マイバースデーは
彼がいようとも
毎回何事もなく、平たく過ぎてゆきます。
プレゼントはいただいても
ケーキを食べるというお祝いの仕方は
彼からはいつもされたことがありませんでした
(トリせつ家のお祝いの仕方がそうだったので、それが楽しい記憶になっているから、大人になってもソレを欲してしまう癖があるのですみません)
ま、、、
ずっぽり忘れられちゃうよりは
プレゼントをなんとなくでもいただければ
嬉しくないわけではないけれど、、、
でも(余談ですが)
やっつけで買ってくれた物って
なんか分かりませんか(笑?
とりあえずなんかあげなきゃな気持ちだけで
これ買いましたよねって。
なんかそーゆーのありませんか?
やっつけの雰囲気が物に乗ってるというか
だから
そこまでしてわざわざ買わなくて良いんだよ
(コチラもぶっちゃけそれ欲しくないし)
って
職場の人に思ったりします(·д·)w
もはや業務の域に感じる…
今回のヒカルの心もちとしましては
お祝いの品というより
必需品を買ってあげたカテゴリーに
分類されるのだと思いました。
確かにヒカルは
一緒に買い物に行くと
母親から頼まれた買い物ついでに
私にも『コレ、買ってあげるよ』と言って
必需品をその場でサッと買ってくれるのでした
それはそれで悪くないし有難いのですけど
特別感で彼女を喜ばせたい
という気持ちより
必需品で役立ったオレ
という方が
ヒカルの人生においては大切なのかなー…
とも思いました。
誕生日って
なんか特別感ありませんか?
その人が地球に生まれた日。だし。
だから
誕生日の人を祝う気持ちって
人間普通にあると思ってましたが、、、
そもそもヒカルんちには
誕生日を祝う文化が無かった。
でも
彼女が(私が)お財布欲しいなって言ったら
お祝いの品(特別感)として喜ばせたいと思えたら
なる早で買いに行こうって言ってくれると思うのです、『普通』は。
でもヒカルはついでに買いに行く感じをくずさなくて…
って!
やはりなんでも
『普通こうだよね』という思考は
よろしくないですね。
この思考を握りしめていると
普通の当たり前をしてもらえない私って…
(価値低い)
とか思い始めるし
愛情がないんじやないかと疑う気持ちもぐんぐん育っていくしー…
結果
自己価値下げてしまう。
愛情表現って人それぞれなのに、です。
つい自分の『普通』基準で
相手の愛情を測ってしまう。
そして思う。
多数の人がやってることに自分が当てはまらない(出来ていない)と不幸に感じる心理ってなんなん!
平均以下な私。って認識になっていくー
本当によろしくない。
自分で自分を追い詰めちゃって!
誰のせいでもない。
不幸感というのは
私の思考ぐせのせいでしかないのですよ!
だってヒカルかしたら
必需品を買ってあげることが愛情だと考えているかもですしね。
当時の私の勝手な妄想からすると
買ってあげてるオレが好き
なのかなって思いましたけどね。
でもこればかりは
本人にしか分からないことなのです。
(´∀`) ヤレヤレ