今週火曜日・東京FMでコメントしていた
「フクシマの正義”日本の変わらなさ”との闘い」
著者の開沼博氏のことばに反発心ムラムラ・・
開沼「脱原発の声なんて圧倒てきにどうでもいいと」
そして
官邸前のデモへの否定的なことばもあった
福島出身の彼は
東大と福島大を往復しながら
フィールドワークをしているそうだ
原発しかなかった?人々にとって
都市の脱原発の声は
意味がなくかつ無責任だと言う
官邸前に集う人々に
冷水を浴びせるような発言
現地の人々は
3.11後、原発問題を冷静に受け止めている
生活の代替案も示さずに
ただ「反原発」を唱える人々は
相当迷惑がられているそうな↓
開沼「先日は、大飯原発で働いている方から
"長期的に原発はないほうがいいと思う。
しかし、あんな運動をされても何の解決にもならないし、
失業しろと言われているようなものだと
恐怖と反発心を感じる"と、連絡が来ました。
あるいは、
関西で寝たきりの親の介護をしながら
生活をしているという方から
"介護の機器は電気がないと動かなくなる。
自家発電とかバッテリーとかを準備するおカネもない。
どこかにつれていくわけにもいかない。
もし停電になったら、どうしようと
原発を止めよう、無くそうとするのに肯定的な話を
見聞きするたびに本当に不安になった。
でも、そういうことを外で言うわけにもいけなくて
苦しい"という連絡も来ています。
実際のところ、
『再稼動反対』と『無邪気に』叫ぶ者はいるが、
その加害性や、不幸になる人を作ることに
目を向ける者は少ない。
そんなのは瑣末なことだ、
どうにかうまくやればいいだろうと、
切り捨てる人もいるでしょうが、
切り捨てても、彼らの共感は得られません。
善意あるお節介の善意があるが故のやっかいさ。
これは事故前からあった構造ですが......」
そう言うけど・・
”無邪気に叫ぶ”
という人をみたいものだ
人というものは
当事者でなければ
”すべてが他人事”
ある家では
不幸のどん底にあっても
もう一方の家では
幸福の絶頂と言う事もある
それらが可視化された時だけ
ほんの少し同情はする
が瞬く間に消えていく
3.11後にデモ参加する人々は
原発事故が他人事ではなく
まさに自分たちに降りかかってきた人々
福島のような過酷な境遇ではないけれど
関東一円が程度の差はあれ汚染され
(内部)被ばくの不安を抱きながらの
生活を余儀なくされている人々
放射能被害者は
なにも原発立地周辺の人々だけではない
一歩間違えば
関東全域が避難の対象になった・・
それまで漠然としていた
原発の恐ろしさと途方もなさを
それらを繰る人々の無責任さを
嫌というほど見せつけられてきた・・
だから人々は立つ
それぞれの場所に
様々な事情を抱えつつも
出来うる限り参加する
決して暇つぶしや
自己満足ではない!
福島の人々の
理不尽さへの怒りも然ることながら
自分たちの
穏やかな精神てき日常が失われたこと
原発を稼働する限り
再び放射能被害が起り得る恐怖
(未来に渡っての廃棄物処分なども)
様々な自分たちの理不尽さへの抗議
それらに
何も答えようとしないどころか
次々と裏切るような施策をとる政府
暴動が起きたって
不思議がないだろう
国の在り方に対し
静かにアピールしている人々に
ましてや動員ではなく
自主的に集う個々人に
(圧党的に多い年配者に向かって)
冷水を浴びせる20代の開沼氏
彼は現政権をどう思っているのか?
原発のイカガワしさに気がついているのか?
放射線の内部被ばく等々を学習したことがあるのか?
原発関連の人の職不安には
原発でない産業の在り方を
病人を抱えて停電不安をいう人には
電気は足りていること、
原発に頼らずに発電が可能なことを
懇切丁寧に教えるべきだろう
それだけの思考能力を
東大入学者なら持っているだろうから
願わくば
3.11以降の関東人にも
少しは思いを馳せてほしい・・
「フクシマの正義”日本の変わらなさ”との闘い」
著者の開沼博氏のことばに反発心ムラムラ・・
開沼「脱原発の声なんて圧倒てきにどうでもいいと」
そして
官邸前のデモへの否定的なことばもあった
福島出身の彼は
東大と福島大を往復しながら
フィールドワークをしているそうだ
原発しかなかった?人々にとって
都市の脱原発の声は
意味がなくかつ無責任だと言う
官邸前に集う人々に
冷水を浴びせるような発言
現地の人々は
3.11後、原発問題を冷静に受け止めている
生活の代替案も示さずに
ただ「反原発」を唱える人々は
相当迷惑がられているそうな↓
開沼「先日は、大飯原発で働いている方から
"長期的に原発はないほうがいいと思う。
しかし、あんな運動をされても何の解決にもならないし、
失業しろと言われているようなものだと
恐怖と反発心を感じる"と、連絡が来ました。
あるいは、
関西で寝たきりの親の介護をしながら
生活をしているという方から
"介護の機器は電気がないと動かなくなる。
自家発電とかバッテリーとかを準備するおカネもない。
どこかにつれていくわけにもいかない。
もし停電になったら、どうしようと
原発を止めよう、無くそうとするのに肯定的な話を
見聞きするたびに本当に不安になった。
でも、そういうことを外で言うわけにもいけなくて
苦しい"という連絡も来ています。
実際のところ、
『再稼動反対』と『無邪気に』叫ぶ者はいるが、
その加害性や、不幸になる人を作ることに
目を向ける者は少ない。
そんなのは瑣末なことだ、
どうにかうまくやればいいだろうと、
切り捨てる人もいるでしょうが、
切り捨てても、彼らの共感は得られません。
善意あるお節介の善意があるが故のやっかいさ。
これは事故前からあった構造ですが......」
そう言うけど・・
”無邪気に叫ぶ”
という人をみたいものだ
人というものは
当事者でなければ
”すべてが他人事”
ある家では
不幸のどん底にあっても
もう一方の家では
幸福の絶頂と言う事もある
それらが可視化された時だけ
ほんの少し同情はする
が瞬く間に消えていく
3.11後にデモ参加する人々は
原発事故が他人事ではなく
まさに自分たちに降りかかってきた人々
福島のような過酷な境遇ではないけれど
関東一円が程度の差はあれ汚染され
(内部)被ばくの不安を抱きながらの
生活を余儀なくされている人々
放射能被害者は
なにも原発立地周辺の人々だけではない
一歩間違えば
関東全域が避難の対象になった・・
それまで漠然としていた
原発の恐ろしさと途方もなさを
それらを繰る人々の無責任さを
嫌というほど見せつけられてきた・・
だから人々は立つ
それぞれの場所に
様々な事情を抱えつつも
出来うる限り参加する
決して暇つぶしや
自己満足ではない!
福島の人々の
理不尽さへの怒りも然ることながら
自分たちの
穏やかな精神てき日常が失われたこと
原発を稼働する限り
再び放射能被害が起り得る恐怖
(未来に渡っての廃棄物処分なども)
様々な自分たちの理不尽さへの抗議
それらに
何も答えようとしないどころか
次々と裏切るような施策をとる政府
暴動が起きたって
不思議がないだろう
国の在り方に対し
静かにアピールしている人々に
ましてや動員ではなく
自主的に集う個々人に
(圧党的に多い年配者に向かって)
冷水を浴びせる20代の開沼氏
彼は現政権をどう思っているのか?
原発のイカガワしさに気がついているのか?
放射線の内部被ばく等々を学習したことがあるのか?
原発関連の人の職不安には
原発でない産業の在り方を
病人を抱えて停電不安をいう人には
電気は足りていること、
原発に頼らずに発電が可能なことを
懇切丁寧に教えるべきだろう
それだけの思考能力を
東大入学者なら持っているだろうから
願わくば
3.11以降の関東人にも
少しは思いを馳せてほしい・・