小学校の国語教科書に長期にわたり掲載された大川悦生の児童文学を基に、7人の子供を戦地に送り出した母の愛を描いたヒューマンドラマ。貧しいながらも子供たちを育て、戦地へ行った彼らを待つ母親を、『血と骨』などの鈴木京香が演じる。メガホンを取るのは、『解夏』『がんばっていきまっしょい』などの磯村一路。共演には、三浦貴大、志田未来、田辺誠一、奈良岡朋子らが名を連ねる。母と子供の関係性や周囲の人々との交流、どんなつらい時代にも強く生きる登場人物たちの姿が感動を呼ぶ。
あらすじ:昭和初期、長野県の田舎の村。7人の息子を生んだミツ(鈴木京香)だったが、若くして夫・謙次郎(平岳大)が心臓発作により他界。息子たちは立派に成長するも次々と出征し、ミツはそのたびに畑に桐の木を植えていた。謙次郎の同僚だった昌平(田辺誠一)やその娘・サユリ(志田未来)らに気遣われながら、ミツは木に語り掛け、息子の帰りを待っていた。
<感想>「おかあさんの木」の原作は、1977年から27年間に渡って小学5年生の国語の教科書に掲載されたもので、今回映画化されたのは、小学校時代に授業で原作と出会い、感銘を受けたという東映の須藤泰司企画部長。監督をオファーされた磯村監督は、最初戸惑いもあったそうです。
原作は読んでいませんが、映画を見ているうちに、息子を戦地へと出征していくたびに、お母さんが庭に桐の木を植えて、その樹に息子の無事を祈って語りかける部分が主軸であります。
始めは、お母さんと郵便配達の夫である夫婦のなれ初めから物語を初めて、さらには、夫が若くして心臓発作で亡くなり、女手一つで彼女が産んだ7人の息子を育てあげるという気丈さ。それに、五男の五郎と幼馴染のサユリとの初恋なども絡めて、女性の一代記な要素を持たせている。
現代の感覚からすれば、7人の息子がいる母親という設定は、子供が多すぎるということに疑念ももったらしいいのだが、しかし、そのころの家庭では、子だくさん大家族が当たり前だった時代で、この物語は息子7人を戦地で失ったというのもあながち嘘ではない話だと思います。
冒頭では、桐の木7本を地元の役場の人が、伐採して宅地にしようと考えて、土地の所有者である老人ホームに入っているサユリさんを訪ねるところから始まります。現代のサユリを演じた奈良岡朋子さんの語り部によって、戦争当時の日本の家庭というものが映し出されます。
7人もの子宝に恵まれながら、一人は姉夫婦に養子に出して、マコトと名付けた息子は、病院を経営する金持ちの姉夫婦の家で贅沢にくらして、それでも出征の時には、実母のミツのところへ挨拶に来て、本当は抱きしめてやりたかったに違いありません。こらえて見送るミツの姿が健気で、涙で画面が雲ってみえましたね。
戦争によって息子たちと引き裂かれた一人の母親、ミツの生涯を描いています。26歳から49歳までの長いスパンで、この美しく逞しい母親を演じ切るのは、鈴木京香さん。それはとても演技が上手くて、まるで物語の7人の息子の母親に憑依しているかのようでした。
一人ずつ出征していく我が子を見送る度に、1本ずつ桐の木の苗を植えては名前を付けて話かけて、「必ず生きて帰って来るんだぞ」と苗木に水をやりながら、まるで我が子のように慈しむ姿に感動します。
長男の一郎が出征する時には、村のみんながお国のためになると言って彼女を褒めそやす。しかし、一郎が戦地で亡くなり、木箱の中には遺骨が入ってなく紙切れ一枚が、その後も、二郎、三郎、と、何も入ってない木箱だけが帰って来る。二郎の思い出には、少年のころ鶏の卵を2つ盗んで母に叱られる。「それは、売り物だ」と、父親を亡くしてから、一家を支えて農作業をして、卵を売りに行ったりして、それこそ7人の子供の食べ物だってままならない時に。そのことを母は忘れてはいなかった。二郎の出征の時に、白米のおにぎりと卵焼きを持たせてやる母の心づかいに二郎も泣いたが、観客も泣きました。
最後の五郎の出征の時には、母は「見送りに行かない」と、畑仕事をしていたが、はっと思ったのか、駆け足をして駅まで辿り着き、間に合った五郎にすがりついて「行かないでくれ」と懇願するミツ。憲兵に非国民と背中を足蹴にされようが、我が子を戦争で死なせることが、どんなに辛いことかと、この時も涙があふれ出てしょうがありませんでした。
戦時中のため、母親のミツは、大っぴらに自分の想いを他人には話せず、息子たちに見立てた桐の木に切ない母の心情を語りかけるのだ。ですから、この息子の人数と同じ7本の樹が、この映画の中ではもう一人の主人公とも言えるのです。
その度に実感していく母親の哀しさ、「何処かで生きている、きっと」と桐の木、一本一本に望みを託して話かける。映像の中でも戦地の厳しい様子が映し出されて、機関銃の弾に当たって倒れ込む兵士たち、空にはアメリカのB29の戦闘機が飛び交い、母親が住んでいる田舎にも空からの銃撃がありましたね。
母親が、7本の桐の木を守るように、まるで我が子を守るかのように。終戦後も、年老いた母親が、絶対に息子たちは生きて帰ってくると、五郎の死亡通知が来てないので、必ず生きて帰ってくることを願って桐の木の下で息を引き取る最後が映し出され、そこへ五郎が戦地から疲れ果てて足を引きずりながら帰って来る姿が映し出される。「おかあさん」と、叫んで家の中へ入るもいない。外を見て桐の木の下で冷たくなっている母の姿を抱きしめる五郎。
泣かせどころ満載の映画でしたが、これからの世界、絶対に戦争をやってはいけません。何も得することもなく、ただ人間が死んでいくだけ。何の為にこの世に生まれたのか、戦争をするためにですか?・・・国の力を誇示したいだけの戦争なんてバカバカしいだけ。もう二度と戦争はゴメンです。
2015年劇場鑑賞作品・・・120映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:昭和初期、長野県の田舎の村。7人の息子を生んだミツ(鈴木京香)だったが、若くして夫・謙次郎(平岳大)が心臓発作により他界。息子たちは立派に成長するも次々と出征し、ミツはそのたびに畑に桐の木を植えていた。謙次郎の同僚だった昌平(田辺誠一)やその娘・サユリ(志田未来)らに気遣われながら、ミツは木に語り掛け、息子の帰りを待っていた。
<感想>「おかあさんの木」の原作は、1977年から27年間に渡って小学5年生の国語の教科書に掲載されたもので、今回映画化されたのは、小学校時代に授業で原作と出会い、感銘を受けたという東映の須藤泰司企画部長。監督をオファーされた磯村監督は、最初戸惑いもあったそうです。
原作は読んでいませんが、映画を見ているうちに、息子を戦地へと出征していくたびに、お母さんが庭に桐の木を植えて、その樹に息子の無事を祈って語りかける部分が主軸であります。
始めは、お母さんと郵便配達の夫である夫婦のなれ初めから物語を初めて、さらには、夫が若くして心臓発作で亡くなり、女手一つで彼女が産んだ7人の息子を育てあげるという気丈さ。それに、五男の五郎と幼馴染のサユリとの初恋なども絡めて、女性の一代記な要素を持たせている。
現代の感覚からすれば、7人の息子がいる母親という設定は、子供が多すぎるということに疑念ももったらしいいのだが、しかし、そのころの家庭では、子だくさん大家族が当たり前だった時代で、この物語は息子7人を戦地で失ったというのもあながち嘘ではない話だと思います。
冒頭では、桐の木7本を地元の役場の人が、伐採して宅地にしようと考えて、土地の所有者である老人ホームに入っているサユリさんを訪ねるところから始まります。現代のサユリを演じた奈良岡朋子さんの語り部によって、戦争当時の日本の家庭というものが映し出されます。
7人もの子宝に恵まれながら、一人は姉夫婦に養子に出して、マコトと名付けた息子は、病院を経営する金持ちの姉夫婦の家で贅沢にくらして、それでも出征の時には、実母のミツのところへ挨拶に来て、本当は抱きしめてやりたかったに違いありません。こらえて見送るミツの姿が健気で、涙で画面が雲ってみえましたね。
戦争によって息子たちと引き裂かれた一人の母親、ミツの生涯を描いています。26歳から49歳までの長いスパンで、この美しく逞しい母親を演じ切るのは、鈴木京香さん。それはとても演技が上手くて、まるで物語の7人の息子の母親に憑依しているかのようでした。
一人ずつ出征していく我が子を見送る度に、1本ずつ桐の木の苗を植えては名前を付けて話かけて、「必ず生きて帰って来るんだぞ」と苗木に水をやりながら、まるで我が子のように慈しむ姿に感動します。
長男の一郎が出征する時には、村のみんながお国のためになると言って彼女を褒めそやす。しかし、一郎が戦地で亡くなり、木箱の中には遺骨が入ってなく紙切れ一枚が、その後も、二郎、三郎、と、何も入ってない木箱だけが帰って来る。二郎の思い出には、少年のころ鶏の卵を2つ盗んで母に叱られる。「それは、売り物だ」と、父親を亡くしてから、一家を支えて農作業をして、卵を売りに行ったりして、それこそ7人の子供の食べ物だってままならない時に。そのことを母は忘れてはいなかった。二郎の出征の時に、白米のおにぎりと卵焼きを持たせてやる母の心づかいに二郎も泣いたが、観客も泣きました。
最後の五郎の出征の時には、母は「見送りに行かない」と、畑仕事をしていたが、はっと思ったのか、駆け足をして駅まで辿り着き、間に合った五郎にすがりついて「行かないでくれ」と懇願するミツ。憲兵に非国民と背中を足蹴にされようが、我が子を戦争で死なせることが、どんなに辛いことかと、この時も涙があふれ出てしょうがありませんでした。
戦時中のため、母親のミツは、大っぴらに自分の想いを他人には話せず、息子たちに見立てた桐の木に切ない母の心情を語りかけるのだ。ですから、この息子の人数と同じ7本の樹が、この映画の中ではもう一人の主人公とも言えるのです。
その度に実感していく母親の哀しさ、「何処かで生きている、きっと」と桐の木、一本一本に望みを託して話かける。映像の中でも戦地の厳しい様子が映し出されて、機関銃の弾に当たって倒れ込む兵士たち、空にはアメリカのB29の戦闘機が飛び交い、母親が住んでいる田舎にも空からの銃撃がありましたね。
母親が、7本の桐の木を守るように、まるで我が子を守るかのように。終戦後も、年老いた母親が、絶対に息子たちは生きて帰ってくると、五郎の死亡通知が来てないので、必ず生きて帰ってくることを願って桐の木の下で息を引き取る最後が映し出され、そこへ五郎が戦地から疲れ果てて足を引きずりながら帰って来る姿が映し出される。「おかあさん」と、叫んで家の中へ入るもいない。外を見て桐の木の下で冷たくなっている母の姿を抱きしめる五郎。
泣かせどころ満載の映画でしたが、これからの世界、絶対に戦争をやってはいけません。何も得することもなく、ただ人間が死んでいくだけ。何の為にこの世に生まれたのか、戦争をするためにですか?・・・国の力を誇示したいだけの戦争なんてバカバカしいだけ。もう二度と戦争はゴメンです。
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