東京都北区の王子神社と王子稲荷神社とは兄弟社で江戸時代までは旧・金輪寺というお寺が別当寺として両社を司っていた。先には北条氏が、後では徳川家康が、江戸の神社のなかでは極めて破格の二百石を付与し保護した。家康、秀忠、家光、家綱、と皆来社し家康死後、王子東照宮(権現)が置かれた。
家康没後に日光社参に向かう殿様行列はこの地を通るには「下に下に」は言わずに通った。理由は、かつて王子神社本殿裏に土手があって上の北北西位置に日光東照宮の家康束帯像の模造が安置の「王子東照宮(ごんげん様)」(戦災焼失)があったからだ。
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三方ヶ原戦で血気にはやり武田軍に敗れ浜松城に逃げ戻った家康は自分への戒めとして自分の苦渋の表情の肖像画を描かせたとされるのが「しかみ像」として徳川博物館に残ります。
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