『ファーゴ』などで独特の存在感を放つ名優ウィリアム・H・メイシーの初監督作。銃乱射事件で死んだ息子の遺(のこ)した楽曲を自らが歌っていこうとする父親と、その曲に心打たれたミュージシャン志望の青年が、音楽を通じて再生していくさまを描く。主演のビリー・クラダップは、彼とバンドを組む青年役のアントン・イェルチンと一緒に、実際に歌とギター演奏を披露。そのほか『スプリング・ブレイカーズ』などのセレーナ・ゴメス、メイシー監督の妻フェリシティ・ハフマンらが脇を固める。
あらすじ:銃乱射事件で息子がこの世を去りすさんだ生活を送るサム(ビリー・クラダップ)は、別れた妻から息子が遺(のこ)した自作曲のデモCDを渡される。その曲を聴き息子のことを何も知らなかったことに気付いたサムは、遺品のギターを手に息子の曲を場末のライブバーで演奏する。その演奏に魅了された青年のクエンティン(アントン・イェルチン)はサムを説得し、年の離れた2人でバンドを結成するが……。
<感想>この映画の中では、息子が亡くなるのが早くて、あの銃乱射事件の被害者だとばかり思ってました。最愛の息子を亡くして、仕事も辞めて湖に浮かべるヨットで、その日暮らしをしている父親が映し出され、仕事といってもペンキ職人もどきで、酒浸りの毎日ですから。
その父親が、別れた妻が亡き息子の遺品整理をして持って来たギターと自作曲のデモCD、父親も音楽才能があったのだろう、息子の楽譜をギターを弾きながら歌うのだ。それは、亡くなる前に息子が歌っている姿が映されているので、その歌を父親が歌って、世の中に知らしめるのはいいことだと思う。
ですが、前半の部分で息子の死が、あの世間を騒がした銃乱射事件の超本人だとは考えても見なかったことで、息子の墓参りに行く父親が、墓石に落書きされている「人殺し」の、その文字で、そのことを初めっから知っていれば、きっと観る角度が違って嫌悪感を抱いてしまったかもしれません。両親が二人揃っていても、一人息子の心の悩みまでは知らなかったわけで、日本でもこういう子供たちがいることを忘れてはならない。躾け、教育、モラルは親の責任ですから。育った環境でも、そのような子供が出来るということもある。
このような複雑なテーマで、描き方が難しい題材に挑んだのが、俳優のウィリアム・H・メイシーの初監督作なのですね。このような題材をテーマに映画化するのは、よほどの覚悟がいることでしょう。
内容はもちろんだけれども、バンドを結成してライブをやるシーン、次第に成功してゆき、息子の曲をクエンティンにアレンジされて嬉しそうな顔の父親。お父さんは、息子の残した曲を世の中に知らしめて救われた感じがした。
生前、息子はもしかしたらバンドを組みたかったのかもしれない。だから、息子のようなクエンティンと、亡くなったジョシュを重ねあわせていた部分があるような気もする。
キーポイントとなるのがライブシーンのカット割りや編集も見事なもんですし、何よりも父親のビリー・クラダップのボーカルが、歌詞と相まって胸に突き刺さってくるのが素晴らしい。
主人公のサムを演じたのは、ビリー・クラダップで「マイ・ブラザー哀しみの銃弾」で、弟役で刑事を演じた彼。「あの頃ペニー・レインと」でも歌っていたとか。
サムの妻には、監督の妻、フェリシティ・ハフマンが。息子の恋人には、セレーナ・ゴメスという、そして、楽器屋の主人に、ローレンス・フイッシュバーンが、有名な俳優さんが出演して、これも監督の人徳によるものでしょう。
それに、サムの歌を聴いて惚れこんでしまい、一緒に歌いたいと強引にボートまで押しかけて来るクエンティンには、「ラスト・リベンジ」や「オッド・トーマス死神と奇妙な救世主」(14)で、死者が見える霊能力者という役を演じたアントン・イェルチン。彼の歌も上手いですから。
演出のツボも掴んでいますし、メイシー監督の腕の良さに感嘆しつつも、やっぱり感情移入できなかった私です。というか、亡くなった被害者の学生さんたちに対して、両親は自分の息子の罪の償いを一生背負っていかなければいけないことで、確かに歌の歌詞には、亡くなる前の息子の心情が込められていて解りますが、何も友人たちまで道連れにしなくてもと思いました。
最後に、父親のサムが自作した曲で歌うのは良かったです。
2015年劇場鑑賞作品・・・108映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:銃乱射事件で息子がこの世を去りすさんだ生活を送るサム(ビリー・クラダップ)は、別れた妻から息子が遺(のこ)した自作曲のデモCDを渡される。その曲を聴き息子のことを何も知らなかったことに気付いたサムは、遺品のギターを手に息子の曲を場末のライブバーで演奏する。その演奏に魅了された青年のクエンティン(アントン・イェルチン)はサムを説得し、年の離れた2人でバンドを結成するが……。
<感想>この映画の中では、息子が亡くなるのが早くて、あの銃乱射事件の被害者だとばかり思ってました。最愛の息子を亡くして、仕事も辞めて湖に浮かべるヨットで、その日暮らしをしている父親が映し出され、仕事といってもペンキ職人もどきで、酒浸りの毎日ですから。
その父親が、別れた妻が亡き息子の遺品整理をして持って来たギターと自作曲のデモCD、父親も音楽才能があったのだろう、息子の楽譜をギターを弾きながら歌うのだ。それは、亡くなる前に息子が歌っている姿が映されているので、その歌を父親が歌って、世の中に知らしめるのはいいことだと思う。
ですが、前半の部分で息子の死が、あの世間を騒がした銃乱射事件の超本人だとは考えても見なかったことで、息子の墓参りに行く父親が、墓石に落書きされている「人殺し」の、その文字で、そのことを初めっから知っていれば、きっと観る角度が違って嫌悪感を抱いてしまったかもしれません。両親が二人揃っていても、一人息子の心の悩みまでは知らなかったわけで、日本でもこういう子供たちがいることを忘れてはならない。躾け、教育、モラルは親の責任ですから。育った環境でも、そのような子供が出来るということもある。
このような複雑なテーマで、描き方が難しい題材に挑んだのが、俳優のウィリアム・H・メイシーの初監督作なのですね。このような題材をテーマに映画化するのは、よほどの覚悟がいることでしょう。
内容はもちろんだけれども、バンドを結成してライブをやるシーン、次第に成功してゆき、息子の曲をクエンティンにアレンジされて嬉しそうな顔の父親。お父さんは、息子の残した曲を世の中に知らしめて救われた感じがした。
生前、息子はもしかしたらバンドを組みたかったのかもしれない。だから、息子のようなクエンティンと、亡くなったジョシュを重ねあわせていた部分があるような気もする。
キーポイントとなるのがライブシーンのカット割りや編集も見事なもんですし、何よりも父親のビリー・クラダップのボーカルが、歌詞と相まって胸に突き刺さってくるのが素晴らしい。
主人公のサムを演じたのは、ビリー・クラダップで「マイ・ブラザー哀しみの銃弾」で、弟役で刑事を演じた彼。「あの頃ペニー・レインと」でも歌っていたとか。
サムの妻には、監督の妻、フェリシティ・ハフマンが。息子の恋人には、セレーナ・ゴメスという、そして、楽器屋の主人に、ローレンス・フイッシュバーンが、有名な俳優さんが出演して、これも監督の人徳によるものでしょう。
それに、サムの歌を聴いて惚れこんでしまい、一緒に歌いたいと強引にボートまで押しかけて来るクエンティンには、「ラスト・リベンジ」や「オッド・トーマス死神と奇妙な救世主」(14)で、死者が見える霊能力者という役を演じたアントン・イェルチン。彼の歌も上手いですから。
演出のツボも掴んでいますし、メイシー監督の腕の良さに感嘆しつつも、やっぱり感情移入できなかった私です。というか、亡くなった被害者の学生さんたちに対して、両親は自分の息子の罪の償いを一生背負っていかなければいけないことで、確かに歌の歌詞には、亡くなる前の息子の心情が込められていて解りますが、何も友人たちまで道連れにしなくてもと思いました。
最後に、父親のサムが自作した曲で歌うのは良かったです。
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