最近、そうなんだなと思うことに「記憶」ということがある。
記憶違いにボケてきたということじゃない?と思われても仕方がないが、私の場合、母譲りの天然なところもあるので一概にボケとか認知症とかで済まされないと今のところ信じている。
というのは、記憶というのは絶対ではないと思った方が無難だと思うようになった。
仲間がいて同じ経験をしても記憶が同じではない。
その時の周りの状況や自分の感じ方やその他諸々の要因が関係して記憶として残る訳である。
相手がいて同じ事態にあってそのことを語る時、それって違う、こうだったじゃないと言い合うことがある。
果ては自分の記憶と違って相手に不信感を募らせるか、敵わないとなると相手を妄想家に仕立て上げたりもする。
妄想家の記憶は恐ろしい。
本人の都合の悪いことはすっかり消えた「記憶」として残り、創造も加わり、まことしやかに語られる。
妄想家の記憶に周囲は混乱し、疑うことに慣れていない者は、次第にそれが真実かと他人より自分を疑ってしまう気の毒な結果を招く。
直近の事でハッと思うことがあった。
ブログで昨日、辰巳芳子について書いた。
佐和子が辰巳さんの好きなものはと聞いたと記憶していた私は、録画を再び見て過ちに気づいた。
さっそくブログを訂正し更新した。
佐和子は辰巳さんの嫌いなものは何ですかと最初に聞いた。
そして苦手な煎餅の話をした後に辰巳さんの好きなものに移り、辰巳さんは「牛肉ですよ」と言ったのである。
それなのに私の記憶は「好きなものはステーキですよ」であった。
全く違ってはいないが辰巳さんは「牛肉」と言ったのであり、ステーキとは言っていない。
私のその時の状況は牛肉と聞き、ステーキが食べたいと思ったのかとにかく牛肉は気になっていた。
それで夫が買い物に行くというので牛肉を買ってきてくれるよう頼んだ。
頼まれた夫は、ステーキ用牛肉を1枚買ってきてくれた。
もしかしたら、ブログを書く直前の段階で牛肉がステーキに変わっていた可能性もある。
ということで、記憶だけで頑張れないし断言は不可能という実感を目の当たりにしたのである。
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