…不具合…にはなっていないでしょうか?
ユズレナイ『真実』…は、『争点』へと変化するものです。
ご賢察をお願いします。
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