今日の晩御飯は何?
その答えが、すき焼きだと知ると、顔がほころんでしまうのは私だけでしょうか?
甘い醤油ダレが浸み込んだアツアツの肉や野菜を、冷たい卵に絡ませて食べる時は、
いつもよりご飯が進みます。
もしかしたら、私にとっては一番好きな鍋料理であり、一番好きな卵の食べ方なのかもしれません。
すき焼きという名称は、農具の鋤を用いて、魚や肉を焼いて食べたことが由来だと言われています。
1803年に出版された「素人庖丁」には、
ハマチを三枚に下ろして切り分け、唐鋤を火にかけて、よく焼けた頃に油で拭いて、
その上で焼くと記されており、この頃にはすき焼きらしき食べ物があったことが想像できます。
もちろん、洗練された料理として料理書に書かれたのがこの頃であって、
実際にはそれよりも以前に食されていたのかもしれません。
他の料理書には、雁や鴨の肉を溜りに漬けておいて、
鋤で焼いて食べていたことが紹介されているようです。
当時は、肉食を忌諱していましたが、
滋養のつく料理として猪や馬などを食べる習慣が行われていたようです。
幕末になり、開港されて欧米人が日本にやって来るようになると、牛肉を食べるようになったと伝えられています。
1871年に出版された仮名垣魯文の「安愚楽鍋」には、
牛鍋を食べないものは開けないやつだという文句が記されているようです。
これは文明開化しない者という意味なのです。
ちなみに、安愚楽鍋には、「ウシナベ」と読みを入れているそうですが、
その後しばらくして「ギュウナベ」と呼ぶようになった模様。
尚、当時は牛肉を薄く切ることができなかったために、塊で切っていたようです。
また、保存設備が十分ではなかったことによる臭みを消すために葱や玉葱を入れて、
味噌仕立てや、醤油に味醂を加えた割り下で煮て食べたりもしていたようです。
一方、関西では、肉を焼いて味を付けて食べた後、残りの脂などで野菜を煮て食べていました。
こちらの調理方法は焼いていたので、当時から「すき焼き」と呼んでいたそうです。
その後、関西のスキヤキと関東のギュウナベが統一されて「すき焼き」と呼ばれるようになりました。
最近の食事は、塩分に気をつけるようになりましたが、
すき焼きを食べるなら濃厚な味わいを楽しみたいのが本音のところ。
また、締めにうどんは代表格かと思いますが、具が混じった残り汁にご飯を入れて食べるのも格別です。