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「スプリング・フィーバー」「二重生活」のロウ・イエ監督がビー・フェイユによる中国の同名ベストセラーを原作に、マッサージ院で働く視覚障害の若者たちの等身大の愛と欲望を鮮烈に描いた群像ドラマ。キャストにはホアン・シュエン、グオ・シャオドン、チン・ハオといった実力派俳優のほか、実際の視覚障害者も多数出演。
あらすじ:シャーとチャンが共同経営する南京のマッサージ院。そこでは、結婚を夢見て見合いを繰り返す院長のシャーや、幼い頃に事故で視力を失うも“いつか回復する”と言われ続けていた青年シャオマー、周囲の“美人”という評判をひとつも喜べない新人ドゥ・ホンをはじめ、それぞれに事情を抱えた多くの盲人たちが働いていた。そんなある日、シャーの同級生ワンとその恋人コンが駆け落ち同然で転がり込んでくる。するとシャオマーがコンに惚れてしまい、見かねた同僚に風俗店に誘われる。そして風俗嬢のマンと出会い、恋に落ちるシャオマーだったが…。
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<感想>映画は語り掛けてくる。目に見えないものの美しさ、豊かさ、深さを創造してごらんと。画面に目に見えるものを映し出すのは、目には見えないものに気づかせる、あるいは感じさせるためにそうしているようだ。
盲目の表現の仕方に、ピンぼけを使ったり、あえて暗闇が続いたりと、盲人にとっては暗闇は暗闇ではない、それが日常だから。
演出が素晴らしいといったら嘘なるだろう。ただ楽しいだけの話ではないからだ。静寂的な世界観の中に、感情的な激しさや衝撃があるのだから。
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盲人だって恋をする。性欲もある。おそらく本作ほど盲人の性を多用に描いた作品はなかったのではないか。しかし、ここに描かれた若者群像がもたらす感動は、頑張っている障害者的なものと考えてはいけない。そう単純なものではないからだ。
舞台が南京のマッサージ院。幼いころに交通事故で視力を失い、いつかは、回復すると言われ続けた若手のシャオマー。結婚を夢見て見合いを繰り返す院長のシャー、客から「美人すぎる」と評判の新人のドゥ・ホンなど。
ある日の事、マッサージ院にシャーを頼って同級生のワンが恋人のコンと駆け落ちをして転がり込んでくる。
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一種の群像劇なので、単純なストーリーラインのようなものはない。強いて言えば、一番主人公に近い若手のシャオマーが、視覚が戻らないことを悲観して自殺未遂をするシーンが冒頭にもあり、マッサージ院が解散をして自身の治療院を開くところで映画が終わる。
冒頭部分のシャオマーの視野が次第にぼやけていく主観映像が映し出されるも、後天的に視覚を失うことの恐怖と恐ろしさが画面いっぱいに溢れ出して、一気に見えない世界へと引きずり込まれてゆく。
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時代設定が現代とはいえ、障害者への風当たりは辛いものだ。マッサージ院の院長シャーは、見合いの席で相手の親から障害を理由に交際を断られる。彼の同級生ワンが駆け落ちしたのは、恋人コンの親が全盲の相手との結婚を許さなかったからなのだ。
この映画には健常者の社会を意味する「主流社会」なる言葉が繰り返し登場する。盲人にとっての健常者は、神にも等しいのだと、にわかに信じがたいような話だと思う。だから、目が見えないことの不便さ、健常者には計り知れない世界が映し出されるのだ。
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中国の中でも貧富の格差が広がっていて、特に盲目と言う弱者には限られた仕事しかできない。作品の中で、盲目の主人公が風俗店で売春婦と恋に落ちるが、盲目の人ができる人は自分の肉体を使うマッサージ師くらいしか仕事がないのだ。都会でまっとうなマッサージ師になれる方がまだマシな方である。
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とは言え彼らだって決して暗い世界ではない。勤務時間は施療にいそしみ、休憩時間は仲間と談笑しながら、下ネタ混じりのジョークに笑い転げる。そう、彼らもまた「健常者」と同様に、愛に苦しみ恋に悩み、時にはメンツとこだわりもする若者たちなのだ。
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主人公のシャオマーは同僚に誘われて連れて行かれた風俗店の女性、マンに惹かれていく。彼女は本作ではもっとも若い美人だが、シャオマーが惹かれているのは、やはり彼女の匂いなのだ。美の存在は彼らを苦しめる。彼らが見ることのできない美への憧れは、明らかに「主流社会」に由来するもの。
その欲望は、マッサージ院にやってくる客の評判から、彼らがどの女性が一番美人かを理解する。そして、彼らの欲望は、美人をモノにしたいという欲望へと差し向けられていく。
だが、新人ドゥ・ホンにとっては、美は災難でしかない。どれほど賞賛されても彼女自身は自らの美を決して理解できないのだから。
2017年劇場鑑賞作品・・・71
アクション・アドベンチャーランキング
あらすじ:シャーとチャンが共同経営する南京のマッサージ院。そこでは、結婚を夢見て見合いを繰り返す院長のシャーや、幼い頃に事故で視力を失うも“いつか回復する”と言われ続けていた青年シャオマー、周囲の“美人”という評判をひとつも喜べない新人ドゥ・ホンをはじめ、それぞれに事情を抱えた多くの盲人たちが働いていた。そんなある日、シャーの同級生ワンとその恋人コンが駆け落ち同然で転がり込んでくる。するとシャオマーがコンに惚れてしまい、見かねた同僚に風俗店に誘われる。そして風俗嬢のマンと出会い、恋に落ちるシャオマーだったが…。
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<感想>映画は語り掛けてくる。目に見えないものの美しさ、豊かさ、深さを創造してごらんと。画面に目に見えるものを映し出すのは、目には見えないものに気づかせる、あるいは感じさせるためにそうしているようだ。
盲目の表現の仕方に、ピンぼけを使ったり、あえて暗闇が続いたりと、盲人にとっては暗闇は暗闇ではない、それが日常だから。
演出が素晴らしいといったら嘘なるだろう。ただ楽しいだけの話ではないからだ。静寂的な世界観の中に、感情的な激しさや衝撃があるのだから。
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盲人だって恋をする。性欲もある。おそらく本作ほど盲人の性を多用に描いた作品はなかったのではないか。しかし、ここに描かれた若者群像がもたらす感動は、頑張っている障害者的なものと考えてはいけない。そう単純なものではないからだ。
舞台が南京のマッサージ院。幼いころに交通事故で視力を失い、いつかは、回復すると言われ続けた若手のシャオマー。結婚を夢見て見合いを繰り返す院長のシャー、客から「美人すぎる」と評判の新人のドゥ・ホンなど。
ある日の事、マッサージ院にシャーを頼って同級生のワンが恋人のコンと駆け落ちをして転がり込んでくる。
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一種の群像劇なので、単純なストーリーラインのようなものはない。強いて言えば、一番主人公に近い若手のシャオマーが、視覚が戻らないことを悲観して自殺未遂をするシーンが冒頭にもあり、マッサージ院が解散をして自身の治療院を開くところで映画が終わる。
冒頭部分のシャオマーの視野が次第にぼやけていく主観映像が映し出されるも、後天的に視覚を失うことの恐怖と恐ろしさが画面いっぱいに溢れ出して、一気に見えない世界へと引きずり込まれてゆく。
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時代設定が現代とはいえ、障害者への風当たりは辛いものだ。マッサージ院の院長シャーは、見合いの席で相手の親から障害を理由に交際を断られる。彼の同級生ワンが駆け落ちしたのは、恋人コンの親が全盲の相手との結婚を許さなかったからなのだ。
この映画には健常者の社会を意味する「主流社会」なる言葉が繰り返し登場する。盲人にとっての健常者は、神にも等しいのだと、にわかに信じがたいような話だと思う。だから、目が見えないことの不便さ、健常者には計り知れない世界が映し出されるのだ。
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中国の中でも貧富の格差が広がっていて、特に盲目と言う弱者には限られた仕事しかできない。作品の中で、盲目の主人公が風俗店で売春婦と恋に落ちるが、盲目の人ができる人は自分の肉体を使うマッサージ師くらいしか仕事がないのだ。都会でまっとうなマッサージ師になれる方がまだマシな方である。
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とは言え彼らだって決して暗い世界ではない。勤務時間は施療にいそしみ、休憩時間は仲間と談笑しながら、下ネタ混じりのジョークに笑い転げる。そう、彼らもまた「健常者」と同様に、愛に苦しみ恋に悩み、時にはメンツとこだわりもする若者たちなのだ。
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主人公のシャオマーは同僚に誘われて連れて行かれた風俗店の女性、マンに惹かれていく。彼女は本作ではもっとも若い美人だが、シャオマーが惹かれているのは、やはり彼女の匂いなのだ。美の存在は彼らを苦しめる。彼らが見ることのできない美への憧れは、明らかに「主流社会」に由来するもの。
その欲望は、マッサージ院にやってくる客の評判から、彼らがどの女性が一番美人かを理解する。そして、彼らの欲望は、美人をモノにしたいという欲望へと差し向けられていく。
だが、新人ドゥ・ホンにとっては、美は災難でしかない。どれほど賞賛されても彼女自身は自らの美を決して理解できないのだから。
2017年劇場鑑賞作品・・・71
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