新島襄
天保14年1月14日(1843年2月12日)生
明治23年(1890年)1月23日没
1864年、アメリカへ密出国。
理学・神学を学び、洗礼を受ける。
1874年帰国。
キリスト教主義に基づく教育を唱え、1875年に京都に同志社英学校を設立した。
新島襄自伝 手記・紀行文・日記 岩波文庫(同志社/編 岩波書店 2013年)の
年表によれば、
1889(明治22)年12月27日に大磯の百足屋の離れで転地療養
1890(明治23)年1月23日 46歳11ヶ月で死去
亡くなる2日前、1月21日に
妻の八重、愛弟子の徳富蘇峰らを呼び、遺言を伝える。
「遺言(大磯)」p400~403
百足屋の跡地に「新島襄終焉の地碑」があります。
海辺の憩い -湘南別荘物語- 島本千也/著 2000年
「大磯での新島襄」大磯に来てからの日記や、書簡の内容が掲載されている
「新島襄終焉の地」
ふるさと大磯 高橋光/著 郷土史研究会 1983年
愛松園や終焉の地碑について
新島襄と百足屋と愛松園 : 最晩年の新島が大磯で暮らした場所はどこか(大越哲仁/著)
新島研究 第107号(同志社社史資料センター第一部門研究/編 同志社大学同志社社史資料センター 2016年)所収
こちらは、同志社大学学術リポジトリ(https://doshisha.repo.nii.ac.jp/)で公開されています。
大磯での療養から臨終までの状況がわかる資料
新島八重と新島襄 -「幕末のジャンヌ・ダルク」と「平和の使徒」と呼ばれた夫婦-
楠木誠一郎/著 PHPエディターズ・グループ 2012年
「大磯での療養」~
八重と新島襄
保阪正康/著 毎日新聞社 2012年
「八重の腕に抱かれ「もう逝くよ」と」~