大橋さん世を去る
大橋さんとの出会いは、2012年「荒馬の旅」代表の田村さんから舞台音楽の依頼を受けた事による。
それまで演出家と呼ばれる正体不明の人種との接点など全く無かった。
その後8年の間に、あと2人の演出家と仕事をする事になったが、幸か不幸か私にとって演出家の基準は大橋さんになったし、全てが予想外、風変わりな経験だった。
台本は無し、タイトルのみ提示され、その意味するところをタイトルを提示した田村さんですら分からない!と言う。想像する演劇とは程遠いし、そもそもどんな曲が求められているかは、無いに等しい。
役者さん達は、それぞれ、そのタイトルから連想する何かを持ち寄り、 メンバーの前で演じる。時に一人で、時に仲間の手を借りて。
30程のエピソードが積み重なると、大橋さんによって掘り下げが求められ、整理され、やがて一つのストーリーが存在するかの様な空間が浮かび始める。
舞台の役者は、闇に揺れる蝋燭の灯りの様なモノだ。
誰かの炎ばかり見つめて真似をしても、炎を作り出している根拠はない。
舞台に見えない部分が炎だったり役者だったりを作り出す。
きっと、それは別名「日常」だ。
舞台や客席に人がいる限り「無」は存在しない。
見透かされる恐怖を忘れたインチキと、分かった顔をする観客。
そんな場所に簡単に共感出来る感動なんかあるはずもない。
結局は、何を持ち帰ったのか? 持ち帰ったものを、どうにかするのは、その個でしかない。
あ大橋さんは稽古期間、何度か1人でスタジオに足を運んでくれた。お互い何のポーズも無く、仕事の話は、日常に拡散する。
子供のような好奇心と自分の場に対する自信。それには好感を持たされてしまった。
演劇、舞台、そんなところに疎い自分が見ていたのは、舞台を作ると言うより、舞台、役者と言うとっかかりを通して自分に向き合う人を作っていたようにも思える。
弔問の際、 娘さんを見て更にそう思えた。
思えば、後に知り合った演出家もまた同様の側面はあった気がする。ガムシャラに自分のトンネルを掘る人と舞台を作る、違うかな、日常を生きる!かも知れない。
ひたすら自分のトンネルを掘り続けると、いつかは広い場所に出る。
ガムシャラにトンネルを掘り続けたら、きっとまた笑顔の大橋さんに会えるんだろうと思う。
もう少し、お互いに嫌な奴でいたかった。それが残念です。