子離れできない母親と交通事故で子供を死なせた息子との親子の葛藤を描き、第63回ベルリン国際映画祭にて金熊賞を受賞したヒューマンドラマ。監督は、初の長編作『マリア(英題)/Maria』でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞したルーマニアの新鋭、カリン・ペーター・ネッツアー。『4ヶ月、3週と2日』などのルーマニアを代表するベテラン女優ルミニツァ・ゲオルジウが、30歳を過ぎている息子に過度に干渉する母親を演じる。辛辣(しんらつ)かつ感動的に描写される母子の姿と、ラストに示される意外な展開が心に響く。
あらすじ:ルーマニアのブカレストに住むコルネリア(ルミニツァ・ゲオルジウ)は、30歳を過ぎてもしっかりしない息子バルブ(ボグダン・ドゥミトラケ)の世話を焼いている。ある日、バルブが交通事故を起こし、被害者である子供が亡くなってしまう。警察の上層部につてがあるコルネリアは考え付く限りの手段を駆使し息子を助けようとするが、バルブはそんな母親に対して怒りをあらわにする。
<感想>息子を溺愛する母親と自立できない息子をめぐる物語は、決して珍しくはない。しかし、カリン・ペーター・ネッツアー監督が切り拓く世界は、他のルーマニア・ニューウェーブの作品と同じように、この国の歴史や社会と密接に結びついているのだ。
裕福な建築家コルネリアの誕生パーティの場面から始まるのだが、それは各界の名士が集う華やかなパーティなのだが、彼女の一人息子バルブの姿はない。実は、コルネリアには、30歳を過ぎても道が定まらない息子が悩みの種になっている。そのバルブは親が与えた家で、シングルマザーの恋人カルメンと暮らし、母親の顔を見れば悪態をつき、実家に寄り着こうとはしない。
そんなある日のこと、バルブが交通事故を起こし、子供を死なせてしまう。そこで、コルネリアは人脈や賄賂などあらゆる手段に訴えて、息子の刑務所ゆきを回避しようと奔走する。
いい年をした息子に対して、絶対的な保護者として君臨する母親。このまるで共感できない人物の振る舞いの見事な演技から、目が離せなくなっていく。息子の交通事故の原因隠蔽の作業の過程のリアルさ。プロットは平凡なのに、台詞の切れが凄く、ルーマニアの特権階級の自意識を深くえぐる。
母親のケータイ電話の着信音が、バッハの「無伴奏チェロ組曲」で、状況によって場違いの音楽が響くのが、効果的に使われている。そういえば、母親と息子の対話から外れた息子の相方の、足音が刻むオフのリズムも絶妙な使い方をしている。
かつての社会主義国ルーマニアには、うんざりするような階級差別が存在していることが判り、そのひずみをしたたかに突いた展開と描写が、たいへん興味深く感じられました。
鏡の前に立ち、下着姿で肌の手入れをしていた母親が、その右手にビニールの手袋をはめて、息子の素肌を揉んでマッサージするという仕草。初老にさしかかった母親の腕や手は皺やたるみが出来ていて、親子の肌の触れ合いには、卑猥な何かを連想してしまいそうになるほど艶めかしく、グロテスクにねじれた親子関係を安易に示すのである。
母親を演じるルミニツァ・ゲオルジウが、エリートの尊大さと至らぬ息子を持った苦悩を、実にうまく演じている。低い声と口元がジャンヌ・モローを彷彿とさせ、貫録たっぷりなのだが、セレブ設定なのに、少しもゴージャスに見えないところが、逆にゆがみを際立たせていい。
これはまさに彼女の映画なのだと思いました。彼女の演じる母親を嫌な女だと思って見ていると、ラストの、事故で死んだ子供の両親の家を訪ねる場面で、至らぬ息子を持った母の苦しみがにわかに浮かび上がってくるのだ。
金だけが確かなものになり、賄賂がまかりとおる。事故の供述調書を強引に書き換えようとするコルネリアに、心情的な反感を持っていた警官が、いつの間にか持ちつもたれつの関係になっている現実は恐ろしい。だが、そんな母親の目の前に、大きな壁が立ちはだかる。見逃せないのは、事故の被害者家族が農民であること。母親と息子は悲しみに打ちひしがれた農民の夫婦とどう向き合うのか。それはルーマニアの未来とも深く関わっているからなのだから。
とてもよい演出だと思いました。
2014年劇場鑑賞作品・・・262 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:ルーマニアのブカレストに住むコルネリア(ルミニツァ・ゲオルジウ)は、30歳を過ぎてもしっかりしない息子バルブ(ボグダン・ドゥミトラケ)の世話を焼いている。ある日、バルブが交通事故を起こし、被害者である子供が亡くなってしまう。警察の上層部につてがあるコルネリアは考え付く限りの手段を駆使し息子を助けようとするが、バルブはそんな母親に対して怒りをあらわにする。
<感想>息子を溺愛する母親と自立できない息子をめぐる物語は、決して珍しくはない。しかし、カリン・ペーター・ネッツアー監督が切り拓く世界は、他のルーマニア・ニューウェーブの作品と同じように、この国の歴史や社会と密接に結びついているのだ。
裕福な建築家コルネリアの誕生パーティの場面から始まるのだが、それは各界の名士が集う華やかなパーティなのだが、彼女の一人息子バルブの姿はない。実は、コルネリアには、30歳を過ぎても道が定まらない息子が悩みの種になっている。そのバルブは親が与えた家で、シングルマザーの恋人カルメンと暮らし、母親の顔を見れば悪態をつき、実家に寄り着こうとはしない。
そんなある日のこと、バルブが交通事故を起こし、子供を死なせてしまう。そこで、コルネリアは人脈や賄賂などあらゆる手段に訴えて、息子の刑務所ゆきを回避しようと奔走する。
いい年をした息子に対して、絶対的な保護者として君臨する母親。このまるで共感できない人物の振る舞いの見事な演技から、目が離せなくなっていく。息子の交通事故の原因隠蔽の作業の過程のリアルさ。プロットは平凡なのに、台詞の切れが凄く、ルーマニアの特権階級の自意識を深くえぐる。
母親のケータイ電話の着信音が、バッハの「無伴奏チェロ組曲」で、状況によって場違いの音楽が響くのが、効果的に使われている。そういえば、母親と息子の対話から外れた息子の相方の、足音が刻むオフのリズムも絶妙な使い方をしている。
かつての社会主義国ルーマニアには、うんざりするような階級差別が存在していることが判り、そのひずみをしたたかに突いた展開と描写が、たいへん興味深く感じられました。
鏡の前に立ち、下着姿で肌の手入れをしていた母親が、その右手にビニールの手袋をはめて、息子の素肌を揉んでマッサージするという仕草。初老にさしかかった母親の腕や手は皺やたるみが出来ていて、親子の肌の触れ合いには、卑猥な何かを連想してしまいそうになるほど艶めかしく、グロテスクにねじれた親子関係を安易に示すのである。
母親を演じるルミニツァ・ゲオルジウが、エリートの尊大さと至らぬ息子を持った苦悩を、実にうまく演じている。低い声と口元がジャンヌ・モローを彷彿とさせ、貫録たっぷりなのだが、セレブ設定なのに、少しもゴージャスに見えないところが、逆にゆがみを際立たせていい。
これはまさに彼女の映画なのだと思いました。彼女の演じる母親を嫌な女だと思って見ていると、ラストの、事故で死んだ子供の両親の家を訪ねる場面で、至らぬ息子を持った母の苦しみがにわかに浮かび上がってくるのだ。
金だけが確かなものになり、賄賂がまかりとおる。事故の供述調書を強引に書き換えようとするコルネリアに、心情的な反感を持っていた警官が、いつの間にか持ちつもたれつの関係になっている現実は恐ろしい。だが、そんな母親の目の前に、大きな壁が立ちはだかる。見逃せないのは、事故の被害者家族が農民であること。母親と息子は悲しみに打ちひしがれた農民の夫婦とどう向き合うのか。それはルーマニアの未来とも深く関わっているからなのだから。
とてもよい演出だと思いました。
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