心の浄化に取り組もうと瞑想などをはじめて迷走 なんてこと アルアルである
心を静かにさせようと瞑想をはじめると、一時期、反対に感情が大暴れする時期がある
感情が暴走族 いぇ~~ ナメ猫暴走族でも想像してやりすごそうぜぃ
前の記事で書いたけど、感情って、ただ出てくるだけなんよ
ご飯食べたら、ま、おトイレいくじゃんね。
(私はいい歳してじゃんじゃんが抜けないの、これ、西日本だと やん)になるのかな?閑話休題
心の真ん中には、しず~~かなしず~~かなまったく波のたたない湖面のような心がある
だけど、そこに到達する前は、色んな感情をチロルチョコバラエティパックなみに経験するんだね。
チロルチョコだと思えば、味わい深いね。
あ=====、、嫉妬ってマズイわ。
あーーーーーーーーー自己憐憫ってアマイわ。
ふぅうううん、憎悪って、スパイシーカレー味。
心の味のプロになってくると人生はとたんに楽しくなるよ。
どの味もさ、ただの味。
さて、本題
お魚師匠が教えてくれたこと
ときどき、外海に泳ぎに行くの。岩場。そうすると波がね、強くて岩に登れないときがあるの。
表面の波は力が強くて、岩にしがみついても下手すれば波に引っ張られて流されてしまう。
だけどね、そんな波の真下にわずか3cmほどのお魚さんが、尾びれ、背びれをパタパタしながらホバリングみたいにして同じ場所で流されずにいるの。
お魚さんから私にテレパシーメッセージ
「おい!潜れ、潜れ」もうちょっと↓においで。ボクと同じ高さ(深さ)まできて、この岩につかまって。
表面の波は荒いから流されるよ。
おお、そうか。 波の間隔は満ち、引き。引きの波のときに一気にお魚さんの深さに身をしずめ、
しばし、我慢して、波が満ちに転じたときに一気に頭を外にだしてプハーっと息をして、岩場に登る。
ね、わかった?
感情の波も同じだよ。
表面の波は荒くて、その波にのまれてしまうと途方もないところまで流されてしまうことがある。
それも、また、人生だけど、流されすぎてしまうと、誰かに救助されるのを待って漂流だよね。
そうなりたくない場合は、
ちょっとだけ、深呼吸をして、心の内側に潜ってみよう。
まあ、私が瞑想を語る資格はないんだけど、仰々しく思わずに、感情の大波がきたら、黙って布団かぶって心をなでなでして、その感情の大波が通り過ぎるの待つ、それがいいと長年の経験で思うんだ。
あ、私、いま、傷ついてる。
あ、私、いま、辛いんだ。
こういうふうにね、自分の心を感じてあげて、そこに愛を贈ってあげられるのは「自分」だけ。
その積み重ねが、人間としての真の自信になっていくんだと思う。
その感情に対して、五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い、あえて漢字、思考をあれこれ巡らせてしまうと新たなゴミ想念を自分に課すことになるから、それって、一粒で二度おいしいグリコのキャラメル、知ってる?欲張りだね。
ネタが古いのは昭和のおばちゃんだからだっよん。
つまり、傷ついたうえに、さらに自分のゴミ想念で自分を痛めつける必要はないよ、っていうこと。
瞑想は、頭の中のグルグル思考をやめること
そして、自分を感じること
じゃ、god bless you